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大東亜戦争で日本はアメリカと戦わずに済む道は 本当に残されていなかったのでしょうか?

A 回答 (23件中1~10件)

#3、6、13、16です。



要するに日露戦争に勝利して、伊藤博文が暗殺され、韓国が併合されるまでは、いわゆる明治維新の立役者だった「明治の元勲」というものが存在し、彼らは下級武士出身ですが、一応政治を学んだテクノクラートなんです。彼らが廃藩置県を断行して、国軍を創設するんですが、シビリアン・コントロールが効いたんです。だから外交や戦争でも着地点というものを考慮して遂行することができました。

でもその国軍が軍閥として成長し「明治の元勲」がこの世から去っていくと段々軍閥が強くなって、政治家の力が弱くなっていったんですね。軍というのは戦争と敵があってこそ、存在価値がありますから。その存在価値を失われないように行動する。それが軍部の独走ということなんです。日清、日露の勝利で軍部は浮かれまくった。これに歯止めをかける気骨ある政治家がいなくなった。シビリアン・コントロールが効かなくなったんですね。

これが日本がアメリカとの戦いを避け得なかった背景的原因だと思います。

開戦時に東条英機ではなく、伊藤博文であれば戦争を避ける方策を考えてくれたかもしれません。軍部も伊藤博文の意向に逆らう訳にはいきませんから。

こんなことを言ってもあとの祭りですが…。
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この回答へのお礼

 明治の元勲が軍は作ったけれども政治家は作れなかった。
 この辺が敗戦の原因ですかね。仏作って魂入れずってとこですか。

お礼日時:2006/04/06 01:32

 石原莞爾氏の政策が可能だったか、どうかが答えになると思います。



 日本が一方的に中国本土から撤退し、満州の支配だけを目指した場合、アメリカ側から宣戦布告をすることは考えられません。その場合、対日石油禁輸がどの程度続くかがポイントになります。

 ただ、当時の日本政府が軍をコントロールできず(統帥権:外国の軍は政府がコントロールしていたのに対し、日本軍は天皇の軍隊で政府は指揮権がない。)軍の指揮を行なう参謀本部が、外国派遣軍をコントロールできない構造になっていた当時の状況から見て、軍の撤退が出来ず石油の対日禁輸も解除されなかったでしょう。

 石油がなければ、中国本土でも日本がジリ貧負けになったと思います。

 尚、1980年代に満州北部で発見された大慶油田(最大産出量年間1億トン:太平洋戦争前、日本はアメリカから年間200万トン輸入)が見つかっていれば、事情は変わっていたでしょうが・・・・

 
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この回答へのお礼

ちがったらごめんなさい?

ジパング好きでしょう?私も好きです。

お礼日時:2006/04/12 00:36

#3、6、13、16、18、20です。



今までの私が回答したものの総括です。

「日本はアメリカと戦わずに済む道は 本当に残されていなかったのでしょうか?」

という質問は

「なぜ日本に軍閥が生まれ、政治は軍閥の独走をゆるしてしまったのか?」

という質問に置き換えられると思います。軍閥発生の原因は私ひとりが答えられるような小さな問題ではなく、幕末、明治と日本が近代化する上で国軍がどのように成長し、社会的な影響力を持つに至ったかを綿密に観察する作業が必要です。

もうこれは「Q&A」のレベルではなく、近現代史の専門家が議論している対象なので、そういう研究をしている人が著した本などを読まれて自分なりの回答を出すことが大切だと思います。
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 日米開戦から中国侵略へ質問者の関心が移ってきているので。



 当時の情勢・考え方や可能性については、満州国誕生の立役者:石原莞爾氏(満州事変当時関東軍参謀、中佐。終戦時中将)が、戦中戦後に渡って公演・執筆活動を行なっており、その当時の状況が良くわかります。

 石原莞爾持論
1.現在の世界情勢、各国の国力とその植民地、列強国の中国への経済進出の状況から見て、日本が世界の列強として生き残るには、満州をらなければならない。
2.満州を取ったら、全力で日本・朝鮮半島・台湾・満州を守り抜く。戦線拡張はしない。

 現実
 東京の参謀本部は、関東軍の満州への進出を制止。関東軍参謀、石原莞爾はそれを無視して満州全域の占領を指示。満州国が設立され、石原は陸軍士官学校同期トップで昇進。
 盧溝橋事件でも参謀本部は現地軍の戦線拡大を制止(この時、石原は参謀本部参謀だった)。現地軍参謀は、参謀本部の指示を無視して進軍。
 石原は、「鵜の真似をする烏」と嘆いたとか・・・。


