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本日は防災の日。東京などでは防災訓練を行っていますが、どう思いますか?
直下型地震で東京が機能しないと思われるのに総理と都知事のテレビ会議したり・・・。

現実に起きた場合、機能しないと思われる行政の訓練って意味あると思いますか?

A 回答 (15件中1~10件)

 #10です。

お礼、有難う御座いました。なるほどちょっと言葉が過ぎましたね、お詫びします。

 ただ、「自分の身は自分で守る考えですから」というところに少し引っかかります。もちろん人は個々に危機意識を持って日頃から対策を考え、生き延びる心構えを持つことが大切です。

 しかし、例えば東京、こんな異常とも言えるほどの過密都市では、「自分の身は自分で守る」ことすら困難、これが現実の姿です。
 だからこそ、国も地方行政もあげて都市全体の立場から大型災害への対策を考えなくてはならないのです。

 おっしゃる通り、どこまで研究をしても、対策が取られても、まだまだ足りないものは山のようにあるでしょう。例えば地下鉄だらけの東京、これらがどうなるのかは100%解明されているわけでもありません。

 ただ、実際に対策に携わっている人や機関での考えはあなたの考えかたと少し違います。その根本にあるのは「自分だけが助かる」ことではありません。と同時に「全員が助かる」ということでもありません。 こうした対策のすべての基本になるのは「ひとりでも多くが助かること」ということです。

 しかも、あなたのように「自分の身は自分で守る考えですから」という人は世の中に沢山いますが、そうした人も含めて被災者たちがあの阪神淡路の大震災の際にどれぐらい行政はじめ他人のお世話になったことか、そうした援助がなかったなら生き延びられなかったことか。
 しかもあの時、自分に降りかかる生命の危険さえ恐れず、見も知らないあかの他人を瓦礫の下から救い出そうと懸命に努力した、そうした多くの人のことを考えたことがありますか。

 とかく悲観的で根暗なあなた、そういうもっと大きな視点から考え方を改めてはいかがですか。

 またさらに、「自衛隊が川に橋を架ける訓練してましたが、実際に橋を架けるまで何日かかるでしょう。機材を積んだ車が来る事ができると思いますか?橋が崩落してしまえば船で運ぶことも出来ないと思います。」これもまったく根暗な考え方です。

 仮設橋はなにも震災直後に必要なものではありません。精々三日以内であれば十分ですし、機材を積んだ車が来るシステムがあるからこそ仮設橋が必要になるのです。また積載量一杯の車両でも十分通過できます。なのに、なぜあなたはすべてに悲観的で根暗に考えるのでしょうか。「やれることはすべてやるべき」といった意欲を感じられないですが。

 もちろん、「被災者が自分の身を守る、助け合う」訓練は必要です。ただ、問題を混同してゴチャゴチャに考えるのはやめて下さい。
 これらはまた、地域行政や町内会、自治会などでも啓蒙や定期的な訓練をしています。むしろ問題なのは、そんな活動や行事があるにもかかわらず、まだまだ参加する人が少ないことです。そうした人に聞いてみると、ここでもやはり「自分のことは自分で守る」といった言葉が。これでは本末転倒もはなはだしい。
 
 「訓練は無駄とは思わないが、最新の機能を使って自分達が満足してるようにしか思えません」、こんな考え方をするあなたは余程のへそ曲がりでしょう。本気でそう思っているとしたら。

 たしかに縦割り行政は大きなネックですが、ここでも大きな誤解が。災害発生の際には職員が「全員で」臨機応変に災害に対応できるようにシステムは考えられ、さらに改良が重ねられているのです。そして縦割り行政の弊害を取り除くために、そのためにこそ、首相と都知事をトップに置く対策本部が設定されているのです。

 「災害報告を東京で受ける訓練より、地方が災害の状況を把握でき独自に支援できる体制をとるべきです」、「私がいいたいのは機能しないと考えての訓練が大事だと言いたいのですが」・・・・どれも、ちょっと聞くとなかなかいい意見のように聞こえます。
 しかし、あなたには正しい知識がないし、だから「どうあるべきか」の具体的な考え方も出来ない。ただあるのは悲観的で傍観的で無責任な言葉だけです。

 心配なのは、そういう人にかぎって、一旦災害が発生した際に「まだ水が来ない」「まだメシが配られない」「医者はいないのか」と大きな声でわめくことです。阪神淡路の際にこんなヤカラのいかに多かったことか。

