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私はショパンのバラード4番について研究しているのですが、バラード4番は彼の晩年に書かれた大作で形式がとても複雑です。ソナタ形式、ロンド形式、変奏曲などろんな形式が融合して出来ているなどとも言われていますが、文献によっても言われていることがばらばらで、なかなかしっくりした筋書きを立てられません。私的には彼の三部形式の晩年での発展というルーツからこの曲の形式を探りたいと思っているのですが。ショパンのバラードやショパンの形式、また彼の音楽の連続性などについての論文を書いてらっしゃる方、または何か考えをお持ちの方がいらっしゃったらご意見いただけないでしょうか。
また名指しで失礼なのですが、noname#7978さんが以前ショパンのバラード、スケルッツォの形式を中心に研究されていると読みました。読ませていただくことが出来れば幸いです。

A 回答 (3件)

ショパンはバラード1番を書く以前に4つのソナタ形式の作品を書いています。

それは、ピアノソナタ1番(1827)、ピアノ三重奏曲(1829)、ピアノ協奏曲2番ヘ短調(1829-30)、ピアノ協奏曲1番ホ短調(1830)の4曲です。この中でもバラード1番を書くために最も重要なった作品は2つのピアノ協奏曲ではないかと思います。

ピアノ協奏曲2番ヘ短調の形式をざっと紹介しておきましょう☆(わたし自身の分析です)

オーケストラ提示部
提示部
Tutti.1   ThI-(1)   1-8
      ThI-(2)   9-18 
      推移1     19-30
推移2  31-36
ThII   37-44
ThII確保   45-54
ThII推移   55-63
coda   64-70

ピアノソロ提示部
Solo.1 序      71-74
ThI-(1)   75-82
ThI-(2)   83-90 (Solo Thema)
      ThI-(2)確保 91-98
推移1 99-124
ThII     125-132
ThII確保   133-150
ThII推移1 151-161
ThII推移2 162-180
Tutti.2 Coda 181-188

展開部 Dev.1 189-205
Solo.2 Dev.2 206-224
Dev.3 225-256
Tutti.3 Dev.4 257-268

これ以後は再現部なので省略しますね☆

おおざっぱに書きましたが、ショパンのピアノ協奏曲でのソナタ形式の特徴は、ピアノソロの部分の提示部の推移部が、全てパッセージ的・技巧的になっていて、主題労作がないということです。つまり、ショパンはソナタ形式では推移部を第1主題の素材で書くとか第2主題の素材で書くといような主題労作せずに(いわゆるベートーヴェン的なソナタ形式の書き方をせずに)、ソリストの技巧を目だ立たせるようにと、パッセージ的・技巧的にしているため、モティーフの発展とか拡大は関係ないわけです。

またヘ短調協奏曲でもホ短調協奏曲でもそうですが、第1主題が2つあるというところも特色です。さらにホ短調協奏曲のほうでも、推移部は必ずパッセージ的・技巧的になっています。

第1主題を2つ作るというアイディアは初期のワルシャワ時代までで終わりで、パリに出てからは変わりました。しかし推移部をパッセージ的・技巧的にするという特徴はバラードのソナタへと発展していきます。

バラード1番のソナタ形式を分析したことはあるでしょうか。

バラード1番
提示部
序    1-8
ThI  9-16
ThI確保  17-35
推移 36-67
ThII    68-75
ThII確保 76-82
ThII推移 83-94

展開部 (正確には94の途中からですが分析ではこういう書き方をすることになっています))
Dev.1 95-105
Dev.2 106-137
Dev.3 138-166

再現部  
ThII    167-180 (正確には166の途中から)
ThII推移  181-193
ThI    194-207
Coda 208-262

協奏曲よりもさらにおおざっぱに書きましたが(本当は細部はもう少し細かく別れます)、第1主題の推移部を見てみてください。あたかも協奏曲でのソナタの推移部の書き方が応用されたかのようにパッセージ的・推移的になっています。こういう関連性だけでもこのバラードがソナタ形式であるという証拠になります。
また再現部はThIIから再現していますが、これは特殊なことではなくモーツァルトが晩年しばしばおこなったソナタ形式の書き方で、例えば、モーツァルトのピアノソナタ17番ニ長調も第2主題が再現されたあと、第1主題が再現されます。

