街中で見かけて「グッときた人」の思い出

聖徳太子の血筋は曽我氏でしたから、聖徳太子が天皇であったなら中臣(藤原)氏は逆賊という事になり、後に権力を掌握した藤原氏としては都合が悪い。 そこで、聖徳太子は天皇では無かった事にされた。 という説を聞いた事があります。 一方、

壬申の乱については「中臣(藤原)鎌足没  671年 天智天皇没  672年6月 壬申の乱」などという説もありますが・・・・
いずれにしても「後世権力者が捏造した歴史」の色合いが強く、中・高生向けに「天皇血筋の正当性」を主張した説は権力側捏造歴史であって信用できない品物と考えています。

古くは平家滅亡、近くは、薩長による東京天皇擁立など、私の記憶では二回は「突然、天皇の血脈が変わっている」と考えていますが、上記の様に曖昧な知識しかありません。
日本史上では天皇の血脈は時代が大きく変革して、権力者が変わると、徳川時代の様に、後に天皇が徳川の親族化する事もあるようですが、それよりも・・・

日本史上「”突然、天皇の血脈が変わった”と思える」時と経緯について、御存知でしたら御教え下さい。 当然、「まともな説」であるか否かは問題にしたくありません。 宜しくお願い致します。

A 回答 (8件)

天智→天武を「天皇の血脈が変わった」とするならば、天武系の孝謙(称徳48)から、天智系の弘仁49に皇位が移ったのも、そうですよね。


以後、天武系は途絶えて、天智系が本流となっていますよね。
しかし、女帝孝謙と藤原仲麻呂や道鏡の間に子どもはいなかったのでしょうかね。不敬罪でつかまるのでこれ以上は言いませんが、
また、後亀山99から後小松100への戻りかたもアクロバチックですね。
しかし、これを知ってどうしたいのでしょうか?
嫡子相続だけが正当というわけでなく、一応、血はつながっていますけど・・・

この回答への補足

皆様に・・・、補足させて下さい。

そもそも「天皇の地位は誰が決めるのか」の問題があって天皇・皇族の意向により、神官儀礼にて定めるもの、と聞いておりました。 つまり昔は日本の天皇の位について血筋は重く考え無かったものの、平家・源氏武家が台頭し実権を握る様になってから、その家柄に元ずく官位制によって血筋(頭目)を重く見る習慣となったという事です。

従って、平安朝藤原氏の習慣では武家社会の「家による官位継承」という考えは当時の貴族社会の習慣では考え難い。 ところが、

明治維新~戦前の東大卒官僚、日本国要職が東京天皇を中心に天皇血脈神話を捏造したというのが真実ではないでしょうか。 とはいえ、平家・源氏武家が台頭してから「御家相続の性格」というのも古い話ですよね。

>平家滅亡は、正当な血筋でつながっています。
>明治天皇も問題ありません。どちらも血脈が
>変わっているなどということはありません。
例えば明治維新など 「 改革の後に親戚化した 」 という事で、明治天皇御自身は孝明天皇と血脈の繋がりが薄く、「日本の平民が勝手に家柄系統図(=天皇との繋がりを意図)を作った次元」であると聞いております。 秀吉のみならず家康ももちろん、歴史上権力掌握した人物の大半は天皇とのつながりのある家柄である事を主張しました。

<つまり日本人とは天皇・皇族の血縁関係者である
という東京方面の極論定義で御考えなのでしょうか?

ここでの質問は必ずしも、上記の極論定義つまり
まともな説=「東大官僚、近代日本国政府要職が捏造した神話」の範囲
ではないという事です。 あえて質問で
「中・高生向けに「天皇血筋の正当性」を主張した説は権力側捏造歴史であって信用できない品物と考えています。」と書いたのは、上記の理由です。

宜しくお願い致します。

補足日時:2006/01/13 01:34
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

ところで<<不敬罪でつかまる>>って?何の話でしょうか、法令にあってこの質問・回答は該当するのですか?

