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アメリカは外にゴミ箱が沢山あるし、ゴミも分別しなくていいのに、ゴミが沢山落ちています。
日本は外にゴミ箱ないし、分別も大変なのに、全然ゴミが落ちていません。
どうしてだと思いますか?

A 回答 (12件中1~10件)

No.11 です。


いくつか言い忘れました。

日本のゴミ箱の件。

日本でもオウム真理教のテロ事件前は、『これでもか』と思うほど随所にゴミ箱があったものです。
あの事件の後にあった同時多発テロや、それらを模倣する爆破予告の脅迫事件などの社会情勢不安がもとで、駅などの不特定多数が使う空間で目が常時行き届かないところからはゴミ箱が姿を消しました。

それは逆に『ゴミの持ち帰り運動』となり、それによって駅やお店の負担を減らし、社会全体でゴミに対するコストを抑制する動きにつながりました。

ゴミ箱がないのは多少不便ですが、レジ袋をエコバッグに変えるのと同じで、生活習慣でそれに対応しようというものです。

これはコロナ禍になって、マスクや消毒に使ったり鼻をすすったティッシュなどが『バイオハザード』を起こす危険のあるごみなので、それは個々人が自分で処理するという意味も追加されたと思います。

なので、ゴミ箱が少ないというのは、あながち悪いことではないのです。

次に分別。

アメリカでは分別しないと言いますが、私の町では違います。

日常的に出るゴミは、リサイクルできるものとそうでないものは分け、日を変えて収集されています。
同じ『リサイクルできるもの』でも、ガーベージ缶に入れて出せるのは『段ボールや雑誌・新聞などの紙』『あき缶や電線などの金属を多く含むもの』『ペットボトル』『ガラス』『発泡スチロール』などです。
どれもガーベージ缶に一緒に入れて出しますが、それぞれ別な袋や束にして入れます。
トラックがガーベージ缶を捕まえる前に、集める人がそれをひとつひとつ開けて分別してるのを確かめてます。
分別しないと、その旨が書かれた目立つ張り紙がされて持って行ってくれません。

それに、割れたガラス、瀬戸物や電池、電気器具などの廃品、木材や庭の手入れで出た芝や植木のゴミなどは町に何カ所かあるウェイスト&リサイクルセンターの集積場に持って行くと無償で引き取ってくれます。
それらも、月に1~2度の決まった日に外に出しておくと収集してもくれます。

また、衣服や靴、オモチャ、家電製品、家庭用品、本などのまだ使えそうなものは、ドーネーションステーションに持って行くと引き取ってくれます。
数量が多かったり大きなものは、連絡すると引取りに来てもくれます。
もちろんすべて無料です。

分別も先ほどのゴミ箱と同じで、生活習慣の方をそれを受け入れる姿に代えなければいけないと私は理解してやっています。
『自分はこうしたい』という個人の希望は、それを主張して文句を言えるのは時と場合によると思います。

もし『そうしたくない』のであれば、それを受け入れてくれるところで生活することを考えなければいけないというのが今のご時世と思います。
『落ちているゴミ』についても同じです。
それがイヤなら、自分で無くすか、無いところに行く以外に解決法ってありますか?
文句をいくら言ってても何も変わりません。
それだけは断言できます。
イヤなら自分で何かするしかなく、その選択肢も多くはないのです。

私はそれを受け入れて暮らしていますが、それに慣れれば『そんなもんだよ』で、特に不便も不満もありません。
仮にあっても、私には他にずっと優先させてやりたいことがいっぱいありますから、こんなことを実現させようと努力する気にはなれません。

文句って、言っててつまらなくないですか?
もっと楽しいことを考えて行動する方が良いように思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私はこの質問で、日本が良く アメリカが悪いと言ったつもりはなかったんですが、そう聞こえてしまったなら申し訳ないです。
私もアメリカは大好きです。
私が見たアメリカはゴミが色んなところに落ちていて、ただどうしてゴミ箱があるのにゴミが落ちているのかと思った事と、
私のアメリカ人の友達にもどうして日本にはゴミが落ちてないの?と聞かれた事から、質問してみようと思いました。
不快に思われたならすみませんでした。

