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最早、整形は芸術であるようです。

私などはもう古い世代に入っていまして、私たち以上の年代ではナチュラルに感じられるものはともかく、そう思えないものも多く、痛々しくもあり、不自然さも感じ、冒涜に近い感情もありで、あまり賛同はできない人が多いのではないかと思います。

勿論世代でキッチリ分けられませんが、好ましいと思わない人と、思う人との違いは何だと思いますか?哲学的に思想的に感覚的に。

A 回答 (15件中1~10件)

得体のしれない力を神様って思うのと



神様ってのが存在してて、得体のしれない力が働いてる

てなのは
言葉として同じなんだけど

微妙に違いがあって

ワシは前述したほうの神様を信じてたりもするから

芸術てのも、得体のしれない力のひとつではありますね

芸術てのを取り決めて
こうあるのが芸術なんだと定義されてしまうと

なんか、個人的に受ける
芸術の凄さってのが、薄れてしまい

作られた造形物であるとしか
思えないから

個人的に受ける
神秘的な想いてのが

芸術には求められたりもしますけどね

アミニズムになるのかも知れないけどね
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この回答へのお礼

全知全能神が存在するということになると、論理的に矛盾が出てくるので、それは否定せざるを得ません。

仰るように、「得体のしれない力」が存在するのは「事実」ですから、それは、不思議ではあるけれど、実在する力となりますね。要するにまだ人類にはハッキリと認識されていない、だから不思議に思うのであって、それをうやむやにして商売の道具にするなんざ、言語道断と言うやつですね。

お礼日時:2022/07/18 00:12

追記


整形の美てのは
認めてないど
整形において時間短縮てのは
認めているんですけどね

ワシは男だから、化粧とか見栄えなんてなものに意識を使わないでもいいけど

女性って、化粧とか見栄えてのは
意識をしなきゃならんらしくて

毎朝、化粧に15分使う人が!
二重まぶたにすることで、10分くらいは時間の短縮になるらしい

美的感覚での化粧ってより
見栄えとか、礼儀としての化粧なんかをされてる人に置いては

そういった価値観もあるかもと思ったりもしますよ

整形は芸術ってよりも
整形は時間短縮てな考えに置いては

その人の人生に置いての、時間の有効利用が尊ばれますもんね
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この回答へのお礼

整形がメイクの時間短縮と思えば、合理的に思えますね。

美とか芸術とか言い出すと、これは今どきの「自意識過剰」ということになりそうですね。

お礼日時:2022/07/18 00:05

顔にメスを入れるのは


好ましいとは思わないですね

美が目的なんてな話なら
尚更であって

そもそも、美なんて
人工的に造られないからこそ
美しいとは思いますよ

笑顔って
つくり笑いと自然な笑顔

やはり違いがあって

自然にあふれでる美しさって

自然な笑顔が一番ですもんね

どんなに不細工やブスでも
笑顔は美しくなるから

人間って不思議な生き物ですね

あくまでも、個人的な主観ですけどね
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この回答へのお礼

自然の造形術、というべきもの。
自然の力ってすごいですよね。だから、全知全能の神が創ったなんてことになったりするんでしょうね。

現代人って、どうもその神に対抗して超えたいと思っているかのように見えます。
神を否定するんじゃなくって、否定しないで超えようとしている、と。

だから、AIが人間の脳を超えると喜ぶんじゃないか?

整形の技術も神を超えようとしていることは明らかだと思うから、まあ、やってみりゃいいさ、と思う。

お礼日時:2022/07/13 22:44

オマケ


ヒトでないものを誰も完全にヒトと誤認した場合不気味の谷現象を超えます。
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この回答へのお礼

勿論、そうでしょうが、それは個人差があって、感覚の鋭いひとは不気味の谷を容易に超えないが、言葉を使った論理で物事を判断する人はあっさり超えることでしょう。

骨董品の偽物を掴まされる人は後者が多いですから。

お礼日時:2022/07/11 19:08

トラディショナル君それはロボットと明確判別できるから不気味の谷の現象は起きないんだよ


トラディショナル君君もヒトの話が理解出来ないようだね
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ヒトの判断基準=概念は抽象的で曖昧。

要するに人らしいモノをヒトと判断しているということです。これは確実性と実用性を高めてヒトをヒトと判断出来るようにするためです
その為その判断基準は一定の許容範囲があり許容範囲を持つために容姿に付いては不完全さを織り込んでいます
以上を踏まえて
不気味の谷の現象はヒトと人以外の境界上に位置したときに起きうる心理現象です。
これが整形にどう関わっていくのか?というと容姿において完全を目指すとその分だけ容姿においての不完全さが失われていきます。上記でヒトの判断基準=概念に容姿の不完全さが織り込まれていると述べましたが不完全さが失われていくということはそれはつまりヒトの判断基準=概念から外れていくということになります。
容姿の完全さを実現させるために整形をすることで容姿の不完全さを失わせるということでヒトの判断基準=概念状況ヒトでないと方向に進めさせヒトとヒト以外の境界上に位置したとき
不気味の谷現象が起きるということです
これはヒト以外のモノでも同じで容姿上の完全さを追求して不完全さを排除するとヒト以外でも不気味の谷現象が起きるのです
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この回答へのお礼

https://youtu.be/xL8NF1XQG0E

この動画などを見ますと、「不気味の谷現象」という推論・予測の肝は、「有生性」という生命に対する判断ということになりそうです。

その人間の判断はどのようになされてゆくか?