お礼日時:2006/01/13 02:15

補足に対する追加です。



ごめんなさい。お分かりになっているかとおもっていたので、補足に対する説明をしませんでした。
「不敬罪」とは、戦前に、神としての天皇に対しての不埒なことを言うことについての罪状です。
結構、戦前では大物をふくめて小者に到るまで不敬罪で投獄された人間が数多くいたはずです。ちょっと例を今思い浮かびません、すいません。(^_^;)
もちろん、終戦とともに、天皇は「人間宣言」としたわけですから、戦後にこの罪名はありません。
ただ、そうした発言に対して、発言者の身元とや勤め先が分かった場合は、今でも国防服を着て大音響でビルの前に嫌がらせをしに来られることはあります。
気を付けましょう。

この回答への補足

戦前の右翼は官僚の手先となって働きましたが、戦後はGHQが利用した様です。

天皇と皇軍の無謬性という神話、さらに韓国併合以来の朝鮮人利用は、現在でも顕然と存在するということですね。

結局、(東京)天皇制とは「暴力による恐怖心」を前提にして成立するものなのでしょうか。

補足日時:2006/01/15 06:19
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この回答へのお礼

度々ありがとうございます。 

個人的な話ですが少々。 日中戦争当時、私の母方の実家の話ですが、

子供達が”はだし”で歩く様な貧乏暮らしをして随分”金を蓄え”たそうです。 ところが、当時の右翼(児○子分)がどこからかこれを聞きつけて”お国のため”とか言って脅迫まがいの徴用で全て獲られてお仕舞いになった
」という事です。
戦時中とはいえ、その後の母方実家の方々の経緯からすると非常に残念なことがありました。

>気を付けましょう。<
戦後右翼のする事もそうですが<この国は法治国家ではありません> 行政・裁判所がまともに対応しません。

”強い者に巻かれろ”式の連中が調子に乗って右傾化した最近の風潮には”ヘドがでる”気分になるのです。 どうして日本人は口先だけの卑怯者なのでしょう。

お礼日時:2006/01/15 04:49

(^_^;)


No.6の回答者ですが、ほそく有り難うございます。

ここは、「歴史」のかれごりーで文学のカテでは、ありましぇん。
一応、私は天皇家の系図から読み取れることしか、申し上げられないので、能力不足ですぅ。

>当然、「まともな説」であるか否かは問題にしたくありません。
とんでも説をここで期待しても無理ではありませんこと
>明治天皇御自身は孝明天皇と血脈の繋がりが薄く
この根拠はなんですかぁ。という補足質問すら、あたなにとってはナンセンスなのですね。

この回答への補足

まあ、面白さを求めている点では確かに不敬の意味を含んでいるのかもしれません。

皆様に、
歴史カテで<<不敬罪でつかまる>>とは名誉毀損の事でしょうか? 逐次、時代毎の権力者(今風でいう公人)の名誉を考慮した歴史を御配慮される様では、一意「時代の権威による偽史より以外を、一般人は知る必要が無い」ないという主張ですよね。
No3さんに参考URLを御提示戴きました事から、御理解いただいたものと考えたのですが・・・
それにしても日本人の歴史観は中国人や朝鮮人とほとんど変わりが無いということでしょう。

この質問文で書きました様に、学校教科書や政府広報で書かれる様な「歴史」を、ここで教えていただきたい訳ではありません。
”歴史とは”について、個々の皆様の意見主張を回答に求めている訳でもありません。
ここでいう血脈とは”ミトコンドリアイブ”もしくは”DNA親子鑑定”などを前提にした解釈講義は不要という事です。
他人の振り見てわが振り直せ・・・とか

宜しくお願い致します。

補足日時:2006/01/14 01:04
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この回答へのお礼

ところで<<不敬罪でつかまる>>って?何の話でしょうか、法令にあってこの質問・回答は該当するのですか?