またショパンのソナタ形式のこの時期の特徴はコーダをパッセージ的にするということです。

バラード3番がソナタ形式とはとても思えないとおっしゃていましたが、よく細部まで分析してまとめるとソナタ形式になりますよ。

わたしのほうはバラードはこれからの研究領域になるので、3番は大まかな部分だけ載せておきますね。

ThI    1-8
推移    9-52
ThII     53-58
ThII確保  59-63
ThII推移  64-155
展開部   156-212
再現部   213-230
Coda 231-240

本来は推移部も展開部ももっと細かく別れます。
でもこれでだいたいの骨格は見えてくると思います。
バラード3番のソナタ形式の特徴は再現部をコーダ的にしたということです。ゆったりとした穏和な第1主題を再現するのではなく、発展した展開部の流れをそのまま受け継いで、発展的に第1主題を再現し、そのまま勢いにのって曲を閉じます。いわゆる、再現部そのものがコーダにもなっている、コーダ的再現というような感じのものです。こういうソナタ形式の再現部の書き方をしたところにショパン固有のオリジナリティがあります。

バラード4番は本当に大作なので、これからお互いに頑張っていきましょう。

ショパンが最後に辿り着いたソナタ形式とはどういうものだったのでしょうか。それがバラード4番なんです。

ショパンに限らずロマン派以後のソナタ形式は複雑です。シューマンのピアノソナタ1番のソナタ形式を分析するもの大変です。シューマンの幻想曲ハ長調もソナタ形式なのですが、ご存じでしたか。ラヴェルの水の戯れもソナタ形式ですよ。ラヴェル自身がはっきりとそう語っています。

それでは頑張って下さいね。わたしはこれからショパンの初期のソナタ形式についてその変遷をまとめて発表しなければならないので、今はひたすら初期のことだけをやっています。もちろん来年までにはバラード4番にいたるまでを猛研究しなければなりませんが‥。でもとても楽しみです☆すぐに答えが分かってしまっては研究のおもしろさはないから、分からないゆえにやりがいがあって楽しいです。

でもわたしの場合は指導教官とともにやっているので、わたしの分析というよりは、偉大な方の分析のぬすみみたいな立場ですが、まずは恩師の知識をぬすみ、そこから自分の考えを持ちたいなと思っています。
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いろいろと悩まれているようですね。



とりあえず、質問者様のテーマがバラード4番のようなので、バラードのソナタ形式についてコメントしたいと思います。

バラード4番についてはこれからお互い試行錯誤するとして、バラード1番と3番について、そのような形式になっているのかをここに書いてもいいかなぁと思っているところです。

またその前に、基礎的知識としてバラード1番の前に作曲されたソナタ形式の作品、ピアノ協奏曲1,2番の形式がどのようになっているのかもご説明したいと思います。

それで、大変申し訳ないのですが、今日は、分析に追われていてとても大変な日なので、明日か、明後日に、遅くとも今週中には改めて回答し直します。まだ締め切らないでいてくださるなら、少しだけ、質問者様のお役に立てるかと思います。

また、サムソンの訳についての質問がありましたが、もちろん、サムソンの日本語訳は出版されていません。わたしは英語で読んでいます。専攻が音楽学(楽理科)なので、英語もドイツ語も読めるため、ドイツ語の文献も読んでショパンを研究しています。
でも訳は自分で長い時間をかけて地道に訳す以外に方法はないと思いますよ。このサイトで住所等の個人情報を出すことは禁じられていてそういうサイトではないので、訳まではお渡しできないです。

こればっかりは自分で苦労して訳すしかないんです。また日本語で書かれた本で、ショパンの音楽の形式が詳細に分析されている本は1つもありません。一番役に立つのがエーブラハムくらいです。

おそらく質問者様はピアノ科のかたでいらっしゃいますよね。ピアノ科でしたら、英語訳を読むのは少し大変かと思います。でも単語を追って形式くらいは突き止められるかもしれませんよ。

では、また1週間以内に今度はきちんと回答しますので、どうぞお待ち下さい。
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こんにちわ。