お礼日時:2022/05/27 05:59

No.8 さんや No.9 さんの意見と同じです。



日本でも捨てる人は居るし、落ちているゴミはあります。
アメリカにもきれいな街はあります。
どちらの場合も、きれいになっているのは清掃する人が居るからです。
大きな駅や人が集まるところは特にそうです。
よく見てみてください、ほうきと塵取りを持って歩いている作業員さんは日本でもアメリカでも結構います。

では、住宅街はどうか? 工場地帯は? 商業地帯の裏手は? 空き地や人の住んでいないところは?活力のない田舎町は? 繁華街を外れた道路や線路端は? 駅のホーム下は? 河原の茂みや橋の下は? 河川や道路の土手の下は? 海水浴場や防波堤の下やふ頭の波打ち際は? 町の周りの空き地や空き家の周りや田畑や森は? 

この中でせいぜい良いのは、都会の人が多く住むそこそこ以上のレベルの住宅街・商店街ぐらいではないでしょうか。
理由は前と同じです、掃除する人が居るからです。
住んでる人やお店の人が、自分のところの前は毎日掃除をする、と言う具合に。

私はプロファイルの様な在米の年寄です。
生まれと育ちは日本の東北、山合の名も無い寂れた寒村です。
両親は家業が忙しかったので、夏冬春の学校の休み時期は、同じ東北の中の、これまた同じような田舎の親戚に預けられていました。
大学進学で首都圏に出、大学・大学院時代から社会人の初めの時期をその地域で過ごしました。

海や渓流が遊び場だった経験から、私は都会の『美しい』と言うのには懐疑的です。

その後は考えるところがあってアメリカに来ました。

幸い当地ではいい実績をあげることが出来、それ以来、この地を足場に、日米欧を行き来して暮らして来ました。
これも幸いなことに、私はかなり以前からテレワークを組み入れた働き方が出来ました。
そんな背景から、ずっと暮らすのに良いところを探す目的で、かなりいろんな土地に住んできました。

仕事柄3~4か月を取引先のある場所で過ごすこともよくありましたので、そんなところも入れれば、ニューヨーク・ボストン・サンフランシスコ・ロス・アトランタ・ダラス、全米一貧しいミシシッピの小さな町、ユタの高地、バーモントの山の中、極寒のアラスカ、豪雪の五大湖岸、大平原のカンザス、テキサスの砂漠、ハリケーンの銀座のルイジアナ、庭にワニの出るフロリダ、歴史香るカロライナ、それから西欧・北欧・南欧・東南アジア・オセアニアの各地でした。

これを通し、私は『一瞬しか眺めない観光客』ではなく『暮らして感じる住人』として、いろいろなところを見てきたつもりです。

確かにアメリカには日本に無い汚い部分はあります。
そのいい例はスラムでしょう。
しかし、景色は落書きが多く寂れてすさんでますが、意外なことにゴミが最悪とは言えなく思います。

日本でもすさんだ地域でそういう景色を見ることはあるものです。
また、都会の繁華街から外れた地域の裏通りがきれいとは言い難いと思うことは、どこにでもありえるでしょう。

それから、日本にはアメリカに無いはずかしいものもあると思います。
タバコです。

さすがに大都会のターミナル駅では違いますが、その近郊や地方都市の駅のホーム下の線路や街の中では路上に吸い殻が良く落ちてます。
また、歩きたばこやコンビニの周りでタバコを吸い、通行人や店を出入りする人たちに煙を浴びせる姿は日本中でみます。
あの煙も、それがイヤな人にとっては吸い込みたくない、かかりたくない、『チリ』以上の『ゴミ』です。

また、こんなものもあるでしょう。
水や泥、汚物です。

家の中でも靴を履いた生活をする欧米では、靴を汚すことには気をつけます。

そう言った人達にとって、少なくとも、雨の日に長靴を履いて『ピッチピッチちゃっぷちゃっぷランランラン』などという事はあり得ないのです。

彼らにとって靴を脱ぐ(履き替える)というのは、極端な言い方をすれば、パンツを脱ぐに等しいと感じる人さえいます。
つまり、水溜まりは避けて当然、というか、そうすべき、いや、そうしなければならないレベルのマナーなのです。

ジーンケリーというミュージカル俳優が主演の古い映画に『雨に唄えば』というのがあります。
石畳の街並みを、スーツにハット、手には傘を持って彼が歩いています。
雨が降っているのに彼は傘を差さない。
彼は心が弾んでいたので歌を歌いたくなってしまいます。

