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 結婚式といえばキリスト教(チャペル)、葬式といえば仏教と決まっているようですが、どちらも宗教なのに、どういうわけでこういうふうに役割分担するようになったんでしょうか? 
 それにしても、どちらもおカネがかかりますねえ。ちょっと、異常ではないでしょうか? 「おカネがないので、うっかり死ねない」なんてじょうだんをいうヒトがいますが、はんぶんはマジのようです。

A 回答 (12件中1~10件)

他の方からもツッコミがありますが、何かずいぶん思い込みというか決めつけがありませんか?



>結婚式といえばキリスト教(チャペル)、葬式といえば仏教と決まっている
>ようですが

思い込みですよ。結婚式を教会であげたいという希望を持つ女性が多いことは
知っていますが、現実的には大半が結婚式場で挙式しています。
私の妹は教会で(しかも初夏の軽井沢...)で挙げたんですが。


>どちらも宗教なのに、どういうわけでこういうふうに役割分担するように
>なったんでしょうか? 

客である大半の日本人が望んでいるからです。(笑)
結婚式は教会で、そういう刷り込みがいつのまにかマスコミ経由でされてますね。
まぁ真っ白なウェディングドレスを着て小奇麗な教会で挙式をするというのは、確かに絵になる風景ではあります。

それでは日本人のほとんどはクリスチャンではないのになぜ教会で結婚式をする人がいるかというと、ビジネスでそういうことをする教会がある(らしい)からです。
ビジネスだから、当然お金はかかりますよね。自明のことです。

葬式をお寺でするのは、昔からの習慣だからでしょう。
葬式を取り上げるマスコミもありませんから、刷り込みがされていないわけです。


>それにしても、どちらもおカネがかかりますねえ。ちょっと、異常では
>ないでしょうか? 

お金のかかるところで式をするからです。
試しにビジネスで結婚式をしていない教会で、クリスチャンになってみてください。
おそらく、格安金額で結婚式を挙げてもらえますよ。

葬式も同様。葬儀屋に頼むからカネがかかります。

気のせいかもしれませんが、「宗教にはカネがかかる」というイメージを持っている、またはそういう結論を最初から持っていて議論をしていませんか。
失礼な言い方かもしれませんが、これは左翼な方たちがよく使う論法ですよ。

今話題の辻本議員も、こういう論法が得意ですね。
相手の悪いイメージを引き立たせて、議論を誘導する手口です。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/22 18:48

ご質問に対する回答ではないので恐縮なのですが、#11のお答え中の内容にちょっと疑問をはさみたいと思います。

あまりに大きな誤解なので。

私は仏教史をやっている者ですが、仏教の葬式が全面的にキリスト教の影響下、というのは全くの事実誤認です。キリシタン掃討を目的にいわゆる檀那請合で新寺建立が爆発的に進んだのはご承知のとおりですが、すべてキリスト教の影響のように受け取られかねない内容は少々極端に過ぎます。そういう説はよく目にしますが、あまり具体的な資料は拝見したことがありません。

一般的な学説では、仏教が葬儀に積極的に関与し始めるのは平安時代中ごろ以降のことです。天皇家を中心に、僧侶が関与して葬儀・荼毘が行われるようになったようです。時代が下って鎌倉になると、高野山搭中でも檀越に死者が出れば葬式を行い、遺骨を道場に収め、没後の法要を行った記録が複数でてきますし、武家や公家では臨終から僧が立ち会って勤行する葬儀が多く営まれています。
鎌倉時代には、簡単ではありますが禅宗でも在家の求めに応じて臨終儀礼、追善儀礼を行った複数の記録もあります。

古い寺に墓がないのは事実ですが、これはむしろ両墓制などに明らかなように、中世にはそもそも肉体が重視されていなかったことのほうが理由であって、墓がないからといって葬儀をしなかった証拠にはなりません。