アドヴァイスということでよろしいでしょうか。

おそらく今お困りの点は「学者によって言っていることがばらばらなためどうまとめたらいいのか分からない」という点と「バラード4番の形式がいったいどういうふうになっているのか難しくてまとめられない」の2点だと思います。もしもう少しまとまってくれば最後には「ショパンがソナタ形式に対してこのようなアプローチの仕方をしたのはなぜか」とか「どういう意図をもってこの作品を書いたのか」という問題を考える必要がでてくると想像します。

ショパンは研究されているようでいてあまり研究されていないの実際です。ショパンってどういう作曲家?と聞くとたいていは「素晴らしい作曲家できれいな音楽をたくさん書いた」というだけか、伝記的な話を物語り的に語るかのどちらかです。作曲家にとって一番の課題である「いかに作曲するか」という課題、言い換えれば「ショパンはどういう形式で音楽を書き、このような形式にしたのはなぜなのか」については、今度も研究の必要があり、この問題に解釈の多様性ができるからこそ、研究の意味・おもしろさがあります。

学者によって言っているのことが違うのは当然のことでしょう。ジェラルド・エーブラハムは『ショパンの音楽様式』(邦訳のタイトル)の中で「ショパンの形式はのちのリスト、ワーグナー、さらにはシェーンベルクにまでつながる思想の先駆者である」と論じていますが、ある日本人の作曲家は「ショパンは音楽的な面白さ、芸術的な香り、そうした点ではリストより、遥かに優れたものをもっていると思う。しかし音楽史的な視点で眺めた時、どうしても、リストのあるいはシューマンの後塵を拜することになる」と言っています。

ショパンを音楽史的にどのような位置に置きどう論ずるか、またどう論じたほうが、論を立てやすいのかは、人それぞれその人の研究の仕方や知識の量によって異なってきます。わたしたちはできるかぎり真のショパンの姿を追い求めますが、100%の真相はショパンが実際に「自分はこういう形式で音楽を書いた。こういう形式にしたのは自分の生きた時代の音楽形式のありかたが・・・だったから」というような論文・証言を残していない限り誰にも分かりません。分からないからこそ、研究のおもしろさがあって、そこに様々な解釈の仕方が生まれてきます。

同様にわたしは、エーブラハムのように、ショパンが形式面でリスト、ワグナーの先駆者とは思っていないです。ショパンが最初に形式的な面白さを出した作品は、リストの《旅のアルバム》の後です。おそらくリストとの音楽談義の中から、ショパンは自らの形式理念を実らせたと考えるのが妥当だと思います。和声の面ではたしかにショパンは先駆的ですが、さてリストと比べた時、どちらかより先駆的だったかということになると、ショパンだと断定することもリストだと断定することもできず、どちらかとは言い難いですね。

ショパンを形式的にとらえる場合、リストの大作「ピアノソナタロ短調」での偉業、そして晩年の無調にも達した音楽の革新性、そして「室内交響曲1番」「ピエロ・リュネール」を経て、‘統一’‘有機的関連’というロマン派音楽の伝統的思考の終着点である【12音技法】を確立したシェーンベルクの偉業・音楽史的価値に比べると、「リスト、シューマンの後塵を拝する」という考え方にもうなずくことができます。しかし、実際にショパン論を打ち立てるときに「後塵を拝する」とするのは、もちろん、誤った論の打ち立てかたです。もしやるなら「たしかに彼らの偉業に比べるとドイツ音楽の力強さに圧倒されて後塵を拝するという見方も生まれてくるかもしれないが、ベートーヴェンからリスト、ワーグナー、シェーンベルクをつなぐ思想とは別のところで、リストとも違う、シューマンとも違う独自のソナタ形式へのアプローチをしたところに歴史的な意味がある」のように、ショパンを立てる方向で考えていかなければなりませんよね。

では一体どういう形式なのか。これが大問題なわけです。でもこれに関しては人それぞれ千差万別なので、今ここでこうだと言うことはできません。しかし解釈の仕方は自由でも、そこにしっかりとした根拠がなければ駄目です。その根拠をどのように見つけていくか、論理をどのように通すか、それが研究というものです。