 満州にアメリカを参加させることが出来たか?
 当時ヨーロッパ列強はブロック経済(植民地からの他国の締め出し)を推進し、それに対し広い国土を持つアメリカは(植民地を持たなくても列強に対抗できる)その経済力から自由貿易を主張していました。
 満州にアメリカの進出を認めれば、軒先を貸して母屋を取られるではないですが、アメリカが満州を支配する結果となった可能性大と思います。
 
  
 日本の戦前の軍部というのは、組織として巨大すぎ、情勢の先読みをしてマスコミをコントロールするような統一した意図を持つことはありませんでした。(組織の失敗を隠蔽すると言った後ろ向きの行動に対しては、軍としての権威と力を守る点で一致して行動しましたが。)
 世界恐慌から続く日本の戦前の不況は、今のバブル崩壊後の不況など、全く問題とならないくらい長期で深刻なもので、東北では餓死者も出ています。
 政治家による改革は失敗続きで、庶民にも植民地のない国土の狭い日本が、ブロック経済の世界では列強として生き残れないことが見えつつありました。
 第一次大戦で植民地を失ったドイツで、侵略路線を進むナチスドイツが台頭するような国民感情を育てた社会情勢と、極めて良く似ています。

 

この回答への補足

日米開戦から満州事変へ質問者の関心が移ってきているので。>別にそうでも無いんですけどたまたま流れ的にその辺がターニングポイントかな?ってなっているだけで・・・・

 石原莞爾は賛否両論兎角色々有りますが私は好きです。
 
満州にアメリカの進出を認めれば、軒先を貸して母屋を取られるではないですが、アメリカが満州を支配する結果となった可能性大と思います。>此れは結局アメリカと手を組むことは無理だから戦争は避けれなかったと受け取ってよいのでしょうか?

補足日時:2006/04/07 15:22
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#3、6、13、16、18です。



>明治の元勲が軍は作ったけれども政治家は作れなかった。この辺が敗戦の原因ですかね。仏作って魂入れずってとこですか。

そうですね。維新世代を勝手に振り分けますと

第一世代:大久保利通、西郷隆盛、木戸孝允
第二世代:伊藤博文、井上馨、板垣退助、江藤新平
第三世代:桂太郎、山縣有朋、陸奥宗光

それから平民宰相の原敬や、デモクラシー派の犬養毅や尾崎行雄などが出てきますが、明らかに政治家としてのスケールが小さくなってきていますね。また原敬が右翼に、犬養毅が軍部に殺されたのは象徴的です。

もともと明治の元勲が下級武士の出身で、軍人的要素も兼ねていたので、士族を廃止したあとで創設した国軍出身者との区別があいまいだったことも原因のひとつと考えられるかもしれません。とにかく明治の元勲は、軍部を抑えられる優秀なテクノクラートの創出には失敗したといえるのではないでしょうか?

米内や山本のように、海軍の中から国際的政治志向のできる人物が輩出したのは、歴史の皮肉であり、また日本の不幸であったと考えられます。
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たしかにアメリカとの戦争を避ける方策は無いとは言えないと思いますが他の人の回答に見落としている事があります、それは日本は有色人種


の国で当時白人が世界を支配出来る人種であり、日本人のような猿に大きな顔をされて世界に進出してくることを排除しようとした一大勢力が
アメリカです、完全に世界から人種差別がなくなとのは南アが10年程
前に差別撤廃するまでつずいていました、当時海軍軍備を米英と差別する必要がありますか、日本を彼等と同等とは見ていないのです、中国から引き上げれば何年かは戦争はさけられても最後には艦船はあっても動かす事は出来ず戦力はあっても降伏することになり。世界は白人国が一等国で有色人種の国の中で2,3等国を争うようなものになっていただろう、戦後の教育で教えられていないことが世界には人種差別があると
とゆうことです、どこの国でも差別は無くそうと教育していますが差別
は感情から自然発生的なもので何年かすれば無くなるものでしょう。当時アメリカは日本を同等とは見ていないし、日本はそれほど現在のような卑屈ではなかっただけです。
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No.5の返答です。



>1>日露戦争で血を流したのは日本人なのにアメリカは何の権利があって
>満州国に乗り込むのですか?

