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そう言えば、フェイスブックの、文学・小説に関するコミュニティ内で、

自分が小説作品や読書感想文を投稿している時以外、
他者のスレッドへのコメント時は「うむ。」とか「くだらない。」とか、超単調なコメントや、
誰かに対する暴言吐くか罵倒するかのコメントしかしないような年配者を私は何人かブロックしましたが。

その人はもしや、長い小説や感想文は、某サイトの他人の文章をコピペしたりはしてないだろうか?

酷ければ、ずっと前『サイトに載せた、あの小説は2ちゃんねるのコピペ以下でしたよ。』

なんて話も、ヤフー知恵袋とかの質問サイトでは聞いた事があります。

A 回答 (1件)

どういう質問なのかはっきりとは分かりませんが、情報としては面白いなあと思いました。

そういう人をどう捉えるべきか?と言う質問と解釈します。

以下は長いので興味があればお読みください。

その話が事実であるとするならば幾つかの示唆があると思うんですよ。

・年配になってもそんな調子の人間がいる
 加齢によって素敵な大人に成れるという保証はない。

・自分が年を取った時は笑えない状況に成るかもしれない。
 そうであるのに自分は気づかないだろう。

・自分の憧れとは違う大人になっても諦めきれず、ズルとわ
 かっていてもズルをするようになる。

こうなってしまうのは「自分の力で成し遂げる」事を諦めてしまうからだと思います。私は音痴を治したことがあります。音痴だった時はプロ歌手を相手に(上から)「ああだこうだ」と適当に語っていました。

歌が自慢であるという人が嫌いでした。そのくせ、職場カラオケで歌うとなると生きた心地がしませんでした。歌自慢に助けを求め、その時は感謝の言葉を述べる。しかしその後で(心の中で)「偉そうだった」と恨み言を言うんです。最低です。

「それは自分で成し遂げる事を諦めた罰である。刑罰の名は
 『嫌な自分を満喫して人生楽しくないと感じる刑』だ」

このままじゃ不味いと思いまして(いろいろ理由もあったんですが)本気で音痴を治そうと頑張りました。いまは歌うのが好きで他人が歌っていても乱入するくらいです。

「いやあ諦めないで良かった。生きてて良かった。他人の歌
 なんてどうでもいいや。俺の歌を聴け!。いやそれもどう
 でもいいや。俺の口からこんな綺麗な物が出るなんて。
 今でも実感わかない。嬉し過ぎて死にそうだ」

となりました。

絵もかきますし。プログラムも組みます。発明もやります。文章も書きます。歌も歌います。色んなテーマで色んな事を考えるのが好きです。そのどれをとっても「君には才能が無い」と(その道の先達に)言われ続けてきました。諦めろと。

しかし大体の物は3年も頑張っていれば突破できます。「他人や自分に黙されて自分を諦める」のは勿体ないです。そして世間を恨んでも仕方がないですよ。恨み続けている間も寿命が無くなっていくからです。

「下手の横好きでも年月が経つと凄い事になっている。つま
 りそういう未来に結び付く事に執着するべき。積み上げが
 全く無い物に時間を割かない事だ」

私が好きな言葉は「天上天下唯我独尊」です。自分で自分に感動する以上に素晴らしい体験は無いですよ。他に気を取られていると生きている時間を無駄にします。

これは確実だと思いますが「才能あるとチヤホヤされる人」は「他人に褒められる快感」をショボいと感じているはずです。自分から出て来る「美しい何か」に対して感動するほうに夢中になっているからです。

「これ・・・俺がやってるんだよな? すげー」

と言う快感は「人に褒められる」快感の数百倍以上だと思います。

「ズルをして誰かに褒められるショボい話に寿命を使ってい
 ていいのだろうか。3年もやれば、自分に感動できるのに」

そう思って成し遂げた人は「俺ってスゲー」っていう感動と「他人にも褒められる」というショボい方の快感も同時に手に入れています。どちらかではなく両方です。

「ショボい方でも欲しいんですよ。持ってる人に言われたく
 無いです」

「でもそのショボいほうを不正で手に入れたら、不正がバレ
 るのじゃないかと不安に思う気持ちで苦しくないか?
 何せ快感の方がショボいんだから。不安の方はデカいぞ。
 収支でマイナスだろう?」

収支でマイナスだと思いますよ。

「自分ってなんでこんなに汚いのだろう?」

こんな思いを抱えて人生を塗りつぶしていいのでしょうか。

私は音痴に関して嫌な自分を沢山味わいました。人生の中で音楽と言うキーワードが出てくるたびに嫌な自分スイッチが入るんですよ。これのお陰で相当損をしました。考えないようにする事は殆ど無理です。結局は「嫌な自分に成る切っ掛け」を日常から減らしていくしかないようです。

「不正が出来ないかと考える人と不正を暴こうとする人を
 置き去りにする。どの道、お互い最後は死ぬ。これが俺
 の人生なの?と言って哀しんで死ぬ運命だけはだめだ。
 他人の人生を見聞きしてああだこうだと考えている間に
 年を取るんだ。一切無視するべき。3年我慢して自分に
 感動する。こういう方針に転換するべき」

