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私は自己顕示欲が強く、「人から尊敬されたい」「すごいと思われたい」というような願望が強くあります。人間関係においても、気がつくといかに自分が物知りか、能力があるかというようなことを誇示していることに気づき、家に帰って非常に落ち込みます。

ある日偶然以下の「境界例と自己愛の障害からの回復」というサイトに出会いました。
http://homepage1.nifty.com/eggs/narcis.html#3
私は自己愛性人格障害の診断基準のうち、5つ以上をクリアーしていました。もちろん管理人さんが「自分は専門家ではない」「重症の人は、自己分析をするよりも治療を受けた方がいいでしょう」と書いておられるように、この基準から直ちに自分が境界例だとは思いませんが、とても参考になりました。
過去の自分を振り返ると、自分が本当に勘違い人間だったことに気づきました。真の友達がいなかったこと、反感を買うことが多かったこと、その理由がわからずに悩んだことなどなどなど。
原因は簡単に言って私は勘違い人間だったということでした。人は私が勘違い人間だったことを今まで笑っいたのだろうと思うと、また落ちこんでしまいます。今まで人間関係でトラブルがあったことはありませんが、また「私が主役」的な振る舞いをしてしまったと後で気づくと(いつも後で気づくのです)、深い自己嫌悪に陥り、眠れないことがあり、翌日の仕事がきつくなります。結局よく思われたいという気持ちから抜け切れないのです。
この状態を脱却するために、どうかアドバイスをください。よろしくおねがいします。

A 回答 (3件)

自己愛性人格障害の定義項目を冷静に見るとおわかりになるように、その全てと言って差し支えないほどの項目が人間というものの定義とほぼ同じであることがわかります。


つまり、これも良くお考えになればすぐにご理解いただけると思いますが、これを障害と言うのであれば人間は全て障害者である、ということになります。
そして、それはある意味で正しいと言えるでしょう。
ただ、みんなと同じだから良いだろうというわけにもいかないでしょうから、これに関連して少し私見(但し、素人の)を述べてみたいと思います。

1245780さんは超自我(善・悪)で物事を判断する場合が非常に多いのではないか、という気がします。
自己顕示欲が強い、というのは自我(損・得)の判断と考えることも可能ですが、これは恐らく1245780さんが後から思えばそういうことだった、と自らに対して揶揄的な表現をされているように思います。
人間関係の場面においての自己顕示があったとしても、その根拠は自分が正しいと信ずる事柄に基づいて為されているのではないでしょうか。
自我と超自我の境界は判別の難しい場合が多いものですが、基本的には超自我で物事を判断される場合が多いのだろうという印象(文面自体などからも)を受けます。
ご両親のどちらかが非常に厳格な方ではありませんか?

それはさておき、
人間の精神性に関しては、
本能(エス)=快・不快
自我=損・得
超自我=善・悪
という3層構造(無論、概念としての構造です)のバランスが取れているのがもっとも健康な状態と言えます。
バランスがとれていると崩れにくいからです。

1245780さんの場合は、「本能<自我<超自我」というイメージが感じられます。
これは、超自我(理性と言っても差し支えはありませんが)の価値が過大評価された結果だろうと思われます。
損得を考えずに何かにのめり込んでしまうこともありそうに思います。
しかし、完全なバランスを保っている人間など一人もいないと言えるわけで、完璧性を目指すことはあまり意味がありません。
ただ、足らざるは補い、過多は減らすことによってバランスが良くなることもまた事実です。
「本能<自我<超自我」という構造の場合、本能は生来的なものですから、他の二者のバランスが取れた時点で概ね正常な発露が期待できます。
気持ちの持ち方としては、
「超自我で解決できないことは非常に多い」
「他者に評価される自分ではなく、地面に足を付けた自分というものの価値をもっと認める」
ということになると思います。
これの要点は、
≪全ての個人にとってその人なりの超自我があり、自分自身にとっての自分があるように、各人にとっての大事な唯一の存在としての自分というものがある。≫
ということにあります。

『自分は特別ではないし、仮に特別だとすれば他者に対してもまたそれぞれ特別な存在と認識しなければならない。』
という当然の事実に気づくことが重要です。
自己愛のない人間は存在できません。
しかし、他者にも自己愛があることを理解できない人間は当然の結果として他者との良い関係は築けません。

