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 僕は、中学生活を送る中で、(現在中三です)
「体罰って、いじめなど、他人に暴力をふるう以上のものには行ってもいいんじゃないかなぁ・・・。」
と感じるようになりました。
 そこでアンケートをとってみたいのですが、体罰、あなたはあっても良いと思いますか?良いと思う場合、それはどの程度の行為に対する罰として、行っても良いと思いますか?

A 回答 (20件中1~10件)

容認できないのですが、必要かと思います。


ちなみに、家の息子は中三の時に、親の前で、ゲンコツでゴツンと。
痛い思いをさせて、先生や親を悲しませるなと、伝えてもらいました。
授業を妨害したので。(他人に迷惑)
タバコの時は、お説教だけでした。(自分が困る)
親なりに、理に適っていると思ったほどです。

先生も人の子、何が事故や事件につながるかわからない時世ですから、かなり慎重ですし、そうあって欲しいです。

しかし、いじめはどうかしら?
体罰で判るかなぁ、、、心の痛みだと思うから。
どんな形でも、会話が必要だと思うなぁ。
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この回答へのお礼

 皆様、ご回答ありがとうございます。
 意外と、体罰容認派の方が多いのですね・・・。
 ただ、体罰を容認することは結構難しいものなのですね。
 教師が感情的に体罰を加えたら効果ないですし、その効果を、今の教師が出せるかも疑問かもしれません。そもそもそれほどの教師なら言葉で更正させられそうですし・・・。親などの意識改革も必要みたいです。
 
 僕の考えとしては、とりあえず一時的ないじめ等の抑制策として・・・というイメージで、体罰を容認すべき、と考えていました。(ついでに、ちょっと感情論的な面も含んでいました・・・。)しかし、そんな単純な問題でもないのですね・・・。これで抑制できるかも自信がなくなってきました・・・。

 個人的には、行うとしても、いじめに対するものだけで十分と考えています。もちろん、皆さんの回答にあるようなもの(まじめに授業などを受けない)は否定しませんが、法規制(実現は難しそうですが)には、そこまで記す必要はないと感じています。他人に迷惑をかけませんし、授業中うるさくするような行為でも、それほどの害があるとは思えないからです。
 と、皆様の回答から感じたことと、自分の意見。

お礼日時:2005/11/16 21:24

まず法律的な話ですが、世間一般で言う体罰と法律用語の体罰は同じ意味ではないようです。


以下、東京高裁の考えです。
『教師が生徒を励ましたり、注意したりするときに肩や背中などを軽くたたく程度の身体的接触(スキンシップ)による方法が相互の親近感ないしは一体感を醸成させる効果をもたらすのと同様に、生徒の好ましからざる行状についてたしなめたり、警告したり、叱責したりするときに、単なる身体的接触よりもやや強度の外的刺激(有形力の行使)を生徒の身体に与えることが、注意事項のゆるがせにできない重大さを生徒に強く意識させると共に、教師の生活指導における毅然たる姿勢・考え方ないしは教育的熱意を相手方に感得させることになって、教育上肝要な注意換気行為ないしは覚醒行為として機能し、効果があることも明らかであるから、教育作用をしてその本来の機能と効果を教育の場で十分に発揮させるためには、懲戒の方法・形態としては単なる口頭の説教のみにとどまることなく、そのような方法・形態の懲戒によるだけでは微温的に過ぎて感銘力に欠け、生徒に訴える力に乏しいと認められるときは、教師は必要に応じ生徒に対し一定の限度内で有形力を行使することも許されてよい場合があることを認めるのでなければ、教育内容はいたずらに硬直化し、血の通わない形式的なものに堕して、実効的な生きた教育活動が阻害され、ないしは不可能になる虞れがあることも、これまた否定することができない』
また、文科省も
『つまり時には、叩くことが最も効果的な教育方法である場合もあり、いわゆる「愛の鞭」として許される程度の軽微な身体への行為ならば行っても差し支えない。』(教務関係執務ハンドブックより引用)
としています。