天上天下唯我独尊と言うのは「自分勝手」とか「クール」と言う話ではなく「自分を諦めると寿命を損する」「嫌な自分を満喫する刑ほど苦しい物はない」と言う助言なんです。

例えば、

貴族が芸術家のパトロンとなって絵を描かせていたとしましょう。そこで働く絵描きは「絵を描いてお金を貰わないと生きていけない」可哀そうな人なのでしょうか? もしもその貴族が自分でも絵を描けると気づいたら? 恐らく全てを捨てると思いますよ。それくらいの幸福感を感じるんです。

声のいい人が配信などでサービスをしているでしょ? 可愛いとか声イイねとか上から評価してどうするんです。サービスしている人も「うわ、今の可愛かった。私スゲー」って感動しているんです。同じ人間であるのにこれほどの違いがある。それを許していいのか? 他ならぬ自分が可哀そうです。

「これは不正じゃない」「いや不正だ」「ごめんちょっと練習してくるのでやってて」という3種類の人間が出てきてしまうんです。是非とも最後の人になりたいですね。

「自分に向いている物を探して色々トライしました。何も
 特技が無い自分に絶望しています」

「いやそれ皆そう成るから。3年我慢しなよ。人生ドレダケ
 無駄にしたのよ」

音感全くない音痴であっても「プロに転向したらどうか?」と言われるくらいまでになると思います。高校から始めましたって人が3年部活をヤッタダケデ「プロを目指したい」とか言い始めるわけです。3年と言う年月がどれほど貴重か色んな人が証明しています。

「3年頑張ればいいとしても、やる気になるまで一生かかる
 のが俺なんだよ」

「んじゃ。自分は不幸だと言って世間を恨むのは辞めてくれ。
 究極の自業自得なんだからね」

こう言うのはダメですよね。

「排泄するくらいの感覚で芸術作品を量産できる力を手に入
 れた人が『盗作してまで褒められたい』という人を見てど
 う思うか?僕の○○〇でいいならどうぞ。そこまで思いつ
 めるなんて気の毒でしょうがないです。それより僕は痔が
 悪くて定期的に来るトイレが怖くてしょうがないです」

「早く治しなよ」

「嫌だ。一生誤魔化して生きる」

この様に感じるはずです。

盗作について腹を立てる人(作者)は「量産できる自信が無い」んです。また「盗むしか手はない」と考えた人と「自分の幸福度」を比較したことが無いんです。人間がみな平等であるならば哀しい話でしょう?

ただし、そういう迷いが生じたことは誰にでもあるでしょう。つまり「作れるようになった」人でさえ「自分を諦める」瞬間があるんです。

「これ以上の物は俺の人生で二度と作れない」

こういう気持ちになったクリエーターは盗作をする人を懲らしめようとし出します。排泄物に近い程度のものであると認知している人はそう成らないんです。つまり「盛りを過ぎた」と自信を無くすのも「自分を諦める」物の一種なんでしょう。

「どちらが上か下じゃない。そうやっている間に見れたかも
 しれない世界、見れたかもしれない視界が見れなくなる事
 が本当は怖いんだよ」

有限の時間の中です。「どういうものを見れたのか?」については個人差があります。少しでも多くの物を見物しようとするべきです。「もう疲れたので今度でお願いします」なんてのは人生だけには通用しません。

「3年我慢した人なんて無数にいるよ。自分だけはそうじゃな
 かったなんて事に成らない様にしないとね」

物凄い数の人が「3年我慢して良かった」と思っています。だから「毒吐き競争」を避けるのでは無いでしょうか。良い事だとか悪い事だとかの話では無いんです。労力と寿命が勿体ないんですよね。

「写真をアップするのじゃなくて、イラストにしてから投稿
 するようにしたら良いって事?」

「そうそう。甘やかされているって事に気づいても依存する
 自分は止めれ無い物さ。それを逆手にとって自分を磨く何
 かを差し込む。楽しんでやっているだけなのにいつの間に
 か上達していく。こういう工夫は自分の幸福度に効いてく
 ると思うよ」

どうせ楽しむならYoutuberになって配信しようとか。どうせ食べるなら配信しようとか。苦しむならその姿を配信しようとか。そういう感覚も大事ですがシステムに依存したスキルではなく「自分だけに残るスキル」についても重視するべきでしょう。サービスが終わったら消えてしまうようなスキルは虚ろ過ぎて不安です。

「何が良いのか悪いのか」と言う論議で自分を騙してしまわないようにする事だと思います。「お前は出来ないが俺は出来る」と言う「変えようもない現実」が残ります。「自分も出来るようになるのか?」だけで物事を考えるべきです。すると(出来ない事が多くても)心が晴れると思います。嫌な自分を満喫しないで済むからです。

「俺の作品の盗作だって? そんなの俺だってできるよ。
 だが俺が書いてない作品は盗作できないんだろ?
 不自由だね。ちょっと待っててくれ。今作るから。
 さて俺に出来るか?」

是非、盗作される側に成りましょう。

以上、ご参考になれば。
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