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日本軍がフィリピンを攻略した時には、真っ先に敵の牙城であるルソン島に上陸しまっすぐにマニラへ向かい短期間での攻略に成功しましたが、(バターン半島は残りましたが)
米軍はなぜ直接ルソン島ではなく、レイテ島を最初の上陸地点に選んだのでしょうか。
結果的に、守備する日本軍は想定外のレイテに戦力を割かれ、後手後手にまわっているうちに壊滅してしまいましたが、これが目的だったのでしょうか。

A 回答 (7件)

日本は、台湾をルソン島攻略の基地として利用できました。

レイテ島よりルソン島の方が日本(台湾)に近いので、ルソン島を先に攻撃するのが当たり前です。

マッカーサーが指揮するアメリカ陸軍は、オーストラリアを起点にしてガダルカナル->ニューギニア->と攻めて来ました。ニューギニア方面から、まずレイテ島を占領してここに基地を作り、次いで日本軍主力のいるルソン島を攻撃するということで、米軍らしい無理のない作戦です。戦争に何より必要なのは制空権ですから、ルソン島に上陸する際にレイテ島に整備済みの米軍飛行場は絶大な戦力になります。

「結果的に、守備する日本軍は想定外のレイテに戦力を割かれ、後手後手にまわっているうちに壊滅してしまいましたが、これが目的だったのでしょうか。」

これは、日本軍が勝手に下手な戦争をしたということです。米軍が期待したのではありません。

本来、日本軍主力はルソン島にいました。ところが、レイテに米軍が来たので突然「レイテ決戦」と作戦を切り替え、ルソン島や本土方面から部隊や武器弾薬を送ったのですが、輸送船を次々に沈められ、武器弾薬も食料もない兵隊が辛うじてレイテに上陸しても、米軍に敵うわけがありません。

結果論でしかありませんが、レイテを取られるに任せ、ルソン島の兵力を温存して戦えば、もう少し米軍に損害を与えられたでしょう。ただ、いずれにせよ、圧倒的な戦力の米軍にいずれは殲滅させられるのは仕方ありません。

武器も弾薬も食料もなく、絶望的な戦闘で散って行った英霊、奴隷船としか形容できない輸送船に詰め込まれ、アメリカ潜水艦の魚雷一本で海に沈んでいった英霊に改めて合掌。
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お礼日時:2006/03/31 21:15

日本軍がフイリッピンを攻略した際、ルソン島に最初に上陸したのは、当時の輸送能力では台湾に近いルソン島を選ぶ必要があったのと、敵主力が集中配備されており、台湾から出撃する航空部隊により制空権が奪い易かったからです。



ルソン島守備軍は米比混成部隊で遅延作戦をとりバタアーン半島に後退したので、当初は順調でしたがバタアーン半島では猛烈な激戦になり日本軍は局地戦で何度も敗れています。  決して楽に占領出来たわけではありません。

アメリカ軍が最初にレイテ島に向かったのは、他のご回答にあるように、日本軍がすでに半ば完成させていた飛行場を占領利用出来る事、膨大な輸送船団の泊地があり物資、兵力の揚陸に便利、支援空母からの艦載機の航続距離からも好適な位置にあった事、日本軍の守備兵力も有効な抵抗をする程でなかった事、などを分析すれば当然でした。

しかも日本軍が乾坤一擲の反撃に出ることを予想しこれに対し一挙撃滅の準備も十分に行われていました。

ボルネオ島ブルネイ泊地に集結していた日本海軍主力の出撃に備えて、潜水艦群を配置し、その行動を把握フィリッピン諸島の狭い水道をレイテに向かう日本艦隊を航空攻撃で戦力を削ぐ作戦でした。
日本海軍は米潜水艦攻撃で重巡2隻を失い、戦艦武蔵が航空攻撃で脱落沈没、西村艦隊はアメリカ戦艦群の待ち伏せにあい全滅という事態に陥りました。

日本軍をフィリッピンに誘い出しその戦力をまとめて削いでしまうというアメリカ軍の戦略にはまってしまったのです。
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お礼日時:2006/03/31 21:15

米軍が選んだ理由はNo5の人が言っているとおり、大規模上陸、飛行場として使用可能な平野の存在などです。


当時米軍は海軍主体の太平洋横断作戦はマリアナを取ったことでほぼ完了しました。
陸軍主体のカエルとび作戦も、一応の最終目標であるフィリピンを残すのみでした(フィリピンは、当時陸軍を指揮していたマッカーサーが父の代から大量の利権を保持していた地でもあり、そのためこの土地を落とすことを強く主張したとも言われています)。
そのためこの上陸作戦は陸海軍の総力を結集したものだったのです。

