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現在もイスラエルとその周辺とで激しく争っていますが、なぜあのように争っているのでしょうか?
正直、これまで分かっているつもりで全く分かっておりませんでした。
よろしければなるべく分かりやすくかいつまんで教えていただけると助かります。
どうぞよろしくお願い致します。

A 回答 (7件)

宗教絡みで捉えると、ややこしくなるだけです。


単純な話は下のとおりです。

1、第二次世界大戦の前にヨーロッパ全域にユダヤ人がたくさん住んでいました。
一次大戦後の”民族自決主義”の名の下にヨーロッパのそれぞれの民族はそれぞれの国家を持ちましたが、
ユダヤ民族は国家を持てず、たくさんの国々に散らばって住んでいました。
そして、各国々で程度の差はあれ、少数派ゆえ、嫌われ、迫害されていました。
そんな中で”民族の伝説のふるさとイスラエルに帰ろう”というシオニズム運動が発生しました。
2、一方、パレスチナの地には今のパレスチナ難民の皆さんが長年住んでいました。
英国の植民地となっていましたが、大した資源も産物も無く、貧しくも平和に暮らしていました。
3、迫害やシオニズム運動の影響もあって、ヨーロッパからパレスチナに移住するユダヤ人が増えてきました。
パレスチナ人から土地を買って住み着き出したのです。
4、第二次世界大戦が始まり、ユダヤ人の大富豪たちは英国に協力しました。
見返りに、戦後に、ユダヤ人国家の建国を約束させました。
英国人にとって辺鄙な中東の土地など、どうでも良かったのです。
また欧米のマスメディアに影響力のあったユダヤ人は、
ナチスドイツによるユダヤ人迫害を数倍、数十倍に誇張することにより、
世界的な同情を引くことに成功しました。
(実は”アウシュビッツ”や”アンネの日記”の話はかなり怪しい)
5、大戦終結後、ユダヤ人は”イスラエル建国”を宣言します。
欧米諸国は賛成しました。米国ではユダヤ人資本の力が強かったし、
英国はユダヤに借りがある。
他のヨーロッパ諸国は”厄介払い”が出来ると考えたのです。
アラブ諸国はパレスチナ人の味方をして、これに反対しましたが、当時は力がとても弱かった。
それでもパレスチナ人を救うために戦いますが、
第1次~4次の中東戦争はアラブ側の負けに終わってしまいました。
そんな過程のなかで、古くからパレスチナに住んでいた人たちは迫害され、貧しい生活を強いられています。
”話し合い”が通用しないので武力に訴える人が増えてしまうのは自然の流れです。

パレスチナ人は”自分の土地を取り戻し、安全で自由に生活したい。”
イスラエル人は”ココを追い出されたら行く場所が無い。”
と考え、必死になって戦争をやっているのです。
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↓が最もわかりやすいと思われます。



参考URL:http://www.nhk.or.jp/kdns/_hatena/06/0722.html
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これは宗教の問題ではなく、イスラエル生存を認めるかという政治の問題です。


宗教の問題ならば、イスラエル建国以前に共存していたことは説明できませんし、
イスラム教国である隣国・エジプト・ヨルダンがイスラエルと和平を結んでいることも説明できません。

これは、イスラエルを武力で追放できるという幻想を考えている政治指導者がイラン・シリアにいるということ、
それと、パレスチナ・アラブが現実的な政治指導者を持っていないことにつきます。
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最初の部分ははしょりますが、ユダヤ人は事情によってエジプトにいました。

それが、モーセという人がリーダーになってエジプトを出ます。映画なんかで海が割れる有名なアレですね。そのとき初めて「神様」が姿を現します(厳密には現してないんですけど)。で、神様がユダヤ人に「イスラエルに住みなさい」といいます。当時イスラエルにはもう先に住んでいる人がいたのでユダヤ人は先に住んでる人はどうすればいいですかと聞いたところ神様は「殺しちゃってオッケー」と返答しました(本当)。神様OKが出たのでユダヤ人はパレスチナ人を殺して自分たちの国を作りました。