アメリカに権利なぞありません。(笑)
満州に鉄道を引けば、利益が得られると思ったので口をはさんできたのです。
しかし、日本にもアメリカを引き込むメリットはありました。
日露戦争後、日ロ関係は急速に好転しますが、それでも将来にロシアが満州
に攻め込む危険性は残ります。(実際、太平洋戦争末期にソ連が満州に攻め
込みました)

ところが満州にアメリカの利権を残しておけば、ロシア(ソ連)が満州を攻め
ようとすると、アメリカが利権を守るため口を突っ込んでくるわけです。
これは安全保障の観点から、大きなメリットだと思います。

しかし、この案は国益重視の小村寿太郎らの強硬な反対によって、潰れてしまい
ました。短期的には、たしかに日本が単独で満州鉄道の経営にあたった方が
利益があったのですが、長期的観点では疑問が残る決断でした。

参考:大東亜戦争の遠因-2.満州の鉄道をめぐる問題
 http://www.jiyuu-shikan.org/faq/daitoasensou/eni …


>2>日本は早期から前面参戦を決め英外相グレイの要請により地域制限を
>したと認識していますが?

欧州に陸軍を派遣しなかったことが、問題なのです。
たしかに海軍の鑑定を地中海に派遣して機雷を除去し、また中国大陸のドイツ
の租借地を攻略しました。

しかし、イギリス始め連合国が喉から手が出るほど欲しかったのは、戦争の
勝敗を決める陸軍の兵力でした。
これを潰したのは、陸軍の長老である山縣有朋です。
日本陸軍を近代化するにあたり、ドイツ参謀本部のメッケル少佐に世話になった
恩があるという情緒的な理由で、国益に関わる重大な問題に汚点を残しました。

また副次的な損失として、日本陸軍が高度に機械化された戦争を体験できな
かったことも上げられます。
第一次世界大戦では、はじめて戦車や飛行機、さらには毒ガスが大規模に使用
されるなど、今までの戦争の概念を覆す大きな変化がありました。
ところが日本は機械化された戦争の洗礼を浴びなかったため、その後の兵器の
近代化において、大きな遅れをとります。

実際、アメリカは第一次世界大戦に参戦したのですが、その内容にビックリ
した「マッカーサー」が、すぐさまアメリカ陸軍の近代化に努めたため、
後の第二次世界大戦において、日本とアメリカで大きな差が出る結果となり
ました。


>3>問題は此処です!此処で初めて米国を先に引き込み満州国の利権を分け
>るわけには行かなかったのか?
>と書いてから気付きました。そのことを踏まえた上で1の時に米国を引き入
>れとけば良かったと言う事でしょうか?

盧溝橋事件の段階では、満州国の権益はほぼ日本が握っていましたので、
国内情勢を加味すると難しかったのではないかと思います。
引き入れるなら、もっと早い段階からの方が現実的でしょう。

私は中国に日本が手を付けなければ、英米、および蒋介石との妥協は十分可能
であったと思います。しかし、盧溝橋事件後、中国大陸に日本が勢力を拡大
してしまうことで、そのチャンスを自ら潰してしまったと考えています。

この回答への補足

<私は中国に日本が手を付けなければ>

>すいません補足お願いします。此れは日露戦争の後満州国にも手を触れないと言うことでしょうか?

すいません(泣)行が変なところで変わるのがどうも気になるんですが・・・あっ!怒らないで!ちょと気になっただけですから。

>確かに長期的に見ればアメリカに利権を与えず満州を取ったのは失敗だったかもしれませんが、まず日本が主導権をとりその後米国を受け入れると言った方法は無かったのでしょうか?日露戦争での被害を考えると「国益重視の小村寿太郎」と言うのは少し酷な気がします。事実日比谷焼き討ち事件なども起こっていますしこの辺は小村を以ってしても無理だったと採るべきでは?

<欧州に陸軍を派遣しなかったこと>

>この辺の経緯を詳しく書いてあるURLが有ったら教えてください。勉強しなおします。

補足日時:2006/04/06 02:07
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>政治的強固路線と言うのは、どこまで主張し譲歩はどこまでか、しっかりした落としどころを考えた上で、強固なポーズを取るもの



#15の sudacyu さんのご意見に私も共感します。

伊藤博文は大国ロシアと戦う局面に陥っても、アメリカに働きかけて。落としどころで仲介してもらえるように開戦前に外交的便宜を図っています。だから旅順陥落、日本海海戦で日本軍が頑張ったから、それを受けてセオドア・ルーズベルト大統領が講和の仲介の意を伝えた時、ロシアも素直に受け入れられたんですよ。伊藤さんはちゃんと着地点を準備していた訳ですよ。だけど日米戦争には、そういった着地点を準備した政治家が全くいないのです。