 ただ座してテレビを見ただけで見当違いの意見を言うあなた、日夜対策を考え訓練に励み、さらに改善を図る、そうした地道な努力をしている多くの人に申し訳ないと思いませんか。
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直下型地震だからといって東京が機能しなくなるかどうかは、ケースバイケースだと思います。


そして「総理と都知事のテレビ会議」の訓練をしてみると、「つながんないときはどうするんだ」という意見が出て、その検討がされるんだと思います。
たぶん訓練してみないと見えてこない部分があると思うんですよね。


あの村山内閣もちゃんと訓練していれば、結果が違っていたと思いますよ。なんてね。
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こんにちは。



あまり難しいことはわからないけれど、
訓練や練習というのは、
ある種のカタを野暮であっても、
そのままその時にできるものではなくても、
あえて意識に登らせることで、

そんな土台をもとにして(これからのたたき台にして)
以後の応用や知恵の使い方につながるのかなとおもうので、
そういう意味では意味があるのかな
とおもいます。
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> どう思いますか?


特に意識していない

> 意味あると思いますか?
はい
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逆に言えば、じゃあ、どういう訓練をすれば意味があるとお考えでしょうか?。


又は、訓練自体、必要がない!とお考えでしょうか。

自転車は、初めて見たときからすぐに乗れましたか?。
車の免許は、何も教えてもらわずに取れましたか?。
学生時代のテストはすべて100点でしたか?。
スポーツは万能ですか?・・・。

・・・んなわけないですよねェ!。

通常、何事もなければ作業は簡単で、誰でもすぐに体得できます。
しかし日頃訓練が必要なのは、通常ではなく異常(非常)な状態に遭遇した場合に、的確に対処できるようにするためです。

通常とは、一つのパターンが多いですが、異常の場合はいろいろな外乱要因が嵐のように迫ります。
つまり、予想もできないくらいの外乱です。
だから、「訓練」と称して、考えられる限りのパターンを想定して、的確に判断できるように訓練するのです。

おっしゃる通り、ハイテクの設備での訓練は、災害時に電気が止まれば何の役にも立たず、意味がないのは確かですが、災害時にはそんなことは言っていられませんョ!。他の手段を教えてもらうためにも訓練して、「応用手段」を学ぶ必要があります。
自分や家族、または他人の「いのち」を助けなければなりません。

様々な状況を想定して、それに対応できる「応用手段」を体得するのです。基本的な知識と経験があれば、いざというときに、非常に複雑な状況でも対応できる「可能性」があります。
たとえば台所のガス管にヒビが入ってガスが大量に漏れたとき、どうしますか?。
ガスの元栓の場所、知ってますか?。そのあと換気扇を回して、ガスを外に出そうなんて・・・思わないですよねェ。換気扇のスイッチを入れた途端に、「ドカン!!」ですョ。

ガスの元栓の場所など、通常の生活をしていれば、知る必要のないことでも、災害時には大変重要な事柄がたくさんあり、「訓練」という環境下でなければ知る機会が非常に少ないものがたくさんあります。
それに普段我々は、換気扇は室内の空気を室外に出す物。と認識していますが、異常(非常)時には、「これは、こうすると、こうなる」という、通常では使わない常識を、冷静に的確に判断することも要求されます。
・・・換気扇のスイッチを入れたときの「火花」がガスに引火して爆発する。という、通常では使わない「常識」です。

もちろん防災訓練と同じ災害なんて発生するわけがありませんが、その訓練で基本を体得し、様々な状況でも対処できる知識を学ぶのです。

いかなる訓練も、ムダになることは決してありません。

この回答への補足

まとめて補足します。
行政の訓練を見学してあなたは助かると思いますか?機材を持っている行政の訓練を見学して被災者を救助できますか?そんなことより身近な物で救助できる方法を伝授するほうがよほど重要だと思いますが・・・。救助の来ない時のことを考える方が大事です。

自衛隊が川に橋を架ける訓練してましたが、実際に橋を架けるまで何日かかるでしょう。機材を積んだ車が来る事ができると思いますか?橋が崩落してしまえば船で運ぶことも出来ないと思います。

どういう訓練かというと簡単にいえば、被災者が自分の身を守る、助けるを教えることです。

訓練は無駄とは思いませんよ。最新の機能を使って自分達が満足してるようにしか思えません。縦割り行政の中、職員が半分でも臨機応変に災害に対応できるようにするべきです。

