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三国時代の呉の君主孫権は
疑い深くなった聞きますが、
それを含めて老化の影響というのはどのようなものだったのでしょうか?
陸遜

A 回答 (3件)

国会図書館のサイトから


「呉 歴史」で検索すると、4件Hitしましたが、
1.爆笑三国志/3/シブサワ・コウ/光栄/1998.5 
2.呉ノ歴史/笹本毅/〔笹本毅〕/1994.11 
3.回顧と展望/2/呉史談会/1988.7 
4.図説呉の歴史/金指正三/国書刊行会/1981.10
更に、「呉」で件名に「中国 歴史 三国時代 」を入れて検索すると、184件Hitします。その中で、
1.三国志人物事典  小出文彦∥責任監修
出版地 :東京
出版者 :新紀元社
出版年月:1999.1
資料形態:392p  21cm  1900円
シリーズ名: Truth in fantasy  43
件名  : 三国志演義/ 中国―歴史―三国時代
ISBN:4883173100
NDLC: GE273
NDC : 222.043
請求記号:GE273-G35
2.三国志全人名事典  『中国の思想』刊行委員会∥編著
出版地 :東京
出版者 :徳間書店
出版年月:1994.11
資料形態:443p  22cm  3500円
注記  : 『<正史>三国志英傑伝』別巻
件名  : 中国―伝記―辞書/ 中国―歴史―三国時代
内容  : 関連略年表:p431~443
ISBN:4198602042
NDLC: GE12   GE273
NDC : 222.043
請求記号:GE12-E12
3.三国志英雄の謎と真実  守屋洋∥監修
出版地 :東京
出版者 :青春出版社
出版年月:1999.2
資料形態:236p  15cm  476円
シリーズ名: 青春best文庫  
件名  : 中国―歴史―三国時代
ISBN:4413084055
NDLC: GE273
NDC : 222.043
請求記号:GE273-G33
この本あたりに記載されているような気がするのですが・・・?

ご参考まで。

参考URL:http://webopac2.ndl.go.jp/ows-bin/search.cgi?MOD …
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この回答へのお礼

いつもお返事ありがとうございます。
参考になりました。

お礼日時:-0001/11/30 00:00

疑い深くなったというか、周囲の諫言を聞かなくなったと言うか・・・。


皇太子に立てた長男(孫登)が若死にし、その後、新たに皇太子を立てる(孫和)のですが、その弟に当たる魯王(孫覇)を溺愛して二人を同等に扱いました。多くの臣下が立場をハッキリさせるべきだと諫言したにも関わらず孫権は魯王を可愛がり続けました。そんな状態になったもので、皇太子派と魯王派が対立してしまい、呉の朝廷が荒れました。
最終的には孫和は廃立後、自殺させられ、孫覇も自殺させられ、末息子孫亮が皇太子に立てられ、二代目皇帝になりました。ちなみにその後も呉皇室は荒れます。蛇足で孫和vs孫覇の時、諫言を繰り返して失脚・死亡した臣下も多く、その中には陸遜も含まれます。
元々疑い深い性格はあったらしいですが、晩年になって、それが顕著になったらしい。更に寵妃や愛児の言葉に惑わされる面も出ていったそうです。
詳しくは「正史三国志・呉書・呉主伝第二」をどうぞ。
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はじめまして。

孫権好きが高じて、趣味で(苦笑)二宮の変を研究している者です。

wenwuさんのご回答ですが、若干事実誤認ではないかな?という記述が見られましたので、失礼かと存じますが訂正させていただきます。

・皇太子・孫和は廃立後自殺させられた。

孫和の自殺は孫権死後の253年、諸葛恪誅殺事件に絡んでのものであり、二宮の変が直接の原因になったわけではありません(孫和の正妻・張氏が諸葛恪の姪だった)。
ただ、諸葛恪誅殺事件そのものに、二宮の変の影響がある程度あった可能性は否定できませんが。

孫和に対する処断は、少なくても孫権にとっては、250年に庶子として故ショウ(「ショウ」は「章」におおざと)に強制移住させたのち、252年に南陽王として皇族に復帰させたことをもって終了していると見るべきだと思います。

さて、ご質問の内容は「孫権の老化による影響はどのようなものだったか」でありますが、そもそも、この時期の孫権の行動を理解できないからと言って、「老害」の一言で済ませてしまうのはどうなのかなと、私は常々思ってきました。論理的に考えていくと行き詰っていくような考察ならば、日本語訳が間違っていたり、陳寿が「呉書」執筆時に念頭に置いていた前提条件そのものが間違っていた可能性をも考慮に入れるべきだと思います。

参考には、ちくま訳の「正史三国志」内で書かれた「陸遜は流刑された」の一文が誤訳である可能性が高いとの内容が論議された掲示板のスレッドをご紹介します。
私もその後、ちくまの「三国志・呉書」を再読しましたが、状況証拠から考えても陸遜は99%流刑になどなっておらず、それどころか丞相の任すら解任されていないのではないかと考えています。つまり、孫権にとってはその程度の「軽い」問責だったのです。

市販本では、二宮の変に絡んだ孫権の正しい系図にお目見えしたことがないのですが、長沙走馬楼呉簡の研究も着々と進みつつある今、もっと真剣に呉の考察に取り組んでいる文章に出会いたいものだなぁと思っています。

以上、一孫権ファンからの愚痴でした^^;

参考URL:http://www.tpot2.com/~sunshi/ctk/c-board.cgi?cmd …
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