人通りがないのをいいことに、彼は歌いながら踊ります。
それも、水溜まり水に『バチャバチャ』足を突っ込んで。

その姿をいぶかしく眺めたのは町を見回る警官でした。
それに気づいた彼は踊るのを止め、静かにおとなしく警官の横を通り過ぎます。
でも、警官が見えなくなるとまた踊り出す。

これはこの映画のクライマックスのシーンですが、彼がなぜ踊るのをやめたか、彼がなぜ真顔になっておとなしく警官をやりすごしたのか、そしてなぜ警官は彼をいぶかしく思ったのか。

それは靴を水で『汚す』ということが『よくないこと』だからです。
そんなマナー違反なことをしてでも歌い踊りたくなる気持ち。
このシーンはそれを表現しています。
これがわからないと、このシーンの面白さはわからないでしょう。
ただ楽しそうに歌ってるなぁぐらいにしか思わないんじゃぁ、映画は半分しか楽しんでないんじゃないかな。

これらを言いかえれば、道に水溜まりがあるというのはゴミが落ちている以前の問題と言うわけです。
それが土交じりの泥水や泥そのものだったりなど言語道断。
中世の昔から欧米の都会の道路が舗装されていた意味もこれから分かります。

パリでは歩道の真ん中に犬の糞が落ちてます。
アメリカではそんなのを見ません。

欧州の多くの家は床が石(やコンクリート)か板張りです。
カウチなどの要所要所にじゅうたんを敷いたりはしますが、基本的には石か板です。

それに対し、今日のアメリカの家は、多くの場合、1階の共用スペースや水回りを除き、寝室や廊下は結構厚手のカーペットが、敷きっぱなし(外して洗えない)で敷き詰められています。
ですから、それを汚さないことは大事です。

こんな点からは、アメリカの人の方が欧州の人たちより履物の汚れには気を使ってるかもしれません。

同じような『ゴミ』は日本の都会の駅や電車によく見られます。
酔っぱらいが残していく吐いた汚物です。
アメリカであんなのを見たことは何十年か暮して一度もありませんでした。

いろいろ言いましたが、『暮らす空間のきれいさ』については、生活習慣や生活文化には国や地域などによってそれぞれ違った観点・価値観があり、人は別の世界に行くとその差を『きれいだ』『きたない』と言っているにすぎないのだと私は思います。

もちろん程度に差はあるでしょうが、同じような経済レベル・文化レベルなどで国国や地域を見比べると、きれいさ・汚さの程度は似たり寄ったりだと私は思います。

ちなみに、私が今暮らす街は、長年の経験をもとに考えた希望をもとに探し出してきたところです。
ド田舎ですが、田舎ならではの快適さと、都会の文化的楽しさとが両立したところと思っています。
そこに経済的な余裕と高いインテリ度が加わることで、高いモラル・いい治安と風紀もあります。

その裏返しのひとつに『きれいさ』があります。
ときどきそうでないところを目にすることはなくはないですが、『この世に完璧はない』という意味では許容の範囲と思えますし、それでも概して日本よりきれいじゃないかと思っています。

アメリカにもそういうところがあります。

『日本がいい』『アメリカが悪い』という議論は何を求めているのかと言う意味では不毛ではないかと思います。
他を批評するのも自慢をするのも『笑って楽しむ雑談程度』にしておき、それより、客観的な事実とそれに対する建設的な進言をやり取りするのが良いと思います。

私は今暮しているこの町を気に入ってはいますが、出来ればこうあってほしいと思うことに『水』があります。
森に覆われた丘がちな広大な平野の中なので、湧き水や河川・湖沼もたくさんあって水は豊富なのですが、その全ては泥水やよどんだ緑色の水。
これが澄んで『清流』の水になってくれたらなぁと思うのです。
湧き水は澄んでいて、それっを集めたクリークのレベルではまだ澄んでるんですけどねぇ。

これが実現すればゴミがない以上に美しさを感じられるように思えるのです。
何かいい方法がないかなぁ・・・
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ddeanaです。

お礼を拝見しました。
私は西海岸の方に住んでいました。仕事でニューヨークやシカゴに行ったことがあり、そうした大都市のダウンタウンではゴミが風にまっていたことは確かに経験しています。
あなたが住んでいらしたところは、ずいぶんと違ったんだな、やはりアメリカは広いし州が違うと行政も違うから経験もまったく違うんだと勉強になりました<(_ _)>
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私もやはりアメリカは広いんだな!と思いました。アメリカって一括りにするのも良くなかったな。と反省しました。(ノ_<)

お礼日時:2022/05/26 15:39

場所にもよるのでは?



