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白河上皇の時代に荘園が取り締まられて、収入減に焦った家主?たちが武力で周辺を支配しようとし始めたのが、武士の発端でしょうか?

質問者からの補足コメント

  • 荘園が取り締まられるよりもずっと前から、武士は発生していたということですか?

    No.1の回答に寄せられた補足コメントです。 補足日時:2023/01/24 10:37

A 回答 (4件)

違います。

武士の発祥は院政以前です。
原理主義的な意味での武士は、承平天慶の乱すなわち平将門の乱や藤原純友の乱鎮圧の功労者の子孫です。
原始的武士はそのころ発生ということで、摂関政治の初期段階において武士は発生していたことになります。
武士の発生は、国家が直接武力を持つことを放棄して武のアウトソーシングをしたことによります。当然、その下地になる武装組織が存在したわけで、それは地方の治安の乱れにあります。朝廷が地方を税の収奪地としかみなさなくなり、治安維持に関心が無くなったことで武装化して自分の土地を守ろうとしました。国司も私的に武装しており、強引に収奪を行うことも度々。国司と地方豪族が戦って国司が殺される事件も発生しています。
こうして、国司が引き連れた中央の武装組織と地方豪族が融合したのが武士となったのです。中央の武士は武芸を家芸とする下級貴族で、衛門府や近衛府など朝廷の軍事部門にも所属しているのが普通でした。地方豪族の武士は、中央の武士と婚姻関係を結んで関係を強化しました。
こうして摂関政治期に発生した武士を、白河院は北面の武士として自らの警護に登用したのです。
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この回答へのお礼

詳しく教えていただき、みなさん、ありがとうございました!

お礼日時:2023/01/28 09:16

補足


武士の始原を「農民」とするのは非常に誤解を招きます。
武士となったのは、自ら田畑を耕す「農民」ではなく、「農民」を雇って広大な農地を耕させる大農園主です。
確かに身分上は庶民ではありますが、彼らは古代豪族の子孫、国司やその随身(国司に私的に雇われて国司の仕事を補佐した実務担当の文官や武官)の子孫です。
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>荘園が取り締まられるよりもずっと前から、武士は発生していたということですか?



そうですよ、武士のおこりは諸説ありますが、白河上皇よりももっと前から武士は発生していました。そのうちに平将門のように関東を席巻する反乱軍の武士団もいましたし、その反乱軍を鎮圧するための武士団もありました。

下記のページは小学生向けですが武士についてコンパクトに書かれています。

武士はどうやって力をつけたか(簡単ページ)
https://www.tamagawa.ac.jp/SISETU/kyouken/kamaku …
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違います。



平安時代には貴族や寺院などが大規模な荘園を全国各地につくります。
ただ当時の支配層は全国各地の治安を守るすべをもっていなかったのですよ。

そのため全国各地の荘園は自衛する必要が生じます。そのために武士が生まれたのですよ。
この回答への補足あり
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