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新卒のキャリア官僚で東大卒は全体の僅か11%しか居ないそうです。
代わりに早慶文系や中央、立命館というしょうもない大学が急激に増えてます。
かつては「東大にあらずんば人にあらず」と言われた霞ヶ関がこれほどまでに低学歴化したのは何故だと考えられますか?

A 回答 (5件)

米国化しているからだと


思います。

米国では最優秀学生は起業する
そうです。
次に優秀なのは一流企業へ。

官僚になるのは、それほど優秀ではない。

これは、起業や民間企業の方が
収入が多いからです。

国家のために仕事をするよりも
金儲けが優先する。

日本も、金銭万能主義に侵されて
きたのでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
国益より私益、まさに利己的な遺伝子の本能の結果ですね。
当たり前と言えば当たり前だと思いました。

お礼日時:2022/09/07 02:51

それを低学歴化と呼ぶのは間違いです。

旧帝大卒に期待する能力と,それ以外とは当然異なります。官僚が旧帝大卒だけで占められているとしたら,そちらの方が危ない。学歴はどの大学を卒業したかは関係なく,低学歴者と呼ぶのはおかしいですが,旧帝大卒とそれ以外とでは人の種類が異なる可能性はあります。我々大学人も,東大・京大以外の大学の教員人事でそこの大学卒だけで教員を占めるなんて愚かなことはほとんどしません。やはり他の血を入れないと発展は無いからです。東大卒が国家公務員を目指さなくなってきたのはひとつの明るいニュースですよ。東大以外の旧帝大からも少なくなってます。霞が関はどんどん良くなっていくのではないでしょうか。
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東大生は、その時々の隆盛を誇る企業・業界に群がり、30年後にはその組織の中核になるが、その時、その企業は深刻な大企業病に犯され、革新性・発展性を失って衰退・消滅の道を辿ることが多い。



戦後の石炭産業がその代表で、多くの巨大石炭産業は、革新も改革もできずに衰退した。金融業界も似た道を辿りつつあり、霞が関もその一つになったということだろう。

ノーベル賞受賞も取り始めた頃は京大ばかり目立っていた。今も東大以外からの受賞が目につく。これも東大生に革新性が乏しい証拠のひとつだろう。

「東大にあらずんば人にあらず」とは言い得て妙だ。平家と同じように東大生が群がるところは、ほどなく衰退・滅亡の道を辿ることを意味している。
現代風に言えば、多様性を失った組織は発展性も失う。そういうこともあるだろうか。

中央官庁に倒産はないが、東大生が群がらなくなったということは、それだけ中央官庁に魅力がなくなったということだろう。少なくとも東大生にとっては。
しかし、官僚組織の東大比率が低下したということは、逆に組織の多様性が現れ始めたということでもある。

官僚組織の上の方は、まだまだ東大閥が強いものの、数十年後は官僚組織も風通しの良い多様性文化が浸透する可能性が出てきたということだろう。

日本のためには良い兆候だと思う。
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安倍内閣以降高級官僚の人事権を内閣が持つようになって高級官僚は中級官僚に格下げされた感があります。

官僚が自分たちの人事権を持たなければ単なる使用人なので職場としての魅力は半減です。また、天下りの旨味がなくなり老後保障もありません。

現役時代はサービス残業過労自死パワハラブラック職場(全く問題にされません、自死は秘匿されます。)、幹部職員は素人無知無能大臣、政務官に怒鳴られ、威張られ、親の家相続なければ一生借家住まいの薄給。
単なる事務労働者の職場で高学歴の職場ではなく、いわば工場労働者です。

われら富士山、周りは並びの山(エリートの中のエリート)・・・・かっての大蔵官僚の意識だとTVで政治評論家が紹介していました。
富士山も子供の作った砂山になったのでしょう。
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単純に、東大の人がなりたがらなくて離脱してるのでは?


キャリア官僚なるより起業するなりした方が、儲かるし、自由度が全然違うし
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