アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

こんにちは!
先日ミリオンダラー・ベイビーを見てとても感動してきました。
そこでラストなんですが一緒に行った人に、「結局娘はどこにいるんかな?」と言われましたが・・・。

娘はレモンパイ屋の女主人ではないのですか?
モーガンフリーマンが実は娘に父親の近況を語った手紙を書いていましたよね?その中で、娘の名前が‘ケイティ’と出てきました。劇中に二人でレモンパイを食べに行くシーンで、お店の名前も‘ケイティの~’とあったと思うのですが。。。
ラストシーンは分かち合いたい娘が実は目の前にいるが、それに気づかない人生の皮肉さ・・みたいなのが表現されていたのかと思ったのですが。

一緒に行った人には「えー、ほんとにー?」と言われたのですが、私の思い違いでしょうか??
教えてください!

A 回答 (3件)

お店の名前は「アイラの~」だったと思います。



バッグに入れていた注射器が1本ではなかったような気がするのですが…。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

あれ・・?どうやらかなり激しく思い込みをして見てたみたいです。
注射器は私も1本ではなかった気がします。効きが悪かったときの予備かとも思いましたが・・うーん。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/08 20:55

先日私もこの映画をみました。

レモンパイはささやかな幸せの象徴であったと思いますが、娘がレモンパイ屋で働いてるというようには読み取れなかったです。。NO1の方の書いてるとおりケイティの店ではなかったです。
映画の冒頭からモーガン・フリーマンが語り手でしたが、それがケイティへの手紙の体をとったナレーションであった、ということが最後にわかる構成でしたね。でもいっしょに見に行った人とも話したのですが、あれが実際にケイティにあてた手紙とは考えにくい、そこで、娘ケイティに語るとしたら・・という体裁。もしくは、クリント・イーストウッドが亡くなって、なんとか娘の居場所をつかんだモーガン・フリーマンが彼女の父の生涯を語る手紙を書いた・・というふうにしか考えにくいと感じました。これは私の主観なので、自信なしです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
そうか・・実際に手紙のやりとりをしていたかは判らないのですね。。深いです・・!

お礼日時:2005/07/08 20:57

最初の頃、フランキーが自宅に帰るとケイティ宛の手紙が何枚も返送されてましたよね?


(スニーカーの箱に詰めていました)

それがマギーの入院につきそっている頃には、1枚しか戻っていないシーンがありました。

なので、フランキーのケイティへの後悔(毎日教会で祈る)が
次第にマギーへの親子とも恋人ともいえる愛情へ変わっていった―と
受取ったのですが、いかがでしょうか?

最後まで娘は現われない(登場するとマギーとの純愛?がぼやけてしまう)ですし、
ラストのレモンパイ屋は、フランキーが死を選ばずふたりの思い出とともに生きてゆく―
そんな余韻を語っていたのだと思います。


↓の質問は例の『モ クシュラ』の意味について、好回答をいただけたものです。
ご参考までに。
(「irish-saying」のサイトが役立ちます)

参考URL:http://oshiete1.goo.ne.jp/kotaeru.php3?q=1431980
    • good
    • 0
この回答へのお礼

深いですねー・・!
ぼんやりと見ていたので、かなり私の願望を込めて見てしまっていたようです。
パンフレットでも買って熟読してから、もう一度見に行きたくなりました。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/08 21:00

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!