それからイスラエル王国は繁栄して立派な神殿を建てるのですが、内輪もめなどもありだんだん植民地にされます。その後、ユダヤ人の改革を訴えたイエスが十字架にかけられたりしてついにイスラエル王国は消滅し、ユダヤ教徒は世界に散り散りになります。客観的にいうとパレスチナ人の手に戻ります。
その後、イスラム教の教祖ムハンマド(マホメット)がエルサレムで入滅します。おかげで、エルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の聖都になってしまいました。
さらに困ったことにユダヤ教、キリスト教、イスラム教共に旧約聖書を経典としています。そこには、先ほども書いたように「イスラエルはユダヤ人に与える」という神様の約束がありますので、ユダヤ人は「神様が約束したんだからここは俺らの地(約束の地)」だからと自分たちの国を再興するのを悲願としたのです。
現在でも、エルサレムの神殿跡(嘆きの壁)にはユダヤ教徒が毎日お祈りをしていますが、それはかつてのイスラエル王国の栄光の復活を神様にお願いしているのです。それは、パレスチナ全域がユダヤ人国家になることですが、その栄光の時代は今から3000年も前の話です。ユダヤ人は「3000年前は良かったなあ」といっているのです。

ちなみに、ヘブライ語で平和をイェール、街をザレムといいます。イェールザレム、つまりエルサレムというのは「平和の街」という意味なのです。神様はずいぶんとシニカルなジョークがお好きなようです。
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イスラエルはユダヤ教にとってもイスラム教にとっても最も重要な聖地の一つです。



第二次世界大戦中イギリスはパレスチナ人に戦争に協力すればイスラエルの地に独立国家を作らせて上げると約束しました。
しかし、ユダヤ人にも同じ約束をしていました。
ダブルブッキングしちゃったわけですね。

当然のように戦争が終わってから問題が勃発しました。
国連はそれじゃあ仲良く公平に半分子にしたらいいじゃないかと提案し、土地をパレスチナ人とユダヤ人に分け与えました。
これで一件落着に見えたんですが、実はイスラエルの土地の90%くらいはパレスチナ人が持っていて、ユダヤ人は10%くらいでした。
つまりパレスチナ人から40%くらいの土地を無理やり奪ってユダヤ人に上げちゃったわけです。
当然パレスチナ人は納得できません。
周辺のイスラム教国家も納得できません。

当然のように戦争になったんですが、ユダヤ人にはアメリカが味方しちゃったのでパレスチナは勝てるはずもなく、今の状態ってわけです。

ちょっと曖昧ですがこんな感じだったと思います。
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 #1の方の回答にあるようにこれは宗教が原因の諍いです。

しかし過去にはユダヤ教、キリスト教、イスラム教を信じる人達はちゃんと共存していた例が沢山あります。特に世界帝国を築いたオスマントルコの領土内ではキリスト教徒は迫害されることなく生活を営むことができていました。これは当時のヨーロッパ社会でのイスラム教徒やユダヤ教徒にに対する迫害と較べて賞賛に値するものです。
 ところがそのオスマントルコが滅びて世界の最先進地域の座をヨーロッパに譲渡さざるを得なかった嘗てのオスマントルコ治下の中東地域の人達の中から、その原因をイスラム教の堕落にあるとし、教義を厳しく守り、またこれに叛く者や異教徒は攻めたいらげるべきものという考え方をが起こり始めると寛容の精神で世界帝国を築いたことが忘れ去られ、義のためには人を殺すことを正当化することで欧米に対抗しようという気持ちがイスラムを信じる人達の心の中に根付いてしまったのが真の原因だと私は考えています。
 イスラムは聖戦という言葉をまず禁句にしないと、どちらかが滅びるまでこの争いは収まることはないと思います。
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> イスラエルとパレスチナの問題


専門家ではないので外しているかもしれませんが・・・最終的には宗教問題だと思います。

 日本人は宗教には、鈍感という表現しかしようがないですが、宗教が戦争の原因というのは数えたらキリがありません。 イスラエルも旧約聖書に書かれた約束地に戻るのが民族の悲願であり、それが実現した第二次世界大戦以後 争いが絶えません。 聖地エルサレムも、キリスト教、イスラム教、そしてユダヤ教の共通の聖地で、その聖地を取り合っているのが現状ではないのでしょうか?
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