さて、日本軍ですが、はじめルソンに防御陣地を入念に構築していました。
しかし、フィリピンにアメリカが攻め上る前に台湾沖航空戦という戦闘が起きます。
この台湾沖航空戦、戦争始まって以来の誤認大戦果でして、日本側の認識では空母11隻を撃沈、8隻を大破、戦艦2隻撃沈2隻大破という大戦果でした。
しかし実際は巡洋艦2隻大破、空母1隻中破というもので、日本側は650機もの航空機を失うという大敗北でした。

この誤認の原因はいろいろ言われていますが、当時戦果確認は主に航空機搭乗員の発言で確認していました。
しかし、この台湾沖航空戦は夜戦でして、火柱が立っても敵艦に攻撃があたって起きたものなのか、こちら側の航空機が吹き飛んでおきたのかがわからなかったため、生き残った搭乗員が火柱を見て「空母をおそらく撃沈した」などと報告したことと、別方角から見ていた搭乗員が同じく報告したことによる重複が原因と考えられています。
当初聞く側は「この戦果は絶対におかしい」として航空員に本当かを聞きましたが、「仲間の命をあれだけ失っている私たちの言を信じないのか」などといわれると言い返せず、結局この戦果のまま上に通ってしまいました。

これを聞いた上層部は歓喜、一気に決戦に持ち込むため、陸軍はレイテに移動しましたが、移転途中に米軍の大攻勢が始まったため、マトモな抵抗が不可能なまま壊滅しました。
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お礼日時:2006/03/31 21:15

 フィリピンの日本軍の主要拠点は、南のミンダナオと北のルソンでした。


 そこで、アメリカ軍は、ルソンとミンダナオの中間の要地としてレイテ島を選択しました。
 レイテ島の利点は、まず東面に大きな湾がひろがり、大船団の泊地に利用できること。つぎに東部平野が飛行場設定に適していること、さらに日本軍の防備が手薄なことなどがあげられます。
 つまりこの島を占領すれば、ルソンもミンダナオにも侵攻の手がかりを得ることになります。

 なお、讀賣新聞社篇『昭和史の天皇』「レイテ決戦下」(角川書店 平成元年)に、1944年(昭19)8月に開かれた南方総軍主催の兵棋演習(兵棋指導)の席上、総軍が「米軍はミンダナオに来る公算が一番大きく、レイテに来る事も考えられる」と述べたのに対し、当時の比島軍司令官黒田中将の判断として「ミンダナオなんかには来ない。必ずレイテに来る。でなかったら直路ルソンに来る」と反論したとあります。当時の現地軍もレイテの重要性を認識していたことがわかります。
 
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お礼日時:2006/03/31 21:15

サイパンを攻略した後の作戦として、


台湾を攻略。
日本本土を攻略する。
フィリピンから、台湾へ行く。
などが考えられたようです。
要は、南方の日本軍はほっておいても、立ち枯れになると言う考えです。海軍は台湾または本土攻撃でフィリピンも飛ばすつもりだったようですが、マッカーサーがフィリピンはアメリカの同盟国だと主張し、ルソン攻撃を希望したようですが、先を急ぎたい海軍はレイテ攻略で日本空軍を壊滅されば、陸軍が後はやるだろうと、防備の不備なレイテを選んだようですよ。
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お礼日時:2006/03/31 21:15

ダバオを孤立させるのが目的だったと思います。



南北に大きい2島があり、
陸軍は、ダバオに戦力を集中させていたようです。
補給路を断たれた南の島の兵隊は
生き地獄だったようです。

南方のダバオを攻略していた場合、
栗田艦隊は直接殴りこみをかけられますので、
小沢機動部隊のオトリ作戦も相当な成果を上げたかもしれません。

米軍は、
カエル飛び戦法と言う、
日本軍の集中配備した島の後ろの島を占領してしまいます。
補給路を断たれ、孤立した島は無視されました。

そして戦争は継続されました。
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お礼日時:2006/03/31 21:14

0戦よりも優れたグラマンとB29の性能を考慮してマッカーサーが決定したのであり、他の指揮官だったら違っていたかもしれません。



参考URL:http://yokohama.cool.ne.jp/esearch/sensi-zantei/ …
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お礼日時:2006/03/31 21:14

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