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今週、先週あたりの「テレビのチカラ」で重い心臓病の少女が
テレビを通じて手術費用の募金をお願いし、皆さんの協力により
募金も集まって無事に手術が受けられるようになった話がありました。
とても感動的で、少女本人、家族の方々の涙に心うたれました。
一人の少女の命が助かり、とても素晴らしい話なのですが
実際問題、この少女と同じ病気の方も大勢おられることでしょう。
また、病名は違うものの手術費用が集まらずに・・・。というような
方も大勢おられると思います。そういう方がその放送を見て
「じゃあ私も」となった場合、この番組は応募されたそういう方全員を
助けてくれると思いますか?一人目はいいが、二人目以降は放送に取り上げない
などとなると、不公平を感じてしまうと思うのですが。命の問題ですし。
早いもの勝ちで助かる人。助からない人。こんなことあっていいのかなぁと・・・。
一人の少女が助かった素晴らしさと、世の中にいる同じ状況の方の気持ちを
考えた場合の気持ちにモヤモヤしたものがあります。
アンケートみたいになってしまうかもしれませんが、みなさんはどうお考えでしょうか?
色々と批判なども、おありかとは思いますが皆様の意見を伺いたく。

A 回答 (6件)

私もとってももやもやします。


同じ病気の方がたくさんいるかどうかは分かりませんが。
こういった慈善っぽい番組に限ったことではなく、ニュース番組でもそう。
イギリスにアメリカ、イラクにダルフール。世界はもっと広いのに。それだけで満足。
メディアに取り上げら得れずに注目を集められなかった集団は、ほっとかれるしかない。
時間的、量的な限界があるのはわかりますが、それでもバランスが取れていないような気がする。
一見「慈善」番組や中立公正なはずのニュース番組であっても、視聴率を取れそうな話題をピックアップ、広告収入を取るわけです。
量的、時間的限界の範囲を超えて、質的にバランスが取れていないと思います。

番組内容を理由とした受信料支払い拒否が起こらない限りにおいて、量的、時間的限界まで、とことん質的なバランスを追求することが可能(原理的に可能という意味でそれが達成できているとは申しません)なのが、公営放送の良いところ。広告収入に経営判断を左右されませんから。

私は慈善ボランティアはとても良いことだと思いますよ。世間があまり注目しないような問題にまで手が届きますから。問題なのは市民のオピニオンをコントロールする、メディアの存在。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
とても共感出来るご回答でした。
おっしゃる通りだと思います。

お礼日時:2005/07/27 07:05

その通りですね。


しかし、この様な場で発言をしても番組には反映はされません。
ぜひ、直接番組に意見をだされてはいかがでしょうか。
chaomanさんと同じ意見を待たれている方は沢山いると思います。
その声が多ければ製作サイドも意見を無視は出来ないですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
チャンスがあれば投稿しようと思います。

お礼日時:2005/07/29 06:57

>一人目はいいが、二人目以降は放送に取り上げない


などとなると、不公平を感じてしまうと思うのですが。命の問題ですし。
自分の意見ですが、やはり「協力」がテーマなのでしょう。番組名も「テレビのチカラ」ですし。。もうどうしようもない助けてほしい・・・そして最後の望みとしてテレビに協力という手段を選ばれたのだと思います。ですので二人目以降は取り上げないというのはあくまでもその視聴者(本人)の問題でしょうか?プライバシーなどいろいろな問題もあると思うし・・・。もちろん命の問題ですので、これからも「テレビのチカラ」を通して本当に協力してほしいという方がたくさん出てくればテレビとしても放送してくださいというのが増えるのではと思います。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
そういう趣旨の放送になればいいなぁと思います。

お礼日時:2005/07/27 07:09

こんにちは、


私も知り合い(まだ10歳にも満たなかった)を難病で亡くした経験をもちます。
そのご夫婦はごく普通の家庭で、入院費を捻出するだけで精一杯だった・・。
他に助かる方法があったのではないかと今も悔いています。

世の中にはそうした状況におちいると「善意」に頼る方々もいますし、そうでない方もいる。安易に(もちろんそれぞれの事情がありますが)「募金」だの「援助」を無償で求め助かろうとする姿勢もどうかと私は思うのです。
ネットをちょいと検索すれば世界中に「善意」を求める声が見つかりますが、はたして本当にそれが最後の手段なのでしょうか・・。

TV番組などというものはそこに「ドラマ」があり「売れる」からとり上げているだけです。「TVのちから」にしても、放送されているのは応募総数のごく一部で、それがヨボヨボの老人だったらこんな構成はやらないでしょう。
たまたま余命が切迫していて、たまたま可哀想な少女で・・、それだけの事なのです。

このところの「超能力捜査ネタ」がマンネリ化してきたので、今度は救急モノという新ネタを加えたぐらいの事でしょう。
あといくつかはやるでしょうが、これもまたマンネリ化すれば消えていく企画です。

とはいえ、助かる命には素直に感激し応援するのも正しい事ではないかと思います。
「他がこうだから・・」、そんな理屈を持ち出すならば、すべての戦争孤児、すべての難病の子供、すべての捨て猫・・、キリがありません。
こうしたTV番組はやった者勝ち、そう思うしかないのでしょうね。
私も聖職者じゃあるまいし人様に支援するような余裕はありません、ただ 生活に余裕があるならば「ボランティア支援」もまた間違った事ではないと思うのです、たとえ「偽善」「虚栄心」からでた行為でも、救われる人がいるのは事実なのですから。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
お知りあいを亡くされた事、心中お察しします。
この件では全ての立場の方にそれぞれの事情や
言い分があると思いました。その立場毎で正解が
異なってしまう気がしました。

お礼日時:2005/07/27 07:08

テレビは決してまったくの慈善事業をしているわけではないので無理でしょう。



救う人もテレビ向きなドラマティックな背景があったり珍しい病気じゃないと「番組」になりませんよね。

また、そういうお涙頂戴系が好きな人がいるからそういう番組が成り立つというのもあります。

本当に慈悲の心があるなら身近で困っている人から助けていけば全ては繋がるはずなんですけどね。

偽善ボランティアがなくならないのもそのような理由です。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
やはり、番組制作の立場、視聴者の立場
応募された方の立場、その立場毎にそれぞれの
言い分がありますね。

お礼日時:2005/07/27 07:04

その番組は知らないのですが、すべてのモノが有限である以上、「あっていい」のかどうかではなく、厳然と有るものです。

感情論は排斥すべき問題であると認識することです。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
おっしゃることは判ります。
どうしても感情論を排斥して見ることが
出来ないんですよね。

お礼日時:2005/07/27 07:03

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