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三国志の呉の軍師や総司令官的な人たちって、小説や漫画などの中では諸葛亮に手玉に取られていつも煮え湯を飲まされる感じですが、史実ではむしろ、劉備を受け入れ利用し土地を貸して擁護してうまく利用していたのですか?

A 回答 (6件)

孔明は偉大なる政治家であり、乱世の戦略家でもある。

実戦の指揮をするようになったのは劉備死後に軍権を握ってからだが、規律を重視して兵を鍛え上げることに人一倍熱心であり、戦い方は戦略重視であったが、実戦指揮の作戦・戦術は至って正攻法で奇策は好まなかった。

魯粛は孔明より10歳くらい年上だが、この二人は非常に考え方が似ていた。国家戦略として孔明は魏蜀呉の天下三分の計であり、魯粛は魏呉の天下二分の計だった。また兵の扱い方は魯粛も規律を極めて重視していた。
この二人は赤壁の前に出会っているが、初対面で互いの人物がわかったのだろう。いきなり意気投合して初対面のその日にかなり長い時間を二人だけで話し込んでいる。

二人の国家戦略上の違いは、孔明が漢の復興を目指していたのに対し、魯粛は漢に見切りを付けていたということだ。
儒教的観点からみれば孔明の方が評価が高いが、時代を冷徹に見据える眼では明らかに魯粛の方が上だったことになる。

いずれにしても、赤壁以後しばらくの展開については二人の方向は一致していた。劉備はもちろん、孫権にしても、曹操の力にはまだまだ遠く及ばないので協力し合うしか道はないということだ。
魯粛がその決断を下したのは孔明の存在だ。孔明のようなしっかりした人物がいるのなら劉備の利用価値が大きいと判断したのだろう。

周瑜や呂蒙は武人だ。孔明が文人として有名でも軍事的には赤壁の頃はただの青二才でしかない。この二人は劉備は小さいながらも当面の役には立つ同盟軍でしかなく、適当にあしらっておけば良いと思い、事実そうしようとした。

しかし、周瑜は早逝してしまったので、軍部でも魯粛の存在感が大きくなり、傍目には過剰なほど劉備を優遇していくことになる。

劉備が蜀を奪った後は、さすがに孫権軍と劉備軍が一戦交えそうになってしまったが、ここでも魯粛は魏を見据えて譲歩して蜀との同盟の維持を選択した。
そして魯粛も早々に死んでしまった。
もう少し孔明と魯粛の不思議な関係がどうなったのか見たかったが残念だ。

ここまでは、ほぼ両者の思惑通りの進展に近かったと思うが、劉備・孔明側がより大きい利益を得たことは間違いない。
それを煮え湯を飲まされたと評価されてもやむを得ないのかもしれない。
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歴史は勝者の支配者が創る物です、支配者の事を列記したのを、


支配される側の庶民が読んで面白い訳が有ろうはずが有りません。

西晋の 陳寿 (233~297)が三国志として書いた歴史書です。
それを、明時代初期の羅貫中がフィクションを織り交ぜて「三国志演義」
という小説にしたものです、原本は無くなっていて、色々な写本が有って
現代は毛宗崗親子の写本が広く中国で読まれています。

立間祥介が日本語に翻訳しました、吉川英治が日本人に解りやすく
小説「三国志」として書きました、吉川英治の三国志を漫画で
描いたのが横山光輝です。

陳寿の三国志には桃園の園も、絶世の美女の貂蝉も登場しません、
天下三分の計は魯粛が考案してます。
そして、戦いは劉備玄徳が行い、諸葛孔明は内政に携わっていて戦いに
赴くのは劉備玄徳が亡くなってからです、極めてつまらない物です。

三国志演義は主役は義の人、関羽雲長で諸葛孔明は智の人として
二番手として書かれています。
諸葛孔明を主役として書いたのが吉川英治で、チョット違います。

羅貫中の三国志演義は史実7割フィクション3割と言われてます、
主役(関羽雲長)と悪役(曹操猛徳)がいて、道化役(張飛翼徳)が
いる、現代の映画の作りの基本が、そこにあります、此の事が、
500年の長き事読まれ続けられている、要因と思います。
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>劉備を受け入れ利用し土地を貸して擁護してうまく利用していたのですか?



うまくかどうかはわかりませんが、利用しようとはしていたでしょうね。
そもそも「赤壁の戦い」だってヒーローは周瑜です。
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小説家


見てきたような
嘘を書き

季語がありませんが、
今日の佳き日に免じて
ご容赦下さい。
連用形にする所に
才能の端が見て取られます。
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あくまでも小説です 史実ではありません。


三国志演義 の演義は史実を面白くふえんした 通俗小説
劉備ですら 史実と演義の人物像が混在しています
正史を編集した物の意向も反映されていますから
ご自分で付き合わしてご推察ください
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史実が不明です


三国志の小説も複数あり、どれも史実とはかなり違うようです
つまりはっきりとは分かっていない
従って今現在は何でも言い放題です
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