今回の質問に関係して言えば、私が言いたいのは、葬儀は「金儲けの手段」として模倣から始まったのでは全くなく、それより遥か以前に僧俗双方があい求め合って発生した長い歴史がある、ということです。お分かり頂けると思いますが、私の意図はnoribou11さんを誹謗することにはありません。あくまでも内容の妥当性についての疑義、というとにつきます。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/25 19:23

何故、役割分担のようになってしまったかというと


元々、日本は庄屋・名主を中心としたムラ社会であって教会を中心とした
欧米社会とは違うからなんです。つまり、元々、日本には
宗教が人生の節目に介在することがなかったんですね。

人生の各段階に宗教が介在することを「通過儀礼」といいます。
最初に結婚式です。神前結婚は多くの人が伝統行事だと思っているようですが
神前結婚が行なわれるようになったのは、実は、明治後期の話なんです。
それより以前は「嫁入り」と言って、新婦が新郎の家に嫁入り道具と共に
「移動する」ことが儀礼的な結婚式でした。農村部であれば庄屋であるとか、
都市部であれば名主といった、コミュニティーの年寄のような人が立会いになり、
三三九度の杯を交していました。

明治維新以後、欧米列強に追いつくためにとにかく欧米の真似をしました。
嘉仁親王(大正天皇)の婚礼の儀式も同様です。欧米の王族の結婚式は国民にも
お披露目するロイヤルウエディングなんですが、当時の日本は近代国民国家の
統一原理として創り出した天皇制や国家神道というシステムを
運用しなければならないため、内容は欧米の挙式を参考に
古事記の神話にあるイザナギとイザナミの結婚場面やら伝統装束を身にまとって
いかにも伝統的挙式を創作したんですね。

これが庶民の評判を呼び、今日の神主が執り行う神前結婚に発展したんです。
元々は欧米のキリスト式結婚式を日本風にアレンジしただけのことなんですね。
あくまでも、日本の伝統結婚式は新郎の家において仲人が取り仕切っていました。
今は仲人は名誉職のような形になってしまいましたが。

次に御葬式です。仏教における葬式は全面的にキリスト教の影響です。
日本における仏教とは奈良時代の鎮護国家といった趣旨の仏教から、
平安時代の主に貴族を対象にした法華や浄土の思想。
そして法然・親鸞・日蓮・道元・栄西といった鎌倉新仏教によって、
庶民のレベルにまで仏教思想が広がりましたが、いずれの宗派も、
「亡くなった人の葬儀を行なう」ということは主眼としていませんでした。

もちろん、亡くなった人に対して題目、念仏を唱えることはあるでしょうが
現在のように僧侶が執り行う葬儀というものはありませんでした。
なので伝統的な寺院には墓地というものがありません

しかし、16世紀の中頃にキリスト教が伝わると状況が変わりました。
キリスト教は信徒が亡くなる時に神父が「終油の秘跡」を行ない、そして、
宗教家が全面的に介在した形での葬儀が行なわれます。
これを見て、危機感を抱いたか、あるいは「これは使える」と思ったかは
知りませんが日本の仏教界も宗教家が介在する葬儀というものを創り出しました。
それまでは、あくまでも諸宗派は「個人の悟り」だとか「浄土への救い」だとか
生きている間を目的にしていたのであって死後に世話になるものではありませんでした。

まとめると結婚式も葬式も元々はキリスト教の通過儀礼がお手本になっています。
役割分担は葬式の概念を日本にもたらしたとき、日本の宗教は仏教中心だったこと
結婚式が始ったとき、日本の宗教は神道中心だったことから始ったといえますね。
教会の結婚式は戦後に「アメリカ=豊かさの象徴」という時代に日本のホテルが
導入したものですね。

お金がかかるというのは導入のきっかけが宗教家による金儲けの手段だったから
でしょうね。なので、本来のコミュニティーを中心とした儀式を行えば
それほどお金はかからないんですよ。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/22 18:46