次に、体罰とは何かですが、人によっては床に正座や教室の後ろに立つことも体罰の範疇だそうです。人によって認識が異なるんですね。まず、何が体罰に含まれて、何が体罰に含まれないのか、それを統一する必要があります。
先の法律的な話であれば、「教育的な有形力の行使」は懲戒であって体罰ではありません。法律で体罰は禁止されているのでしてはいけません。しかし、懲戒は体罰ではないのでやっても良いです。生徒を殴っても懲戒の範囲内であれば体罰ではありません。そういう意味であれば、体罰は認められません。

最後に、体罰をしても根本的に解決しないとありますが、体罰をすればすべて解決するわけではありません。同様に、体罰を与えずに一生懸命接してくれても解決しない問題はあります。また、解決に長い時間がかかりすぎたため、本人は結果的に立ち直ることが出来たが、その周りの人間にとってみればいい迷惑だった、なんてこともあります。
タバコに関して、見つからないようにタバコを吸おうと考えただけでも、行動の抑制がなされています。評価できることではないでしょうか。
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この回答へのお礼

 新たに回答を下さった皆様、ありがとうございます。
 やはり、体罰の効果も場合によるということでしょうか・・・。20の投稿を通して、効果があったという体験談も、余計に反発したという体験談もあり、やはり単純に考えてはいけない話なのだなぁ、と感じました。
 うちの学校の不良どもはどうだろうか・・・?

お礼日時:2005/11/22 21:51

再投稿です。


体罰=殴る という前提で投稿しましたが、体罰にも色々あるようです。
が、やはり容認はできません。
罪に対して罰を行っても、根本的な問題解決が出来ていないからです。
私は、中学時代に多少すれており、学校内でタバコを吸って先生に見つかった時も色々な罰を受けましたが、その後、とった行動はもっと見つかりにくそうな場所でタバコを吸う。でした。
人に暴力をふるったこともありますし、物を壊したりすることもありました。そんな、荒れた生活から救ってくれたのは、体罰や何らかの罰ではありませんでした。
高校に行けないかもしれないという事で、家庭教師を雇ったのですが、その先生は暴力や罰も与えず、とにかく真剣に私の事を考え、一生懸命接してくれました。おかげで高校に行くことも出来、以前のような荒れた生活もなくなりました。
今でもその家庭教師の先生には感謝しています。
要はどのような罰を与えるかではなく、どれだけその人に向き合うか、で人は変わると思います。
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体罰という言い方があたるかどうかですが、痛みをもって行う教育のひとつの形があると思います。

でも、そういう教育形態を学んでいない教員にはさせちゃいけないものでしょう。

言葉では通じないことを教える場合、あるいは言葉よりも効果的に教育できる場合が確かにあって、それは人間以外の動物に対する調教とまったく同じものです。しかし#12にあるとおり、その指導方法は法律で禁止されていて、教員はその正しい方法を何も学んでいません。

学校の先生は、聴覚(言葉など)や視覚(文字や図など)で教える方法を習得しています。でも痛みなどの触覚を使ったり、害を与える可能性のある刺激を利用した教育方法は学んでいません。やり方を知らない人がやると、危険なだけで効果が少ないのです。

回答:教育のプロが行う指導方法として、スキルを習得した人が行うなら「あり」です。でもそんな立派な「人間の調教師」の免許を持った教師は今いないので、現状「なし」です。
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体罰=容認


但し、全てではない。
犯罪になるような行為は口で注意しても自覚なんてしない
おまけに今の学生、完璧に舐めている。
(小学生なんてひどいモンだ)
ビンタ、げんこつ程度は容認すべき。
鬼先生・鬼教官がいてほしい。

ただ、黒板に書いた問題が答えられない等は論外。
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>体罰、容認しますか?


