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 私の周りには将棋・囲碁・チェスなどをやる人がいるので、投了(=ギブアップ。勝負がついておらず、試合をまだ続けることができるのに、負けを認め試合を放棄する)という慣習・システムにはなじみがあり、抵抗はありません。一方、(狭義の)スポーツの世界では、この慣習がありません。
 ──と思っていたら、カーリングにはあるのですね。

 しかし、日本の伝統的スポーツ観では、よくも悪くも精神論というか、「最後までベストをつくす」ことが美徳とされ、「途中で放り出すなんて論外」というムードを強く感じます。たとえば、高校野球で、8回の裏が終わって後攻チームが10対0でリードだとして、先攻チームが“投了”したら(それがルール上は認められていても)各方面から非難の嵐でしょう。
 そういうスポーツ観のかたにとって、カーリングの投了はどう見えるのでしょうか。

 ついでといってはなんですが、他のスポーツで、投了の(あるいはそれに近い)慣習があればお教えください。ボクシングで「タオルを投げる」のは選手じゃなくてセコンド?だし、あとはゴルフの「OKボール」ぐらいしかうかびません。

A 回答 (4件)

カーリングは外に出たストーンだとか、8個しか投げられないとか、得点制限があるスポーツです。


奇跡は起こりません。

他にはスヌーカー。
キュースポーツで、一般的なビリヤードより広い台と小さい玉を使って、得点を重ねていくゲーム。
相手にミスをさせれば理論上何百点も入るが、差が開ききったらコンシード(このセットはギブアップ)をする。

バスケットボール。
残り時間わずかで点差があれば、もうコーチや控え選手がコートに入ってハイタッチをする。

この回答への補足

 この場を借りて、今後ご回答くださるかたにお願いします。

 この質問はカーリングのルール(得点に上限があるetc)をお尋ねしているのではありません。伝統的スポーツ観のかたは投了をどう感じているのだろうか? という質問です。よろしくお願いします。

補足日時:2006/03/19 16:36
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
 スヌーカーの例はよくわかりました。
 バスケットの例は、勝者の行為であって敗者の行為ではないので、投了とはいえませんね。

 1のお礼にも書いたように、私の記憶が正しければ、先日のトリノのカーリングでは、「ルール上(理論上)挽回可能な点差でも、投了していた」ように思います。

お礼日時:2006/03/19 16:35

No.3の方の回答にあるようにバスケットもそうですし、アメフトなんかもそうですよね。

あれも理論上は挽回可能でも(時間の制約等で)現実的に不可能なことから試合終了としています。と言う意味では、カーリングも変わらないと思うんですけどね。ただ、カーリングで“現実的に挽回不可能な点差”がどのくらいなのかが一般的でないために、質問者様にはおかしく思えたのかも知れません。

カーリングは1エンドで8個のストーンを投げます。つまり理論上は1エンドで最大8点が入ります。ならば9エンド終わって8点差つけられたところでも最終エンドに入るかというと、仮に勝負をしたとしてもリードしている方は得点を取らずともあいての石をただ出していけば良いのですから、まずすべてのストーンを残すことは不可能です。また、それを防ぐためにガードをおいたとすると、その分得点できるストーンを減らしてしまうことになるのでやはり逆転は不可能です。特にトッププレイヤー同士の試合ではまず大量得点は望めません。その辺がプレイヤー自身は良くわかっているので、素人目には逆転できると思える場面でも握手をするのです。

質問者様が例に出している高校野球は時間的な制約も得点の上限もない、“現実的に逆転不可能”なケースが限りなくないに等しいスポーツであるため、最後まであきらめない事が美徳とされるのでしょう。でも、こう考えていくと、実はそういうスポーツの方が稀なのかもって気がしてきました。
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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
 うーん、質問文が悪かったのでしょうか、回答者のみなさまがカーリングのルールやゲーム進行に詳しく触れていただくので、恐縮しています。私も8年前から興味を持っていて、一通りのことはすでに知っているのですが……
 また、質問文に書いたように、「投了」というシステム?自体には抵抗はありません。つまり「おかしく感じた」というわけではありません。むしろ納得しています。

   あなたはカーリングの投了を、「いさぎよい」と感じますか、「あきらめて放り出す」と感じますか?

という質問文のほうがよかったかも……

お礼日時:2006/03/23 01:31

柔道、プロレス

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この回答へのお礼

 ご回答ありがとうございます。
 肉体的苦痛にともなうキブアップは、ことの性格が異なると思います。(そのむね質問文に書かなかったことはおわびします)

お礼日時:2006/03/19 16:31

カーリングは一回で取れる点数に限りがあります。


そのため、最終回近くで大きく点差が開いてしまえば挽回できません。
野球は一回で10点でも20点でも取ることが(ルール上)可能ですが、カーリングは投げた石の数しか取れませんから。

カーリングの場合は、潔く負けを認めるのがフェアプレイの精神に叶ったものです。
試合を放り出すのではなく、相手を認め称えるんですね。
負けを認めた場合には、相手チームに握手を求めることで試合終了するくらいですから。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AB%E3%83%BC% …
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この回答へのお礼

 さっそくのご回答ありがとうございます。

 私の記憶が正しければ、先日のトリノのカーリングでは、「ルール上(理論上)挽回可能な点差でも、投了していた」ように思います。

 質問文中の「放棄」という表現はちょっと軽率でしたので、その前後を「潔く負けを認め相手をたたえる」等と言い換えてもかまいませんが、いずれにせよ、日本の伝統的スポーツ観では両者の区別をしないように感じます。

お礼日時:2006/03/19 16:28

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