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こんにちは。

今日、大阪地方裁判所で中国残留孤児の国に対する訴えが棄却されたというニュースがありました。

中国残留孤児は戦争当時の政府の、誤った政策の賜物だと思います。
国の命令で満州等へ開拓団として出向き、終戦と共に中国に残されてしまった日本人。
日中国交回復した後も積極的な帰国支援が行われなかったため、いまだに苦しんでいる方々が多くいます。

これは国の罪なんじゃないでしょうか?
私は「大地の子」を見て何度も泣きました。
残留孤児は戦争の被害者です。

一度棄却という判例が出てしまうと、今後の裁判でも同じような判決になっていくのでしょうか?

よろしくお願いします。

A 回答 (3件)

知人の中に、残留孤児の息子さんがいます。



両親に連れられて10年ほど前に日本に帰ってきたとの事です。  彼とはよく話をするので、今回の裁判は他人事とは思えなかったです。

原告である残留孤児の人や、知人のご両親に限らず、帰国してからの生活は苦しいものがあったように聞いています。

ある意味、当然と言えば当然かも知れません。 

理解できない日本語、慣れない日本の生活習慣、ものの考え方、人生のおくり方、周りの人との付き合い方、とにかく全てが中国とは違うのですから、大変な苦労をされたであろう事は想像に難くありません。

そのため残留孤児を産んだ直接の責任者である日本政府に抗議したくなるのも当然だと思われます。

ただ昭和56年、初めての残留孤児の肉親探しの調査が行なわれてきてからの政府の対応をみると、一応それなりに評価しなくてはいけないようにも思います。

当時の厚生省が必死になって肉親探しを行ない、運よく家族が見つかった場合は、法務省や外務省に掛け合い、早期に帰国できるよう万全の体制をとっていたように思います。

また帰国後のフォローも 「それなりに」 キチンとしていたように思います。

空港に着いたとたん、 「私たちの仕事はここまで。  じゃ、あとはご自分でがんばって下さい」 と放り出す事は決してなかったです。

日本の生活に早く馴染むよう、一から指導してくれる研修センターで生活しながら勉強してもらい、徐々に独立できるよう支援をしていたはずです。

ただ個人個人で日本に馴染める人と、そうでない人と大きく分かれてしまったのも事実だと思います。

私の友人一家などは早く馴染んだのでしょうね、今では何の問題もなく生活し、キチンと仕事をして自分の力で独立しています。  もはや中国は過去の記憶になっているようです。

逆にそうでない人の場合は悲惨だと思います。  昭和56年の調査で最初に残留孤児として帰国した人の中でも、日本に溶け込めず 「中国にいる方が良かった」 と後悔する人のドキュメンタリー番組を見た記憶があります。  たしか最後はアル中になって病院に担ぎ込まれたはずです。

中国にいる時には日本は夢のような国で、とにかく日本に帰国さえ出来ればこの世の極楽だと、大きな誤解があったのかも知れません。  当時の中国の一般市民の生活レベルではそう思うのも無理はありませんが ・・

長くなりましたが、本当に気の毒とは思うものの、では日本政府に全責任があるのかと問われたら、判断は難しいように思います。

賛成するわけではないのですが、残念ながら今回の判決は 「考え方によっては、そう言われても仕方ない」 範囲かな、と感じています。

それと今後の裁判の行方ですが、地裁の判決に必ずしも影響を受けるものではありません。  もしかすると高裁では原告全面勝訴の判決も期待できるのではと思います。

ただ国を相手どった裁判について、最高裁の過去の判例をみると、どうも国寄りの判決が出やすい傾向があるように思いますので、予断は許しません。
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この回答へのお礼

>ただ個人個人で日本に馴染める人と、そうでない人と大きく分かれてしまったのも事実だと思います。

本人の努力と、受け入れた家族の状況、いろんなケースがあるんでしょうね。
生活習慣の違い、考え方の違い、中国と日本の常識の違い。。
なかなか馴染めないことも多いでしょうね。
一人一人事情も違うので、一律に補償。。というのは難しいことなんでしょうね。

