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詳しい方、教えて下さい。昨日の放送で初めてみました。
TVではカットシーンがあるかもしれず、間違った認識かもしれないので
私の理解があっているかいないか教えて下さい。

1、彼女が行きたかったのは、オーストラリアのエアーズロックだったと思っていますが、その認識はあってますか?

2、オーストラリアでジープに乗せてもらっていたのが、車が変な挙動と共にどうやら修理している模様?というので合っているのでしょうか?

3、最後に彼が遺灰を手にして撒くというか散っていくシーンがあるのですが、彼が立っている場所は、エアーズロックではないと思っています。

4、彼女の遺言はエアーズロックでまいてと言っている。

ここで疑問です。
途中で感動して涙ぐむ程の映画だったんですが、このラストシーンで、
エアーズロックまで行って灰を撒けよ!!!
と思ってしまいました。これじゃあ、遺言を守ってないじゃん。
彼女がかわいそう。。。と思ってしまいました。

それともエアーズロックが映っていなくても、見えていないでも
あの、赤土の土地全体が、彼女の遺言の地なんでしょうか?

ラストに疑問大で最後納得いかずに終わってしまいました。
ご回答お願いいたします。ちなみに原作本も読んでおりません。

A 回答 (3件)

#1.2です。


 お気遣い有り難うございます。
 自分も映画版を見たのは初めてでした。(しかも書類を整理しながら、巨人・阪神戦も見ながら・・・感動した方ごめんなさい。)ドラマ版も最終回を再放送で見たくらいで・・・

 確かに、旅行会社のサイトなどで説明を見ていると直接的にはウルル=エアーズロックと記してありますね。映画の流れとしても何枚もある写真の中でエアーズロックの写真が目立ってました。

 前述の通りでよくよく見ていたわけではなかったのですが、夢島で見つけたカメラに入っていたフィルムを重じぃが現像し、その写真を少女時代の律子が受け取りに来たシーン、映画では少女・律子は写真だけを受け取って、そこがオーストラリアだという会話を重じぃと交わしたのみで写真館を出ていったと思ったのですが、間違いなかったでしょうか?
 #1で紹介した『指先の花』では、このときに重じぃは「アボリジニとその大地」に関する写真集を、写真と一緒にアキに見せるようにと少女・律子に渡しています。映画のシーンで省かれていたとしても、アキは、写真を見た当初はともかく、最後のテープを吹き込んだ時点では、アボリジニの文化に関する知識をある程度得ていて、「広い意味でのウルル」を知っていたと考えた方が良さそうです。

 原作では、朔太郎達の学校が修学旅行でオーストラリアへ行くものの、すでに体調を崩し始めていたアキは参加できない、というストーリーになっており、夢島のエピソードはその前で、カメラやフィルムは出てきません。(それ以前に律子は映画オリジナルのキャラクターです。)修学旅行から帰ってきた朔太郎がアキを見舞い、土産として「アボリジニの木彫りの人形」を渡す場面があり、それ以後本を読むなどして知識を得て朔太郎と会話する場面があります。
 ただ、完全に確認したわけではありませんが、原作では「アボリジニの聖地」という文言が出てくるものの「ウルル」や「世界の中心」という文言は出てこなかったと思います。(エアーズロックは観光地みたいな感じで触れられるだけです。原作のタイトルは作者以外の人物が用意したものだそうです。)

 映画でも原作でも遺灰を撒く場所に関して「アキの言う世界の中心」=ウルルであっても=エアーズロックではないという感じですね。

 タイトル以外に「世界の中心」に触れていない原作はさておき、『指先の花』では朔太郎の台詞としてウルルは「オーストラリア大陸の中央を占める砂漠地帯」と説明され、レンタカーを走らせる車内で律子に「どこまで行けばウルルなの?」と尋ねられた際にも「多分、ウルルの大地に境界線なんてないと思う」「とにかく、この大地の中心に向かって走ってみようと思うんだ、何かが見つかるかもしれない。彼女が世界の中心と呼んだ何かが」と答えていて、アキの遺言として特定の地点(エアーズロックなど)を意識しているというふうではなく、とにかくウルルの大地を走るという感じです。(中心に向かうといっても、だだっ広い大陸の砂漠ですから・・・抽象的な感じがしました。)
 映画(一応ノーカット放送ということでしたが)にはそういう過程や心情の説明的な部分が端折られていたので、確かにわかりにくい点だと思いました。

 ここまで来たからには(?)『指先の花』でのオチをネタばらししますと・・・
 朔太郎は、律子と二人でオーストラリアへ渡る時点でも、アキがなぜそこを「世界の中心みたい」と言ったかはわかっていないわけです。そして結局、直接的な答えは明示されたようなされてないようなというところでした。
 ラストに朔太郎が律子に「二人で世界の中心をつくろう」と語り、律子の心情描写として「人を愛するってこと。それはともに世界の中心をつくり上げていくようなことなのかもしれない」と記されています。この言葉をどう味わうか、そしてそれぞれがどう考え・感じるかだと思いました。
 