>確実性と実用性を高めてヒトをヒトと判断

というようなことでなされるというのが、科学的及びその背後にある西洋哲学の考え方であるのでしょう。
しかし、私は「直感」というものが判断しているであろうと考えています。そのような私の方向性はよくご存じであると思います。

ただ、学問を全くやってこなかった私にとって、直観・潜在意識そして、それらが「空」の状態で実在するということを、哲学的に論ずることは未だ困難です。テキトーなことは言えますがね。

お礼日時:2022/07/11 18:56

感覚的に


好ましいと思う人は見栄っ張りな人あるいは確信犯。
アマゾンで買った安物を百貨店の包装やショップの袋に入れても有難がる人。または中身に興味のない人。

好ましくないと思う人は融通の利かない、あるいは目利きの利かない人。
 虚飾を嫌うくせに中身を確かめようとしない。食べてみなければ味はわからない。見た目がいいものを選んで騙されたことのある疑り深い人か。
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この回答へのお礼

強引じゃない?

お礼日時:2022/07/09 22:29

不気味の谷現象は無意識化での敵味方の選別をし敵と判別したとき見られる心理現象です


不気味の谷現象において対象の命の有無はほとんど関係無いですね
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この回答へのお礼

ちゃんと読まないで、ちょっと勘違いしましたが、完全に機械から、人間と同じの直前の時の、人間の心理状態のことですね。
これは、、確かに敵か味方か、得体のしれないものに対する感情である可能性は高いでしょう。でも、人間の心理ですからそこに断定はしたくないですね。

整形の場合は、人間であることが明らかであり、その人の「化粧」のやり方の問題と言えるので、同様に当てはめることはどうだろうかと思う。

こちらの方が「生命に関する感覚」に引っかかるかもしれないとも思う。例えば、生命の造形法に。

お礼日時:2022/07/09 22:28

不気味の谷現象は生命に関する感覚に伴うものではなくて「ヒトの判断」に伴うものです。


具体的には、
明らかにヒトでないと断言出来るモノがヒトに似れば似る程(近似)共感度や好感度がましていきます。しかしながらある点を超えて似てくるとヒトの可能性が生じてヒトでないと断言出来なく状態に陥りそうなると見知らぬ他人に対して抱く警戒感等が芽生えそれによって共感度や好感度が一気に落ちる。この現象が不気味の谷の現象です
これと同様な事が整形にも起きるということです
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この回答へのお礼

その人の判断が、その人の持つ生命に関する感覚(共感)を基としてなされている、と考えているということです。

機械が人と似てくることによって、かわいいと感じることは人形をかわいいと思うことと同じで、その人形が人間と区別がつかなくなった場合、「これは命ではないのだ!」という拒否感が突如現れるであろうと。

お礼日時:2022/07/09 08:47

私は整形顔は好きですね。

極端に整った、ある種異質な、すこしCGっぽい顔立ちは好きです。起源はギリシャの時代に人間の理想像を追求したところに端を発しておるのでしょう。現代は、整形技術も大変進んでおり、綺麗に術痕もなく、ナチュラルな仕上がりになるようです。

同じくらいか、あるいはより重要なのは、顔立ちよりも表情です。表情は内面の表れで、どの様な表情で日々を過ごしているかで顔形が変わってきます。子どものころから良い表情で過ごしている方は、顔形も良い形に育成されます。
表情は芸術で言うと、印象です。不細工でも明るい笑顔は人を良い気持ちにさせます。美形でも清廉な面持ちの人は劣等な欲望を退けます。印象は、形よりもより重要なファクターなのだと思います。

仏像などでは、美形で、微笑んでいる仏像が多いですね。
これが人間にとって理想の貌(かお)だからだと思います。

一つの理想主義の行き着く先に、整形と言う行為があるのでしょう。

土俗の風習に見られるような、無理やり首を伸ばす輪っかをはめたり、耳たぶを伸ばす穴をあけたり、纏足したり、といった整形術の事を考えると、現代の整形術は、よりギリシャ的であり、間違った方向には進んでいない、正統的な進化をしていると見て良いと思います。
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この回答へのお礼

これまた申し上げたいことがわんさか湧いてきますので、絞らないといけません。

ギリシャ彫刻というものは広く人間美というものを表現しようとしたものであると思うのですが、近頃の整形(特に顔面)はいわゆる黄金比的な美を追求しているように思います。

ローランド氏の顔は、本人が細かく指示を出して、何度も何度も修正をかけているようです。彼はとてもそういう美的センスが高いと思います。(白人の顔ですが)

内面からくる表情の美しさは表現可能だと思いますが、それは、大芸術家が長年の鍛錬の末に可能になってくるものであり、現在の成型技術が進んだとはいえ、今は遠く及ばないでしょうね。

仰るところの人間の表情について近頃思うことは、重要なことはナチュラルであるということであり、「人にどう見えているか」という意識が強ければ、その心が雑味となり、笑顔も台無しになると思います。作為的ないやらしさですね。

だから、子どもは美しいし、動物はかわいいのです。

現代では、内面が重要なことはよく理解していると思いますが、内面すら取り繕おうとしていますね。

お礼日時:2022/07/09 08:39

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