お礼日時:2006/01/13 02:24

天皇の血筋については井沢元彦氏著の「逆説の日本史」


を読むといいかもしれませんね。
ここではやはり易姓革命の話と天皇の名前を元に2回の革命があったと推測してます。
一つが天智天皇と天武天皇の時。もう一つが武烈天皇と継体天皇の継承時に血脈が変わったとしています。
はじめ天智系だったのが天武の革命により、天武系に代わり、また天智の血に戻ったとされています。

この話は結構面白いので読んで見られたらいかがでしょうか。
詳しくは2巻に書かれています。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。

「井沢元彦氏の説」はあまり興味無いです。

お礼日時:2006/01/13 02:16

神話時代のことは別にして、やはり継体天皇にその可能性があるでしょう。


公式には、応神天皇の6代あとということになっていますが、実は王朝交替があったと見る説が古くからあります。

>平家滅亡、近くは、薩長による東京天皇擁立など、私の記憶では二回は「突然、天皇の血脈が変わっている…

平家滅亡は、正当な血筋でつながっています。明治天皇も問題ありません。どちらも血脈が変わっているなどということはありません。

>天皇が徳川の親族化する…

家康のもくろみは、明正天皇の子が位につけなかったことで成就しませんでした。天皇と徳川が親類であったのは、明正天皇1代限りです。

>天皇の血脈が変わった”と思える」時…

歴史ではなく未来の話、仮定の話になりますが、このまま有識者会議の提案どおり法改正が行われたとしたら、今上天皇から数えて4代目には間違いなく、天皇の血脈が変わります。
公式には神武天皇以来2千数百年、一説としても継体天皇以来千数百年にして、皇室の歴史を破壊するゆゆしき事態が訪れようとしています。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

NO6さんのところで補足させていただきました。
宜しくお願い致します。
>公式には神武天皇以来2千数百年・・・・
>・・の
>歴史を破壊するゆゆしき事態が

中国4千年・・の歴史というのと同じ様な気がします。

お礼日時:2006/01/13 02:20

>「まともな説」であるか否かは問題にしたくありません。



これは、明治天皇のことを言っているのでしょうか?

参考URL:http://www.asyura2.com/0401/idletalk7/msg/781.html

この回答への補足

少し慌てて、No6補足を投稿してNo2さんとNo3さんの回答を間違えて、補足お礼を入れてしまいました。

御提示いただきましたURLは、私は忘れていた記憶になります。
思い出した様な気がします。 結構面白い話ですよね。

ありがとうございました。


なにやら、私は「間違いだらけの亜流日本史」へ走ったのかも・・・・へへへ(^^;

補足日時:2006/01/13 02:02
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この回答へのお礼

>これは、明治天皇のことを言っているのでしょうか?

そうでは無く、「日本の天皇とは何か」を良く知る事を本意にしています。 宜しく。

お礼日時:2006/01/12 18:55

継体天皇もそうではないでしょうか?一応、応神天皇の子孫という事にはなっていますが没年と生年の間には少なくとも140年の空白が。

ここまで開くと、言いたい放題ですね。現在の天皇からたどれる最古の天皇らしいです。

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B6%99%E4%BD%93% …

この回答への補足

御提示いただきましたURLは、私は忘れていた記憶になります。
思い出した様な気がします。 結構面白い話ですよね。

ありがとうございました。

補足日時:2006/01/13 01:55
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この回答へのお礼

御回答ありがとうございます。

>ここまで開くと、言いたい放題ですね。
古すぎる例を持ち出して「言いたい放題」をお尋ねしているのではありませんので悪しからず。

時代背景や権力とは関係無く「天皇家自体の御都合」により、血脈が変わる場合もあると思いますが、時代背景や権力と連動している時の仮説(推理)の方が”面白そう”なので、御存知でしたら紹介下さいという事です。

お礼日時:2006/01/12 18:51

ひとつには天智天皇から天武天皇のときで、実は兄弟ではなかったといわれています。


また、後小松天皇の血筋が絶えて伏見宮から後継が入ったときも実は足利義満の血筋といわれています。
もちろん確たる証拠などはありません。
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この回答へのお礼

早々、御回答ありがとうございます。

>当然、「まともな説」であるか否かは<
>問題にしたくありません。<
と書きました様に、時代背景と理由について仮説となりうる様な推理が述べられているものであれば、御紹介戴きたく思います。

>実は足利義満の血筋といわれ
少し聞いた事ある様な気がします。 徳川時代と同じで武力統治権力と親族化した事例ですよね?

お礼日時:2006/01/12 18:41

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