ジム・サムソンのショパンのバラード4番について「初期に単独で書いていた《ロンド》《変奏曲》という個々の形式を、晩年になってソナタ形式の中に巧妙な方法で融合した」と述べていますが、いかにそうなのか、具体的にどのように融合したのか、については論理を立てられていません。論理を立てるのは非常に難しいです。でも難しいゆえにおもしろいわけですよね。

長くなってしまいました。
わたしは現在、ショパンの全ソナタ形式の様式変遷を修論でまとめるためにショパンを研究中です。「ピアノ・ソナタ1番」から研究を始め、「ピアノ三重奏曲」をやって、今、ようやく「ピアノ協奏曲1,2番」のソナタ形式をまとめている最中で、まずは、初期のソナタ形式へのアプローチから見ています。10月からはやっと「バラード」「スケルツォ」の詳細な研究に入るところです。ピアノソナタ2,3番やファンタジーも見ないといけないので、これから毎日、修論終えるまで、論理をどう立てるか、どう論じるかで、格闘する日々をおくることに‥(>_<)。シマノフスキを研究したあと、去年まで卒論でポーランドの現代音楽(いわゆるルトスワフスキ、ペンデレツキの不確定性)についてやって、この4月からショパン研究に入ったので、ショパンで論文を書くのはこれからなんです。今年が2005年度なので、論文提出は2006年度です。なので残念ながらまだショパンでは論文は書いていないです。質問者様の論文ほうが先かもしれませんね。

*ご質問にある退会したnoname#7978さん、一度退会し名前を新しく変えたこのpomoccです(100%)。ショパン研究、これからなので、こんなていどの話でごめんなさいね。お互いに頑張りましょう。また何かあったらいつでもご質問ください。

この回答への補足

いまバラードの音楽の連続性について興味をもっています。ショパンの音楽はとても連続的で形式を巧妙にぼかしているのが特徴一つだと考えているのですが、バラードはそれがよく表れているジャンルだと思います。その秘密は経過部に隠れているのではなかと、今考えているところです。ショパンの展開部と呼ばれる部分は主題と主題をつなく接続部が発展して出来た長い経過部を、そう読んでいる場合も少なからずあるような気がします。(バラード3番など)
ショパンのバラードについてあたまを悩ませてるかたが他にもいらっしゃると知ってとても心強く感じているます。
論文に対する心構えからショパンについてまで、親切にお答え下って本当にありがとうございます。お互い頑張りましょう!!

補足日時:2005/10/08 22:30
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この回答へのお礼

お礼がとてもおそくなってしまってすみません!!とても親切に回答してくださって嬉しかったです。本当にありがとうございました。私もバラードについてソナタ形式へのアプローチという線でも考えてみました。確かにショパンの作品は三部形式か、その発展、またはソナタ形式へのアプローチとして書かれているように私も思います。主題が2つであることと、展開部らしいところでいろいろな調をたどり、2つの主題が再現するといういみでソナタ形式の要素が盛り込まれているように感じます。ショパンはソナタに関してどのような形式感覚をもっていたのでしょうか?でも3つ目のバラードに関してはソナタ形式というには無理がある気がしています。確かにバラードやスケルッツォはソナタ形式の要素がありますが、それらはどの程度ショパンが意識していたのでしょうか?私たちが後付で当てはめようとしている部分も少なからずあるきがします。ソナタ形式では無理があり三部形式の発展と考えた方がしっくり来る曲もあると思います。ショパンはバラードというジャンルをつくるにあたりどの程度ソナタ形式を意識していたのでしょうか?(決してソナタ形式の考えを否定しているわけでありません☆)pomoccさんはショパンのソナタ形式へのアプローチはどのようなものだったと、現地点でお考えか教えていただけますか?
エーブラハムの「ショパンの様式」のを私も読みました。ワーグナーの先駆者という考えには私も疑問を感じたので、pomoccさんのお考えを聞いて納得できました。
ジムサンソンのショパンのバラードに関する本をpomoccさんは読まれたのですか?私は英語がそんなに得意ではなく果てしなく時間がかかるので一部しか読んでいないのですが、バラードに関する部分の訳は出版されていないですよね?もしくは、訳をされた持ってる方がいらっしゃいましたら、是非見せていただきたいのですがpomoccさんは持ってらっしゃらないですか?あつかましい質問ですみません。

お礼日時:2005/10/08 22:30

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