いろいろ考えさせられました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/07 21:59

まず、中国にだけ残留孤児がたくさんいた根本原因から。


一つは、ソ連軍の侵攻による虐殺や離散で、もう一つは、当時の中国の人身売買という慣習です。
後者は、触れられないし語られませんが、当時の中国では子どもは財物の一種で普通に売買されていました。今では、一人っ子政策などで中国もかなり社会が変わりました。
それでも地方では売買婚などの習慣がまだ残っているようです。当時の避難民たちは生死の境で、子どもを売ったり預けたり略奪されたりしたわけです。
昔の満州の状況は別途調査が必要ですが、本来あの土地は中国で「化外の地」と呼ばれ蛮族が住む土地、とされていました。

ですので当時の日本政府の責任としては追及できないと思います。(戦争を開始した、といった話であれば全然違う論点になりますが)
次に国内での対応ですが、No2の方も書いてあるとおり、ある程度機能するフォローがあったようです。
ただ、いかんせん育ちが中国でしたので基礎学力にも差がありますし、日本に馴染むにはそれ相応の努力が個人にも必要になります。道徳律の違いから簡単に盗みなどに走る方もいらっしゃったようですし、そうなった後は逆に日本人は犯罪者に冷たいところがありますので、ますます馴染めなかったのでしょう。(今回の裁判の原告がそうだとはいいませんが)
個人的には10年も20年も居て、馴染めないのは個人にもその責任があると感じますし、過去に生活保護など安易に国からの支援を受けすぎたのも一因かと思います。
裁判については、自身が新しい証拠など提出できれば先の判決には影響無いと思いますよ。
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この回答へのお礼

そうですね。残留孤児といってもいろんなケースがあるわけで、一律に補償。。とはいかないでしょうね。

人身売買。。恐ろしいことですね。
中国、特に地方は貧しさから自分の子供さえ売り飛ばしてしまうんですね。
まして、日本鬼子だった残留孤児たちは売られてしまうのは当然のことだったんですね。。

戦争って本当に不幸な人間を生んでしまう、今後はあってはならないことですね。

いろいろ勉強になりました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/08 22:17

そもそも戦争というものは、国家や国民に非常に大きなダメージをあたえるものです。


死や大怪我や家財産の焼失、家族分断などなど

その被害者が、国にお金を求めても、それを払える国なんて無いでしょう。
戦争終結時に日本は言葉のとおり焼け野原だったのです。
日本だけに限りません。

植民地を持っていたヨーロッパ、戦争で強大国となったアメリカ、アフリカ、アジアなど世界中で悲劇があったのです。
むかしからそうです。源平の合戦でも応仁の乱でも大坂夏の陣でも。

その被害者が、それを弁償するように求めても、無理でしょう。それが戦争というもので、だから戦争はしてはならないのです。

日本政府は、残留孤児だけにお金を払うわけにはいきませんので、払うとなると被害者みんなから訴訟をおこされてみんなに払わざるをえなくなります。だから、最初から勝てない裁判なのです。
弁護士だけが美味しい想いをしたわけです。


残留孤児は、親が自分や家族、その子供の生命のためなくなく中国に残してきた子供です。
中国人はそれを受け入れ、子供を育てました。
ソ連が条約を破り突然攻めて来るという極限状態のなかで、命があっただけでも運が良かったと思います。
大勢の人が強制収容所出身のソ連兵に暴行され、死んでいきましたから。

当人達の境遇には同情しますが、それをけしかけて勝てない裁判をすることに疑問がわきます。
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この回答へのお礼

そうですね。。戦争被害者は残留孤児だけではないんですよね。
一人一人への賠償となるとすごい額になること、また一人一人境遇も違うため、一律に賠償。。というのも難しいんでしょうね。

弁護士は勝てると思ってやってるんじゃないんでしょうか?
もし勝てないとわかってて訴訟をするんだとしたら、ひどいですね。

やはり戦争はしてはなりませんね。
中国や韓国などの国の、日本は戦争加害者でひどい国だ!。。という反日がすごいですけれど、日本の中にも戦争の被害者がたくさんいるんですものね。

いろいろ考えさせられました。ありがとうございました。

お礼日時:2005/07/07 20:36

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