あなたの習慣について教えてください!!

今日の大河ドラマを見ていたら斎藤勢が桔梗紋を用いていました。斎藤家の家紋は波の形の紋だったと思うのですが、大名家は二つの家紋を用いていたのですか?

A 回答 (2件)

こんばんは


確かに斎藤道三の家紋は「立波」ですが、子の斉藤義龍が、美濃の旧国主である土岐氏の家紋である「桔梗紋」に「戻します」。
「戻す」と記したのは、道三の妻、深芳野は佐藤道三の旧主、土岐頼芸の側室で、道三に「下げ渡されます」(略奪?)。実は、この時、すでに深芳野は懐妊しており、生まれた義龍は土岐頼芸の子と噂され、義龍自信もそう信じていたようです。のちに道三は、頼芸を追放し美濃国を乗っ取ります(いわゆる「国盗り物語」ですね)。
したがって、義龍にとっては道三は、父頼芸を下剋上した仇であったわけです。後に義龍は美濃国内の土岐家ゆかりの者とともに、謀反を決行し道三を殺し、美濃国を手中にします。
こうして、美濃の紋所は「立波」から「桔梗紋」に変わるわけです。

http://kamurai.itspy.com/nobunaga/saitou.htm
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この回答へのお礼

深芳野の話は知っていましたが義龍が家紋を戻したというのは知りませんでした。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/22 21:53

こんにちは。


複数の家紋を用いるのは普通の事でした。

公式な場所で使うのが、表紋、定紋といわれるもので、替紋、通紋というのが、普段着その他、分家の時などに使われました。

が、今回の例はこれと違うようです。
斎藤道三は土岐氏を滅ぼして領国を奪った、いわゆる下克上なわけですが、土岐氏の家紋は桔梗でした。

土岐氏滅亡後、しばらくの間、この桔梗紋を使いつづけたようです。
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この回答へのお礼

なるほど、そういう裏事情があるのですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2006/01/22 21:55

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