YES(ただし、ケガをさせない程度)

理由→
窃盗や恐喝、いじめ等の最悪行為は口で言っただけでは分からない人間が多い。

本人に自覚させるためにも、何らかのダメージを与え、自覚させる。

俺も小中と悪さをして殴られた。
そのおかげで、醜態を自覚した。

以降、二の舞は踏まなくなった。

中学時代、クズと呼ばれたヤツも、担任の強烈なビンタで更生できた。

世間は体罰を否定するより、体罰をどう生かすかを考えるべきだと思います。
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「体罰」は容認するべきではないと思いますが


(殴る蹴る、物をぶつけるなど)
「罰」ならば容認すべきだと思います。
(廊下に立たせる、床に正座させる、ランニングなど)
最近は加減のできない大人が多いですから
公に容認なんてしたら生徒が何人か死んじゃうんじゃないかという懸念がありますし。
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10年前 中学の時水泳部だったのですが、、先輩が顧問の留守中サボってばかりいたので、


顧問が男女とも鉄拳制裁の後、水着で校庭ランニング、1時間泳ぎっぱなしというのがありました。
それ以後、まじめに練習に取り組む姿を見て「ああ、効果抜群だな」と思ったりしました。

親だって子供を殴るでしょう?うちなんか重い灰皿(頭に当たったら死ぬかもしれない)が飛んでましたよ。
本当に叩かなきゃ分からない事はあると思います。
罪を犯したものは罰を受けるのはどんな社会でも同じはず。それが生徒や学生の社会でも。
その罰というのが、当人の自由を奪うか、痛みを与えるか、などの方法の一つが体罰でしょう。
その苦痛が罪をおこさせない意識を植え付けるはずです。実際の犯罪も同様でしょう。
それを子供の頃に知らないまま育つ方がそら恐ろしいです。実際に自分が受けた痛みでなければ想像がつかないのです。
まして子供を叱れない親が増える中、体罰に過剰に反応する。そしてその反応するのは誰でもない、叱る事が出来ない親なんです。

もう一つは、眼力や理だけで生徒を納得させる事の出来る先生がいなくなったのでは、と思います。
小学校の担任の説教は、反論する事の出来ないほどの正論で、
当事者に対してだけでなく全員に対して向けられる言葉は、自らを恥じる心や後悔で胸が一杯になるほどでした。
そういった先生はあえて体罰を使わずとも、生徒を正しい道へと導く事が出来るのだと思います。
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10年前ならまだこのアンケートも教育現場と結びついた議論になったかもしれませんが、現在はどこの教育委員会でも学校教育法第11条


「校長及び教員は、教育上必要があると認めるときは、文部科学大臣の定めるところにより、学生、生徒及び児童に懲戒を加えることができる。ただし、体罰を加えることはできない。」
を厳密に解釈していて、教員をびしびし取り締まっています。もはや教員が体罰を行うことが許される情勢ではありません。

よい体罰と悪い体罰とか、効果のある体罰と逆効果になる体罰というものはあるかもしれません。しかし、おそらく教員にそれに関する判断力は期待できません。体罰が効果があったといわれることがありますが、それは偶然であるか、カリスマ的支配、あるいは個人の特性による職人芸といったものに属し、他人には説明のできることではありません。こういう体罰なら良いという教育学上の理論や合意が確立しているわけでもありません。

なにによらず説明責任の求められるようになった教育行政としては、「この教員の体罰はよい体罰だから処分しない」「これは悪い体罰だから処分する」といった選り分けをすることができません。どうしても、一律に体罰禁止とするしかありません。

もし、「ある程度の体罰なら許容」といった方針を教育委員会が示した場合、処分を恐れる教員は、教育委員会にお伺いを立ててから体罰をするのでしょうか?どういう体罰ならOKで、どういう体罰なら暴行罪なのか、誰が判断するのかという、解決できない困難に迷い込みます。

世間が学校と教員を全面的に信頼して、学校がやっていることは良いことだからブラックボックスでもOK、というなら話は別ですが、現在の世間は、学校に常に説明を求めています。
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教育には必要なことだと思います。


私の学生時代は、床に正座は当たり前・頭を叩かれる事もしばしばありましたが、
それを体罰だとは騒いだりしたいと思いません。
教師の方も、加減を知っているので怪我をすることもありませんでしたし。
私も、自分に対して怒られていると自覚できましたからね。
今の親は、子供に対して過保護過ぎると思いますよ。

さすがに「拳で殴る」は行きすぎですが、「廊下に立たせる」「頭を叩く」「床に正座」位は、日常茶飯事で良いと思いますよ。
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