単に「流行り」でしょ。


昔は結婚式なんてなかったけど、大正天皇が「神前結婚式」をしたのが流行の引き金となって「神社」結婚式が広まりました。
キリスト教結婚式が広まったのは有名映画スターの結婚式の影響でしょう。

葬式の佛教は、江戸時代の「人別帳」が寺管理だった影響でしょう。

和泉もとや羽野あきさんの結婚式は、本願寺系のお寺だったそうです。

金がかかるのは、かけるほうの見栄でしょう。お寺に払うお金が高いのではなく、「式場」業者に払うお金ですからね。「式場」(ホテルや○○殿)が契約した神社や教会から、神主さんや牧師さんを呼んでいる場合もありますが、出張費以外に余分な費用はかからないと思います。
お寺で結婚式をすると、ほとんど費用はいりませんでした。「お布施」はしますが、本堂を使わせてもらっても、○○殿の会場費に比べれば桁違い。

補足すると、9の回答にある「お稲荷さん」は、「狐を祀っている」のではなく、農耕の神様を祀っているのですが、神様の「お使い」が狐です。たぶん、作物に害を与えるネズミなどの害獣の天敵であるきつねをありがたがったのだと思います。

ついでにいうと、お寺は、葬式にも、そんなにうるさくないですよ。祖父の葬式で、浄土真宗のお寺さんがきているのに、祖父の個人的な友人の天台宗のお坊さんが自分の流派の追悼をしていましたが、何もトラブルはありませんでした。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/22 18:46

日本人は、宗教にあまり関心がないからだと思います。



 結婚式は、神前も多いと思います。これも、歴史的には、明治の半ばに始まったものです。当時の皇太子後の大正天皇の結婚式が神前で行われてから一般的になったようです。この背景には、神社の営業政策があったと言われています。江戸時代には、人前結婚が普通だったようです。

 まあ、仏教は、いろいろ言われていますが、寛容な宗教だと思います。葬式以外には、口を出さないみたいです。日常生活も仏教の規律ではなく、儒教的な規律に任せたくらいです。自然崇拝の宗教も生き残っています。たとえば、狐を祀るお稲荷さんもあります。これも、邪宗禁止の強い宗教なら、とっくに禁止されていたでしょう。また、仏教は、宗旨が違っても血で血を洗うことは無かったように思います。宗教戦争が多かった西洋と違います。

 そのような立場をとるから、明治に入りキリスト教が普及しだしても、あまり気にしなかったのではないでしょうか。なお、神前結婚を初めた神社は、キリスト教の脅威を感じたらしいです。

 宗教に役割分担があるとすると、それは、宗教に無関心な人が、流行に従った結果といえるでしょう。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/22 18:47

お言葉を返すようで失礼しますが、「結婚式といえばキリスト教(チャペル)、葬式といえば仏教と決まっているよう」というあなたの認識は、間違っています。



さらに、「どちらもおカネがかかりますねえ」というのも、あなたのひとり合点です。

どの宗教・宗派で結婚式をすることも葬式をすることもできます。そして、どちらも簡素に行なえばお金はかかりません。

こうしたご質問が出てくる背景には、日本人全体の宗教に対する無関心さがあります。

(アメリカに押し付けられた)日本国憲法の第20条「信教の自由」の規程によって、日本の公立学校では宗教教育が一切できなくなってしまいました。そんな状態がもう60年にもなろうとしています。

その結果として、外国での宗教対立を理解できなかったり、宗教のことはタブー視する風潮が一般的となってしまいました。

これらはすべて、宗教教育をしてこなかったことの弊害です。

しかし、その一方では、憲法での「信教の自由」規程にもかかわらず、宗教を前面に掲げている私立学校へも「私学助成金」(国民の税金)が配分されているという「憲法違反行為」が堂々とまかり通っています。