>まったく、政治が国民感情だけで動くとろくなことがない。

ロシア軍が日本に上陸してこなかった事だけでもありがたいことなのに、日本海海戦の大勝に浮かれて朝鮮を取れ、満州を取れ、シベリアを取れとか、当時の国民や右翼はバカバカしいことばかり言っていました。あの時点で対外進出は止めとくべきだったんですよ。でも圧力が凄かったから、伊藤さんも根負けして朝鮮を取らざるを得なかったのです(現在では伊藤博文が積極的な韓国併合論者ではなく、むしろ韓国の独立を保全すべきだという主張を持っていたことが明らかになっています)。

>それよりもそうした風潮を作った人たちの愚かさに視点を充てるべきでは?

日本人の私が言うのも情けないんですけれども、日本人の中にそういう風潮に負ける愚かさというか、弱さというものがまだあるんじゃないでしょうか?小泉総理の靖国参拝などの対中強硬路線に心を惹かれている方々にも、案外そうした脆さ、弱さがあるのでは? 
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 多くの方が色んな視点で答えておられるので、全く別の点からだけ。



 真珠湾攻撃を行なったときの首相、東条英機(極東軍事裁判でA級戦犯として絞首刑)は、個人的には対米開戦に消極的であったらしい。側近には「俺がやらなければ、誰かが俺の首を取りに来る。その後で、別の首相が開戦するだけだ。」と言ったとか。

 実際問題、真珠湾攻撃を聞いた国民の多くは万歳を叫び、提灯行列でお祝いした所もある。(当時の新聞記事を調べてください。)
 結局日本の国民感情からは、開戦以外の選択はなかったと思われる。
 まったく、政治が国民感情だけで動くとろくなことがない。

附記
 昨今の対中強固路線に賛成の論も、単なる感情論が多いのが気になるところ。
 政治的強固路線と言うのは、どこまで主張し譲歩はどこまでか、しっかりした落としどころを考えた上で、強固なポーズを取るもの。
 譲歩を考えない単なる強固論は、政治・外交上の害はあっても利益にはならない。
 小泉首相の対中強固路線を感情的に支持する人の多くは、小泉首相が日本の国益を守られると判断して中国と政治的妥協をすれば、一転して小泉不支持に回りそうな気がする。
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この回答へのお礼

貴重なご意見有難う御座います

政治が国民感情だけで動くとろくなことがない>これは当時のマスコミ等を軍部がうまく利用した結果で国民が馬鹿なわけではないと思いますが?それよりもそうした風潮を作った人たちの愚かさに視点を充てるべきでは?

お礼日時:2006/04/05 14:49

#3、6、13です。



開戦当時の日米の航空母艦の比較です(カッコは隻数)。

<日本海軍連合艦隊>

大型空母:赤城、加賀、翔鶴、瑞鶴(4)
中型空母:飛龍、蒼龍(2)
小型空母:鳳翔、瑞鳳、龍驤(3)

<アメリカ太平洋艦隊>
大型空母:レキシントン、サラドガ(2)
中型空母:エンタープライズ(1)

<アメリカ大西洋艦隊>
中型空母:ヨークタウン、ホーネット(2)
小型空母:ワスプ、レンジャー(2)

ご覧いただければ分かるとおり、わが連合艦隊の高速空母群の米国空母群に対する圧倒的優位は明らかです。山本の真珠湾攻撃の最大の狙いは太平洋艦隊に配備されているレキシントン、サラドガ、エンタープライズを撃沈することによって、航空機動戦力の差を完全なものにすることです。目的が達成できれば山本の考え通り、米国を交渉の場に引っ張り出すことは可能だったかもしれません…。

しかし結果は空母を打ち漏らし、逆にミッドウェー海戦で赤城、加賀、飛龍、蒼龍を失い、さらに翔鶴、瑞鶴も失って日本の機動艦隊は消滅しました。山本としては真珠湾で空母を打ち漏らした時点で日本の敗戦を観念していたのでしょう。

ミッドウェーにしても真珠湾での航空隊長だった淵田の猛反対を押し切って敢行し、虎の子空母沈没の報を聞きながら将棋を差していた話は有名です。山本としてはまともに米国と戦争すれば、勝ち目がないと分かっていたから、もうやる気がなくなっていたのだと思います。
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この回答へのお礼

かなりお好きなようで!(^^)!私もこの辺の話はかなり好きなので一杯話したいところですが、多少論点がずれてしまうと思うので、次回日米決戦!とでも名打ってやりますか!私は航空好きです。(^^)v

お礼日時:2006/04/05 14:43

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