補足日時:2006/09/01 16:55
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 ご質問者様はなぜ無意味だとお考えなのですか。

防災に限らず、どんなことでも訓練をし経験しておくということは本番に備えて大変有意義なことです。そうお考えにはなれないのでしょうか。

 ことに大規模災害が発生した際というものは、予想だにしなかった混乱を招きやすいものです。それだけに、いろいろな対策システムや情報管理が本当に正しく機能するか、運輸搬送は十分に行き届くか、機器類はいざというときに正しく作動するか、備蓄品の品質はどうか、こうしたことすべてが、実際に訓練をして見なければ確かめられないし、こうした機会にこそ修整や見直し、修理や保全、そして必要なものすべての追加といったものを見直すということも大切なことになるのです。

 その意味で、「現実に起きた場合、機能しないと思われる行政の訓練」などというものはあり得ません。

 また、最近では地域単位の防災訓練だとか避難誘導の体験といった活動も活発に行われています。それ自体にも経験という名の大きな意味がありますが、こうした機会を通じて、地域住民がひとつの目的を前にして連帯感を持つこと、ここにもまた大きな意義があります。

 「直下型地震で東京が機能しないと思われるのに総理と都知事のテレビ会議したり・・・」これも大変誤った見かたです。なぜご質問者様は直下型地震で東京が機能しなくなるとお考えなのですか。ここ、もう十数年も前から直下型地震による都市機能の麻痺について研究が進み、いまでは100点とまでは言えないまでも、相当対策が取られてきています。だからこそ、その頂点に立つ総理と都知事のテレビ会議が必要になっているのです。

 こんな光景をただのパフォーマンスとしか受け止められないようでは、こんなご質問にお答えすること自体あまり意味がないと思えてしまいます。
 自分自身には正しい知識もなく、判断力も認識も、行動力さえもなく、ただ座して人がすることを批判するだけ、わたくしはこういう人物を軽蔑します。

 

この回答への補足

別に批判してるつもりはありませんよ。自分の身は自分で守る考えですから。

都市機能の麻痺の研究をして対策が取られても、実際はどうなるかわからないでしょう。地下鉄だらけの東京が無事だと思いますか。私は思いません。

災害報告を東京で受ける訓練より、地方が災害の状況を把握でき独自に支援できる体制をとるべきです。

私がいいたいのは機能しないと考えての訓練が大事だと言いたいのですが・・・・。

補足日時:2006/09/01 17:25
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こんにちは。



意味はあると思います。
むしろ行政こそ率先してやるべきと思います。

ただし、訓練の結果をしっかりと把握し、訓練の中で生じた対策の不具合を改善して、
実際の災害時に、対応が遅れたりしないような体制を作ってくれるなら、ですけど。
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最初から、災害があったとして想定した訓練では、役立たないとは思いますね。


あくまでも、日常の上で突発で訓練を行うのであれば、それは有意義かと思います。

年一回でも訓練は必要ですが、想定されてないトラブルを発生するという前提の訓練を実行して欲しいものです。

それで、昨日の「中野区の誤報騒ぎ」は、ある意味での教訓でしょう。
誤報を出して、その放送を訂正するのに約40分掛かっているとか、スピーカーが聞こえないという問題点をさらけ出しました。

昨日の誤報で、中野区では防災行政放送の欠点が見つかったのですから、早急に是正するべきでしょう。
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全くない訳でもないです。


例えば町内でも防火バケツやヘルメットを用意して倉庫に置いてありますが、鍵を誰が持っているか確認し、穴が開いていないかなど点検します。
また、保存食も期限が近いものは町内で配って食べてしまったり、三角巾を買ったりしました。
機器の点検と操作手順の確認には役立ちます。

ただ三角巾など、いざというときはどこの家庭にもあるわけではないので、腕を折ったらスーパーのレジ袋で腕を釣るなど、身近なもので代用できるものを考えた方がよいという感想を持ちました。

一応担当者です。
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どんなことにも訓練が必要ですし、練習が必要だと思います。



規模の大きな直下型地震ともなると、シミュレーションが難しいですが訓練が必要です。

あなたが飛行機からパラシュートで飛び降りることを想像してみてください。

地上でパラシュートの開き方を教えてもらって、50センチぐらいの位置から飛び降りる訓練をしたのと、なにもせずにいきなり飛行機から飛び降りるのと、どちらを選びますか?

実際には風圧もあるし、空気も薄いし、そんな訓練は意味が無いといって「信じない」のは間違いです。
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