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 運命に従うのは運命。これはわかります。

 しかし、運命に逆らうのは運命ですか?
逆らったところでその人自身の運命なのですから、
やはり運命ですか?

 自分は、逆らっても無視しても運命だと思います。

 だとしたら、どう転んでも人間が死んだときの結果が
その人の運命なのですか?

 一時、成金の億万長者になっても、死ぬときに無一文なら
そいつはヴィンボッタレの運命だったのでしょうか。人間とは
どう評価されるのでしょうか。神は我らを救い給うのでしょうか。
死んだときの評価を考えるのは棺桶に入ってからでも遅くは
ないのでしょうか。こんなことを考えるのは野暮なことなので
しょうか。

A 回答 (7件)

>ヴィンボッタレ


何語ですか??

>こんなことを考えるのは野暮なことなのでしょうか。
人生の終焉を迎えたときまでに歩んできた道が「運命」です。
この悩みは誰でも一度は思春期の頃に考える疑問なので今回は思い違いでは無いですね。

思春期なら多いに悩みましょう。
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心が変われば態度が変わる


態度が変われば習慣が変わる
習慣が変われば人格が変わる
人格が変われば運命が変わる

自分自身が変わる事で運命が後からついてくるものだと、私は思います。
今は、今を大切に精一杯生きる事です。

神から見た人間の評価
 神は人類皆、平等に作られています。
 それは見た目や、環境などでは無く、魂です。
 ですから、生きているうちに、どれだけ魂を磨く事が出来るか。
 それが評価されるのだと思います。
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運命に従うのも運命、運命に逆らうのも運命です。


今、その様に考えていること自体が運命なのです。

人の行動はすべて運命です。
例えば、この電車に乗ると事故がありそうだからと、次の電車に乗ります。
次の電車が事故を起こしたらそれも運命、前の電車が事故を起こして、事故に遭わずに済んだら、それも運命です。
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結局は「運命」という言葉の捉え方じゃないですかね。


これから先の未来について言う時は、
「従う」「逆らう」っていえるけど、
過ぎてしまったことに対しては、
「運命だった」としか言いようがないでしょ。
自分が「運命に逆らう」として起した行動だとしても、
過ぎてから振り返ってみれば、
それは「運命だった」事には変わりないと思います。
過ぎた今となっては、逆らっていようが従っていようが、
経験したことは一つですから。
その一つを「運命」と言ってるだけだと思います。
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 質問の焦点がどこにあるのか今一つわからないのですが…。


 最終的に紡いだ人生の図や結末が、運命という名であろうとなかろうと、それがその人の人生なわけで、別にどっちでもいいことではないですか? 「運命」と「人生」を無理に切り分ける必要も、無理に一緒くたにする必要もないことだと思います。野暮だとは思いませんが、少なくとも今から「死んだときの評価」を考えるのはちょっと気が早いでしょう。本当に差し迫った死と共に生きている人に叱られますよ。

>BENIGENさん
 ビンボったれ と言いたいのではないかと思います。わかった上でおっしゃってるのでしたらすみません(笑)。
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 運命というのは前もって決められたもので


後から人間の努力で変えられるものではありません。
逆らえるものなら、それは「運命」のように見えても「運命」ではなかったのです。
その「運命に逆らおうとした」行為自体が
その人の前もって決められた運命だったのです。

 明け方に考えることにろくなものはありません。
考え込んでないで、パソコンを閉じてベッドに入るのがよろしいかと思います。
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マッチ売りの少女というお話があります。


同志社、イタリア車、女子校生と交際、俺って最高・・・マッチは次々に幻影を見せてくれます。そうして最後にはミスチル流れる中、天に召されていくのです。
大丈夫、今や話しかけてくれる人さえ皆無になった社会の底辺を這いずる無教養なあなたでさえ、神はきっと救いたまいます。
可及的すみやかに召されますように。
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