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パレスチナ問題についてですが、古代エルサレムにはユダヤ人が住んでいたが、ローマにより迫害され追放され、難民となった。そして月日は流れ、今のパレスチナ人が住むようになったが、ユダヤ人は自分たちの聖地に帰りたいという願望を抱き、エルサレムに戻ったが、パレスチナ人はもちろん拒絶。ここから、パレスチナ問題(中東問題?)が発生と認識しているのですが、これはあっていますか?またエルサレムにはイスラム・ユダヤ・キリストの聖地とも聞きましたが、キリストはイエスの処刑された場所、ユダヤは元々の聖地?(あいまいだが)、イスラムは何なのでしょうか?長くてすいません。教えてください。

A 回答 (8件)

パレスティナ問題の発端は、根本的な部分はその通りですが、そこにイギリスの三枚舌外交が絡んできます。


第一次世界大戦中に、敵国ドイツ・トルコを倒すためにアラブ人(パレスティナ人)に協力を依頼します。独立をほのめかして…。一方でユダヤ人にも同様の依頼をし、フランス・ロシアとは、パレスティナを国際管理の地にしようという約束をしたのです。もちろんいずれも秘密裏にです。

神はアブラハム(最初のユダヤ人)に、その子孫を星の数ほど多く、約束の地に増やすことを約束しました。その約束の地がイェルサレムです。

イスラム教では、本来はメッカが最も重要な聖地となるのですが、母体がキリスト教・ユダヤ教でもあるのです。
アブラハムのこの一人が最初のアラブ人とされてもいます。
ですから当初彼らイスラム教徒は、キリスト教徒とユダヤ教徒を自分たちに先立つ「啓典の民」と位置づけていました。
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ユダヤ人関係の書物はこれを読めばいいかと思います。


http://shinshomap.info/book/4004110793.html
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この回答へのお礼

ありがとうございます。とても役に立ちました。この本で勉強したいと思います。

お礼日時:2005/12/24 09:12

No.3についてです。


ユダヤ人が再びパレスチナに戻ってきたときにはイギリスが統治していました。しかし、第二次世界大戦中に多くのユダヤ人が虐殺されましたが、残った多くの人々はアメリカに逃げ出します。彼らはその後アメリカの金融業などで活躍し、資本力が大統領選挙の結果に左右されるほどアメリカ社会に大きな影響を与えるようになりました。そのためにアメリカはイスラエルの建国を承認しました。アメリカが国家の建設を認めたので、イギリスには怒りはあったでしょうが、行動には移されなかったのではないでしょうか。

この回答への補足

ユダヤ人は元々努力家で多才な能力な持ち主から、ヒットラーなどに虐殺されたと聞きましたが本当に彼らの嫉妬が原因なのでしょうか?また、ユダヤ人のことが書かれている本があったら教えてください(なるべく分厚くなく簡単な本がいいです(笑い))お願いします

補足日時:2005/12/21 11:52
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4番です。



>イエスは元々ユダヤ教だったのでしょうか?そこからイエスがユダヤを捨てて、キリスト教をひらいたのでしょうか

多分イエス自身には、新しい宗教を起こしたとの認識は無かったでしょう。
あくまで、ユダヤ教の改革を唱えたのだと思います。
キリスト教が広がるのは、エルサレムではなく、アンティオキアにキリスト教が伝わった後です。
アンティオキアは、ユダヤ人の都市ではなく、シリア人やギリシャ人中心の街でした。
ここで、シリア人やギリシャ人に考えが広がってゆく過程で、ユダヤ人の選民思想が、消えて、新しい宗教となったと考えられます。

この事は、宗教改革で名高いルターも同じで、当初本人は、新しい宗派を生み出す意図は全くなかったのに、周囲の諸勢力により、ルターの考えが、新しい宗派となってしまいます。
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この回答へのお礼

なるほど。よくわかりました。すごい人というのは、皮肉にも自分が死んだ後に流行る物ですよね!!!ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2005/12/21 11:48

ユダヤ教、キリスト教、イスラム教は、元は同じ宗教なのです。



ユダヤ人の民族宗教としてのユダヤ教が基にあり、ユダヤ教の選民思想を取り除き、一般に受け入れられるようにしたものが、キリスト教、キリスト教が、あまりに多くの民族の要素を取り入れたため、本来の教義が代わったとして、始まったのがイスラム教です。

そのため、エルサレムが3宗派の聖地となったのです。
イスラムで、エルサレムが聖地となっているのは、「開祖ムハンマドが、エルサレムから天に昇ったため」とされています。

ただ、実際には、それは、ウマイア朝が、自らの地盤であるシリア・パレスチナの地の権限をあげるため(メッカなどを支配していたシーア派に対抗して)に、ことさらイスラムの聖地としてのエルサレムを強調したからのようです。

エルサレムの中で、ユダヤ教の聖地は、ソロモン王の神殿跡の「嘆きの壁」
キリスト教の聖地は、キリストの墓のある「聖墳墓教会」
イスラム教の聖地は、ムハンマドが昇天したとされる「岩のドーム」で、この三聖地が、旧市内の狭い範囲にあるため、分離が難しくなっています。

この回答への補足

ごめんなさい。お礼を記入したのですが、質問が出てきてしまって。キリストのことなのですが、イエス・キリストは元々ユダヤ人と認識しているのですが、イエスは元々ユダヤ教だったのでしょうか?そこからイエスがユダヤを捨てて、キリスト教をひらいたのでしょうか?お願いします。

補足日時:2005/12/18 12:55
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この回答へのお礼

なるほどよくわかりました。三つの宗教は元々一つのものということを知らなかったので、タメになりました。ありがとうございます。しかしながら、民族闘争というものは消えないものですね!

お礼日時:2005/12/18 12:40

イギリスが事実上黒幕になっているということになりますね。

パレスチナ問題は、主に領土の問題ですが、聖地が同じエルサレムだからこそ、絶対に自分たちの領地にしたいというのは、パレスチナ人もユダヤ人も同じ考えです。この辺で宗教の関係が絡んできます。
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この回答へのお礼

ということは、ローマのあとにイギリスがエルサレムを植民地化したということでしょうか?お願いします。その後、ユダヤ人たちは、イギリスを恨み論争などの問題にならなかったのでしょうか?

お礼日時:2005/12/18 12:38

こちらが参考になるかと。



http://www.nes-lab.com/growup/jerusalem.html
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大体合っています。

追加すれば、イギリスは1915年にパレスチナ人に、1917年にユダヤ人にそれぞれパレスチナへの国家建設を約束しました。これが話をこじらせている原因の一つです。ちなみにエルサレムはユダヤ教・キリスト教・イスラムの聖地です。

この回答への補足

回答ありがとうございます。それではイギリスが黒幕みたいな感じなのでしょうか?私は、三つの宗教の聖地がエルサレムにあるから、三つの宗教の対立とも考えたのですが、それは関係ないのでしょうか?お願いします。

補足日時:2005/12/16 14:55
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