首相の靖国神社参拝は、あれほど非難されるのに、どうして「私学助成金」という明らかな憲法違反は批判されないのでしょうか。

あなたのご質問も含めて、これらはすべて、日本人の宗教へのタブー視と無関心によるものです。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/22 18:48

yumi18さん、こんばんは。



拝見いたしておりますと皆さん色々なご意見があり、それぞれ日本人特有のポリシーというか、節操のなさといいますかそのあたりに起因があると思います。
ただ多少なりとも宗教にかかわっているものの意見として書かせていただきまと、もともと神道というのは「八百万(やおよろず)の神」とか申しまして、ひっくるめて現在の日本ではキリスト教や昔からの神社信仰をも含むと思います。

したがって「縁結びの神様」とかの話もあるとおり、日本人には昔から人の縁や運命を神頼みにする傾向があります。
占いや運命鑑定を神頼みにするのもその傾向でしょう。
それがいい例か、そうでないかはここでは議論はさけたいと思いますが、片やお葬式になると何故、仏教が圧倒的に多いかっていいますと・・・・。
NO 4のobisotさんがおっしゃっている通り、江戸時代の檀家制度がガンとまではいわなくとも影響を及ばせているのは間違いないでしょう。
しかし、仏教を根本的に考えるとお釈迦さまは、自らその王位という位を捨て出家され仏教を開かれ、生老病死苦を正面から見つめその教えを説かれました。
ですから人がそのことに直面するお葬式を司る事により、その教えを学ぼうとしたのではないかなとも思われます。
いうなればキリスト教とか外国の宗教のほとんどが、陸続きの狩猟民族に多く浸透していき又、仏教は中国、朝鮮半島を経て農耕民族を媒介して広まっていった傾向があるのです。
ですから日本人にはもともと仏教を受け入れる土台があったのかも知れません。
一口にいえばキリスト教は運命を切り開く宗教で、仏教は運命を説かず正面から自分や人生を見つめて説く宗教ではないかと私は思います。
なんか質問の答えになったかどうかお恥ずかしいですが、このへんでお許し下さい。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/22 18:49

 仏式、神式いろいろな形の冠婚葬祭がありますよ。


 皇太子殿下は、宮中賢所で神前結婚式。和泉元弥は、東京・築地本願寺で仏前結婚式。本木雅弘は、京都・三十三間堂で仏前結婚式。古い話では、沢田研二が島根・出雲大社で神前結婚式でした。
 私の感覚では、白無垢を着て神前結婚式の方がウエディングドレスを着てチャペルでの結婚式よりも多いと思います。
 宗教の数だけ冠婚葬祭の様式はあると考えてもよいと思います。

 お金をかけるか、かけないか。それは、ピンキリだと思いますよ。概して、古式ゆかしく執り行えば、人生の通過儀礼、一大イベントですから、相当高額な値段になるでしょう。しかし、まあ、形だけ、と思えば、4,5万程度で可能でしょう。
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/22 18:49

ホント、無節操ですね!そもそも日本には檀家制度があったため、出生→結婚→葬式というのはお寺に行かないといけない時代があり、これを利用して?封建時代の支配が続いていました。


ここから、葬式=仏教という意識付けがなされ、未だに続いているものと思われます。
私の考える原因としてそもそも日本には確たる宗教がなく、長いものには巻かれろと行った風潮のため、このような状態になっていると思われます。
なぜか?、葬式を例に挙げても仏教とひとくくりにされていますが、それぞれの仏様は違っているはずです、仏様が違うのに同じ仏教だという考え方が質問のような状態を作り出していると思われます。
(ちなみにキリスト教でも新教と旧教があったはずですが・・・。)
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この回答へのお礼

ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/22 18:50

 結婚式も葬式もみんながみんなしなければならないことは無いわけで、ぜんぜんやらない人もあるし、簡単にすます人も増えてますね。

最近ではあまりお金をかけますと陰で笑われたりします。やはり何事も分相応が良さそうです。
 子供たちに余計な見栄を張るなと遺言して、安心して死ぬ、というのはどうでしょう?
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ご回答いただきまして、ほんとうにありがとうございました。たいへん勉強になりました。

お礼日時:2002/03/22 18:50

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