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私は将来小学校の音楽教諭を目指しているものです。
地域やサークル・部活などで自分から合唱団に入る場合を除いて、
学校教育の場で合唱を取り入れる理由とはなんなのでしょうか?
私自身合唱は好きな授業の一つなのですが、なぜ学校で当たり前
のように行われているのでしょう。

A 回答 (4件)

う、なんと根本的な疑問なんでしょう。



そういう部分を突かれると、結構ベテランの先生でもスパッと答えられる人は、少ないのではないでしょうか?

「なんで学校に行かなきゃなんないの?」的な響きがあります。

で、ド素人の私の推測ですが・・・・
#「あんだよ、それ」なんてツッコまないでね。

1)「協調して合唱すると、楽しくて、キレイな音になる」ことを実感させる。
2)ヘタクソもオンチも「みんなで協力すればまぁまぁよくなるじゃん」というのを解らせる。

と言うのを音楽を通して教えることじゃないかと・・・

#合唱の授業は、昔っからわりと崩壊しやすい授業ですね。
#最近のガ○共には、なんか工夫がいるかもしれないなぁ。
#・・・ゴスペラーズやらせるとかか?
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高校、大学、そしてアマチュアのサークルと合唱を続けて来た者です。


純粋に好きな立場からですと、正直言ってフクザツな気持ちですね。

子供が中学生と高校生なのですが両方とも学校で「合唱」を半ば強制のように歌わされています。練習には結構な時間を費やし、クラスごとに競わせて「校長杯」を争ったりします。歌が好きじゃない子にとっては”相当な苦痛”なのではと思います。

ただ学校の立場からだと、合唱は「短期間に協調性を養わせる」「それに伴う努力(あるいは怠け具合)が第三者の目に比較的容易に見て取れ、評価しうる対象である」といった理由から利用されていると思われます。
もちろん、美術でも「共同製作」体育でも「組立体操」(古い言い方かも?)といったものがあり、それはそれで学校の期待する教育目標をある程度達成できるのかもしれません。でも合唱のほうが分かりやすいし、まあ、成功すれば盛り上がるものではあるし、その辺が広く用いられている理由なのではないでしょうか?

しかし、嫌々「大地讃頌」を歌っている年頃の男の子を見ているのもなんかツライ気がします。好きではないことを我慢してやるのも大切かもしれませんが、特に思春期の感情表現のヘタな子に表情いっぱいに歌わせるのは酷な気がします。
合唱はホントに好きな人だけで歌ってほしいなーと思ってしまいます。
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合唱は、声が楽器ですよね。

つまり、自分そのものですから、あれがなくてはできない、これもなくては、ということがなく、みなが持っているものだから、必修なのではないでしょうか。それに、子どものときから、譜読みになれて音感も育ちます。隠れた才能を発掘できるのではないでしょうか。
そして、ハーモニーを身につけるのは、人の音も聞き、自分の音も聞き、バランス感覚を養えるし、情操教育にとてもいいと思います。

大切なのは、強制ではなく、子供たち一人一人に楽しさを感じさせることではないでしょうか。声を出すって、健康的で、ストレス解消にもなるし、とかくこもりがちになってストレスをためてしまう今の児童には、いいものだと思いますが・・。合唱は、絶対音感ではなく、相対的な音感を育てるのには、最高の手段ではないでしょうか?ピアノがなくても、Aの音さえ決めれば、アカペラでも楽しめるし、すばらしいですよね。気難しく考えずに、精神も肉体も解放させるものだと思えばいかがでしょうか?
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楽しいからじゃないですか。


人間、仕事だけじゃおもしろくない。たまには息抜きも必要。趣味という楽しみが必要。仕事と趣味が一致してる人もいると思うけど、みんながみんなそうではない。
音楽も美術も書道も体育もその他の教科もすべて、楽しみ=趣味を発見するひとつの手助けになっているのではないでしょうか。趣味の例として子供たちに与えている。その中に面白みを感じる子もいれば感じない子もいる。でも、アイディアとして与えている。
音楽の中にも、音楽鑑賞や楽器演奏、独唱、合唱など色々あるけど、その中でも「自分は合唱がいいな」って思った子は合唱を趣味にするでしょうし。

こんな考え方ってどうでしょう?
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