 確認がてらサイトを見ていましたら、公式ファンサイトがありました。BBSには結構な数の書き込みがありますので、参考にできるかもしれません。あと、原作と映画について詳しく比べたサイトもありましたので、ご参考になさってください。
 #1で映画を見たなら、原作は読まなくていいという旨書き込みましたが、映画は、原作を相当膨らませた感じになっているので、原作→映画よりも、映画を見て原作を読んだ場合の方が違和感が強いかな、と思ってのことです。自分は別個の作品と感じています。別に止めているわけではないので、もし良ければ原作・『指先の花』もご覧になってみてください。
 長くなりましたが、お付き合いいただいて有り難うございました。(自分の書き込み最長記録かも・・・)では。

http://www.alived.com/ai/

参考URL:http://www.cam.hi-ho.ne.jp/la-mer/pro-aiosakebu. …
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この回答へのお礼

長時間にわたってのご回答有難う御座います。
参考URLのところも拝見させて頂きました。映画版だけでは原作の真意を理解するまでは難しいところかもしれませんね。頂いたご回答で、私の中での疑問は解消されています。
これから、じっくり原作・『指先の花』を読みます。哲学的な部分もある本のようなので、非常に楽しみです。
どうも有難う御座いました。大!大!大感謝です。

お礼日時:2005/10/03 09:13

#1です。


 お礼とコメント有り難うございました。
 手が空いたらたぶん今日中か明日にもう一度書き込めると思います。ちょっと仕事が不規則なもので・・・
 新たな疑問の件、ここまで来ると作り手側の演出手法の問題なので、自分の見解が正しいのかどうかわからないですが・・・お待ちいただけるようなら、一応閉めないでおいていただけますか。
 
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この回答へのお礼

すみません。今更映画版のTV放映を見ただけの無知な私に対して有難うございます。よろしくお願いいたします。
私自身、次回ここにアクセスしますのが10月3日の月曜になりますので、ゆっくりお手すきの時にご回答いただければ幸いです。

お礼日時:2005/09/30 18:06

こんにちは。



 映画版の『世界の中心で、愛をさけぶ』のストーリーを律子の視点から見た小説、益子昌一著『指先の花』(小学館文庫)という作品があります。その本と映画は若干設定に違いがあるのですが、基本的なストーリーは対応しています。
 その両方を引き比べて少し記してみます。

1について
 彼女が行きたかったのは「ウルル」で、確か台詞でもそうなっていたと思います。
 写真にはエアーズロックが出ていまし、エアーズロック=ウルルと思わせる内容だったと思いますが、そうではないようです。

2について
 『指先の花』では、ケアンズからアリススプリングスに飛行機で移動、その後レンタカーでウルルに向かい、途中一泊。翌日砂漠の真ん中でレンタカーが故障して立ち往生しているところを、二度目の埋葬をしに行く人たちの車に拾われたことになっています。
 その車もパンクしてスピンし止まってしまったのですが、その前までの会話の中で、ウルルというのは、とくにここという地点ではなく、そこらへん一体の地域を指すもので、自分達はもうすでにウルルの中にいるという旨のやりとりがあります。

3と4について
 前述のようなことで・・・エアーズロックじゃなくてもウルルで遺骨をまいたことになるらしいです。

 自分は、血液内科系の病気の親族を介添えしていたことがあり、以来病気モノは良し悪しに関係なく見てしまうようになったのですが、「セカチュー」はコミック版が一番よかったかな・・・と思いました。1巻完結なので、余計な部分が削ぎ落とされた直球作品です。個人的には、映画をご覧になったのなら、原作は読まなくていいと思います。では。
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この回答へのお礼

丁寧な回答有難うございます。
車の故障シーンなど一部カットシーンがあったと思われ、納得いきます。
本当に有難う御座います。


一番の疑問であった「あの、赤土の土地全体が、彼女の遺言の地なんでしょうか?」という部分が解決しました。と思ったら
更なる疑問が出てしまったんですが。。。

>1について
 彼女が行きたかったのは「ウルル」で、確か台詞でもそうなっていたと思います。
「はい台詞もそうでした。」
>写真にはエアーズロックが出ていまし、エアーズロック=ウルルと思わせる内容だったと思いますが、そうではないようです。
「はい、エアーズロックの写真をみながら、ここは世界の中心なんだって。。。」などの会話をし、ここがウルルと思う内容でした。

>ウルルというのは、とくにここという地点ではなく、そこらへん一体の地域を指すもの
ということはよくわかりました。だから灰を撒いたんでしょうね。
しかしながら

では、何故そうでないのでしょうか?
エアーズロック=ウルルという意味で彼女は発言していないのでしょうか?
広い意味のウルルを彼女が知っているとは思えないので、エアーズロックをウルルと表現していたと思うのですが。。。

そうすると、遺言が正確に実現されてないじゃん!彼女がかわいそう!って前の疑問にぶち当たりなおしてしまいました。
お願いします。もう一度ご回答いただけませんでしょうか?

お礼日時:2005/09/30 15:10

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