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火垂るの墓では二人が死んでしまうのですが、死ななくて済む方法はなかったのでしょうか?

A 回答 (8件)

死ななくて済む方法というか、あの状況であの二人に限らなければ、生き抜く方法はいくらでもあったと思います。

ただ、あの二人に限って考えるのなら、方法はあっても、それを見つける事が不可能だったんじゃないかなぁと、今は思っています。
あの映画は毎年必ず見ていますが、本当にやりきれない気持ちになる映画ですよね。。。せっちゃんは病気で死んでしまったのではなく、"栄養失調"で死んでしまったんですから。(ちなみに餓死したのではありません。栄養失調が元で、清太が食事を運んできても食べられなくなったんです) 現代では考えられない話ですよね。あの時せっちゃんを診た医者が、何も薬を与えず、「とにかく滋養をつける事」と言っていました。その滋養をつけるのが一番難しい状況だった事は誰もがわかる状況で、それでも赤の他人を救ってやれる程余裕のない時代だったから、それしか言う事が出来なかったんですよね。それに対して「滋養なんてどこにあるんですか!!」と叫んだ清太。。あれこそが、あの二人の魂の叫びだったのではないかと私は思うんです。あの二人は、あの二人に出来る限りの事を精一杯やったんです。特に清太は、恥もプライドも捨ててまで、妹を守ろうとしたんです。
あの知人の家を出る事を選んだ事は、正直、幼稚だったと思っていました。そこで我慢さえしていれば、妹を失い、そして清太自身の生きる希望を失う事もなかっただろうにと、悔やまれてならない気持ちでいっぱいでした。だけど、今年もまた映画を見て、そうじゃないのではないかと思ったんです。あの映画が言いたかった事は、"生活力のない二人の生き様"を通して、『懸命に、そして精一杯生きようとしても生きられなかった』という、戦争が生んだ悲惨な"時代"を映し出していたのだと思うんです。その"生きられなかった者"達のうちのひとつが"戦争孤児"です。戦争孤児の子供達が全て生きられなかったというわけではないだけに、清太達が選んだ道に「どうして我慢出来なかったの」「他にもっと方法があったろう」という意見は沢山あると思います。映画の中でも、「一言謝ってくれば」とうい意見が出てきました。あのおばさんもおそらく、清太達が謝っていれば、家にいさせてくれたのでしょう。
でも、それは大人になった今だからわかる事で、まだ年齢的にも未熟な清太達には、わからないのも無理はなかったんだと思うんです。
だから、前半で言ったように、「生き抜く方法はいくらでもあった。ただ、あの二人に限って考えるのなら、方法はあっても、それを見つける事が不可能だった」と思ったのです。清太がもう少し精神的に大人だったら、ああはならなかったかもしれない。でも、あの場で死ぬ気で生き抜いたのは、精神的に大人である清太ではなく、まだ若干十代の子供の"清太"以外の何者でもないんです。だから、あの二人に限っては、あれ以外の方法はなかったんだと私は思っています。未熟さ、幼稚さ、考えの浅さ、どうしても捨てる事の出来なかったプライド・・・、それらの全てが"清太"と"せっちゃん"だったんですから。
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この回答へのお礼

いろいろ考えさせられる物語ですよね。
皆様、回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/13 17:42

厳しいかもしれませんがあの2人は、どれだけつらくても、あの親戚のおばさんの所へいなくちゃいけなかったんです。

私なら、妹の為になら、辛い事も我慢します。あそこへいれば、少なくとも栄養失調で死ぬ事はなかったはずです。どれだけ嫌な家でも兄はもっと真面目にあの家の役に立つ為に自分に何が出来るかを考えなければならなかった。やられた事への仕返しは、自分が大人になってから考えればよいのですから。私には、兄はほとんどあの家の役に立つことはしていないように見えました。いくら親戚といっても、大金持ちでもない家庭に子供が2人増えて、色々な負担が増えないはずがないでしょう?多少でも恩を受けているのに、働きもしないで、タダでご飯を食べられるのが当然みたいな顔をされ、可愛げもないとしたら、誰にだって嫌われてしまうかと思います。兄は結構大きくなっていたのだから、妹が死んだのは兄の責任だと思います。
ちょっと頭のいい子だったらそれくらいわかるのでは?と
思って映画を見ました。もちろん戦争が一番悪いんですけどね・・・あの状況で、“死ななくて済む方法”と言われたら、やっぱり、“おばさんの所で自分なりに役にたつように頑張って働く”事だったと思うんですがどうでしょう?
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1)地元の町内会の方々にお世話になる。


  *町内会長らしき方は、結構いい人に見えた

2)遠縁のおばさんの家にお世話になる。
  *雑炊を嫌がらず、家のお手伝いをするのは当然

 既に3回は観ていたにもかかわらず、先日のテレビ放送で見たときの印象はこれまでとかなり違った。それまで、戦争のせいで幼い子供たちが死んでしまうと言うストーリーだと思っていた。

 しかしながら、今回、見た印象としては、兄のプライドや見栄のせいで妹を死なせてしまったと言う印象を強くしました。兎に角、兄の考え方が子どもっぽい。父の留守中を守る、母の急死にも負けずと言う気持ちは判るが、若さゆえにプライドが勝っている。(親なら子が生きるためなら自分のプライドなど気にしない)

 結論として、彼らは普通なら死ぬ事は無かった。彼らを殺したのはプライドだ。
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この回答へのお礼

>>兄のプライドや見栄のせいで妹を死なせてしまったと言う印象を強くしました。

 原作者の野坂昭如さんもそんなことを言ってましたね。

 回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/08/13 00:39

天皇が謝罪をすればいいのです。


代表しての謝罪らしきものはしてますが皇室として天皇としての謝罪はしてません。

靖国で戦争責任を論じても「東条」は悪かったとかアメリカが戦争に巻き込んで酷いは有っても「天皇」は悪いとも良いとも言いません。

どれだけ安穏に呑気に暮らしている連中でしょうか。
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生活力のない子供二人で



「生活をしよう」

という考えが間違いです。知り合いの家で我慢するのが一番だと思います。

ま、一番は日本が戦争をしないことですかね~。
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こんばんは<(_ _)>



主人公がプライドを押し殺しておばさんの家においてもらう。少なくともあの家にいれば、餓死することはなかったんじゃないかな~と思う。
おばさんにご飯もらうの悔しいけどね。
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日本が勝つ




・・・とまあこれは絶対に無理でしたから
ミッドウェイ前に講和する、もしくはアメリカの植民地になっても戦争を回避していれば助かったと思われます
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あのオバハンが悪いと思います。


もっと拡大して言えば、日本人の身内意識が良くないと思います。
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