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 江戸時代、敵討ちの範囲は『父母や兄等尊属の親族が殺害された場合に限られ、卑属に対するものは基本的に認められない』となっていたようですが(ウィキペディアより)、
(Q)どういう理由で、目下の者の仇を討つのはダメだったのでしょうか。

A 回答 (5件)

儒教思想だと思いますよ。


1973年までは刑法200条に「尊属殺人」という項目があり(自己又ハ配偶者ノ直系尊属ヲ殺シタル者ハ死刑又ハ無期懲役ニ処)、普通の殺人罪より重い量刑を科していましたし、逆に「卑属殺人」は特に規定が無いながら、軽かった印象があります。
こういう思想体系ですから、武士の掟として尊属を殺されたものは仇を討たないといけないとされたのでしょう。

ただよくしたもので、例えば息子の仇を父親が討つ場合、名目的には幼い甥や姪や孫が仇討ちの名目人になり、父親は助太刀として仇を討つなどはあったようで、有名な荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘も渡辺数馬が兄の仇を討つという逆縁になりますが、名目的には主君の池田候の上意を受けてという上意討ちになります。
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この回答へのお礼

尊属殺人というのがありましたね。ありがとうございました。
仇討ちの許可もいろいろ裏道抜け道があったり、また許可をもらった方が悲惨なことになったり、大変だったようですね。

お礼日時:2007/10/09 14:45

仇討ちの届出をして、認められて、旅に出たとします。


その間の知行は、もらえないので、「ていのいいリストラ」です。
成功率は、著しく低く、こちらの資料では、1%と、ありました。
永年、務めてきた、中高年にその仕打ちは、あまりにも、酷いからでは、ありませんか。
最長の記録が53年と、ありますので、実質、若くないと、仇討ちは、無理でしょう。
下の者の仇をとっては、いけないというのは、ある意味温情だと思います。

参考URL:http://homepage2.nifty.com/kenkakusyoubai/zidai/ …
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この回答へのお礼

>ある意味温情・・・なるほど、ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/10 13:49

簡単に言えば「目下の者を守るのは武士たるものの勤め」だからでしょう。



どういう状況であれ、守るべきものを守れなかったのは「士道不覚悟」です。その敵討ちを認めるとなると、自らの心得不足を仇に転嫁することになる訳ですから、武士を束ねる幕府として認める訳にはいかないでしょう。

また、「目下の者」の仇をいちいち討っていたら、きりがない(その気になれば「弟分」だの「家士」だのいくらでも範囲が広げられる)でしょう。
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この回答へのお礼

>「目下の者を守るのは武士たるものの勤め」
・・・ハハーン。ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/09 14:40

最近は裁判制度は家族の報復感情満足させるものという頓珍漢な理解は多いが、明治以来の日本ではあだ討ちや決闘は禁止です。

子が殺されて親が報復するのはあだ討ちじゃない。質問のように親の仇討ち(かたき)です。

幕末ペリー来航の混乱期、中年になって仕官した優秀な奉行がいたがかれが若いころから神童といわれてもくすぶっていたのは祖父が隠居しなかったから。世襲制度は問題も多いのだが同時に3世代就任できないから公平保つのに役立った。戦後の地方の市役所や役場や農協はもともと世帯ごと収入の公平の面あったが、ごねれば夫婦で共稼ぎ可能ってことになってネポティズムと職員レベル低下が進んだ(3世代同時に勤務もあるかも)

江戸期の日本では武士の「親の敵討ち」は届ければ合法(お咎めなし)だったというだけです。明治になって廃止された。
http://www.cc.matsuyama-u.ac.jp/~tamura/adauti.htm

武士は労働の義務がなく藩から収入得る特権階級です。藩内では山内派(上士)に差別された長宗我部系(郷士)の坂本竜馬も地元では農民支配する特権階級。
関東武士は農民大切にしたことで知られるが支配する=保護する=互いに利益ってわけです。1年交代でいなくなる支配者なら収穫ぶん取って次の支配地に移動だが密着すれば長期的展望持てる。
鹿児島(薩摩武士)は幕府にいじめられたせいもあるが河川改修などに動員され武士=土木技術者です(^^) 明治期の近代化には貢献して男の6人に1人は士族になったほど(土佐藩や肥後藩は暗殺合戦したから人材枯渇した)
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

お礼日時:2007/10/09 14:39

公式には儒教の忠・考の実践として許されるということでしょう。


本音としては目下の者の仇討ちまで許せばいつまでたっても仇討ちのサイクルが続いてしまいかねないからでしょう。
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この回答へのお礼

なるほど、ありがとうございました。

お礼日時:2007/10/09 14:38

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