東京にある某市場の出入り口近くの歩道と車道の間の植栽には
空き缶などがたくさん落ちていて、ちょっとゴミ拾いをしていたら
すぐにゴミ袋2袋分の空き缶がたまりました。

その市場では開場する時間が決まっているのだけど、早く着き過ぎた
トラックが入口前で待っているのが日常的になっています。
で、ドライバーがコーヒーとか飲みながら時間調整をするのだけど、
空き缶などがポイ捨てされる→それがそのまま放置されると
ポイ捨てに対する倫理観が薄れる→ゴミの山
という感じかな?と思っています。トラックで来ているのだから、
空き缶なんてポイ捨てせずに持ち帰ればいいのに、と思うのですが。

そんなわけで、日本でもそういう場所はあるのでは?って
思ったりもします。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
場所によっても違うのかぁ。と思いました!

お礼日時:2022/05/26 15:26

揚げ足を取るつもりはないですが、日本でも公園やビーチなど当たり前にゴミ落ちています。


それを行政かボランティアの人などが拾ってくれるからゴミが目立たないだけで、捨てる人はたくさんいます。

>アメリカは外にゴミ箱が沢山あるし、ゴミも分別しなくていいのに、
>ゴミが沢山落ちています
これはあなたの実体験ですか? 私アメリカに住んでいたことありますが、街中のゴミ箱は日本よりもはるかに少なかったですよ。日本のようにコンビニに必ずゴミ箱が設置されているなんてこともありませんでした。基本的にキャンパスやフードコートの中以外で公共のゴミ箱はまずお目にかかりませんでした。また、ダウンタウンの早朝の道路に、ゴミが落ちていることは確かにありますが、住宅地の公園内などはゴミまったくなくてすごく綺麗でしたよ。
だからあなたの描写は私の実体験とかなり落差があって、にわかには信じがたいです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
私もアメリカに住んでいました。
州によっても違うのかもしれませんね。
私はいつも犬の散歩をするのですが、道に色んなゴミが落ちていて危なかったです。
ゴミ箱は公園、スーパーの前、ガスステーション、バス停、などに置いてありました。
同じアメリカでもゴミのないところもあるのですね!勉強になりました。

お礼日時:2022/05/26 15:21

アメリカはゴミは、掃除する仕事の人が拾うもの。

その人の仕事を奪ってはダメだみたいのがあるのでは?

日本は公共の美化が自然に身についている。家の前の道に生えてる草とか取るし、学校の掃除があるのは日本だけ言われている(実際はわからん)靴を脱いだり、コロナ禍の他国に比べてもダントツの清潔思考などもその一部。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
仕事に対する意識は違いそうですよね!
ほかにも文化の違いもありそうですね!

お礼日時:2022/05/26 15:24

そりゃ何か買って帰るよ。

ww

そこまで厚顔じゃないよ。ww
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歴史的な習慣です。

風土・風習・文化とかです。

タバコポイ捨ての人もたくさんいるので、全員の
レベルが高いとか言うのではなく、公共のごみでも
無償で拾う人が、捨てる人よりは、多いだけと言えます。

人類は、個体としては弱いので集団で社会をもって
生活しています。
生き残るための本能もあると思います。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど!日本は拾う人がいるんですね!
たしかにアメリカはずっと放置されている気がします。

お礼日時:2022/05/26 14:48

民度の違いでしょう



江戸時代から
海外の人は
ゴミ一つ落ちていない
街の綺麗さに驚いています
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
江戸時代から日本はゴミが落ちてないんですね!驚きました。

お礼日時:2022/05/26 14:38

ゴミへの意識が違うんだと思います。


日本は ゴミ捨て厳しいですからね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
なるほど!たしかに日本は厳しいですよね。分別とか。それでゴミへの意識が高まったのかもしれませんね!

お礼日時:2022/05/26 14:37

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