自分自身は特別だという、自己に対する無意識の認識を排除する必要があります。
とは言っても相手が無意識なので難しいのですが、特別でなくても愛されることは可能だという経験が必要かもしれません。
特別でなくても、つまり善を高らかに主張しなくとも私を認めてくれる人はいる、ということを証明するために、
ありのままの自分をさらけ出す勇気を持つことが近道になるかもしれません。
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この回答へのお礼

アドバイスありがとうございます。
>1245780さんの場合は、「本能<自我<超自我」というイメージが感じられます。これは、超自我(理性と言っても差し支えはありませんが)の価値が過大評価された結果だろうと思われます。
今まで本能や自我は不安定で絶対的真理こそが判断基準だと思ってきました。

>他者にも自己愛があることを理解できない人間は当然の結果として他者との良い関係は築けません。
本当にそのとおりだと思います。そのことを「境界例と自己愛の障害からの回復」サイトで気づくことができたのですが、その後非常に落込んでしまいました。
>特別でなくても愛されることは可能だという経験が必要かもしれません。
>ありのままの自分をさらけ出す勇気を持つことが近道になるかもしれません。
ありのままの私は「私こそが主役」の鼻持ちならない自分です。
きっと特別でなくても愛されることができるという経験が欠けているのだと思います。言い換えれば、相手が特別でなくても愛するという経験も私にかけているのだと思います。
強すぎる自己愛からの脱却は他者への愛と密接に関連しているのだと気づかされました。

お礼日時:2006/10/31 01:48

自分の性格に偏りがある、それを直したいと思っているところで、これまでより大分前身があったと思いますよ。


いままで年数をかけてつくられた性格なので、数日でがらりと変わることはないけれど、ゆっくりとひとつひとつ変えていけると思います。

実はわたしも質問者様と同じような悩みをもっていて、日々奮闘中です。
わたしが実践していることは3つです。ひとつは、心理学の本を幅広く読むようにしています。質問者様の書き方をみていると、加藤諦三さんの本を読まれると何か感じられるものがあるかもしれません。ふたつめは、自己反省をすること。ただし、反省のしすぎで自分を責めないように注意。三つめは、他人や周りへの感謝を日々思うことです。

自分が変わりたいと思えば、失敗を繰り返しながら、ぼちぼち変わっていけると思います。
わたしの意見が、もし少しでもお役に立てれば幸いです。
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この回答へのお礼

同じような悩みを持っている方からのアドバイス、参考になります。ありがとうございます。加藤諦三さん、知りませんでした。読んでみます。私には3つ目の実践課題がキーポイントかもしれません。少しづつでも変わっていきたいです。

お礼日時:2006/11/01 00:48

>己愛的性格を直したい



まず最初に思ったことは、人格障害を持っていることと自己愛的な性格が強いことは違うということです。根本的な意見なんですが、直す必要ってあるでしょうか。

あなたの場合の直すとは、消し去るとか取り除くって意味ですよねきっと。でもそれって

>結局よく思われたいという気持ちから抜け切れない

状態と一緒じゃないでしょうか。

そう考えると、矛盾のループ状態ですよね。よく思われたいから、自己愛を直したい?いや、自分を愛することを止めたいから、良く思われようとすることを、止めたい??

そうじゃないと思います。大事なことは、

>深い自己嫌悪に陥り、眠れないことがあり、翌日の仕事がきつくなります。

の改善だと思うんです。

自分を愛すること自体、恥ずべきことじゃないと思うし。何かと照らし合わせて、自分の精神的な状況を探れば、きっと誰しも何がしかの「傾向」や「予備軍」的一面を持っていると思いますよ。最初に

>>障害と自己愛的な性格が強いことは違う

と言った理由がそこです。みな誰しも不完全で他人から見れば笑っちゃうような面を持っている、ということです。だからこそ

>この状態を脱却するために、どうかアドバイスをください。

あなたは皆と同じように普通で、異常ではないということです。つまり今のままのあなたで、いいんだ。という価値観です。月並みですが、ありのままの自分を受け入れてあげてはどうかなって。

「この状態の脱却」とは、「深い自己嫌悪に陥り、眠れないこと」がある時であり、自己愛の強いあなたや、よく思われたいと思うあなたではない。

もっと言うと、自己愛って聞くと、なんかいけないことだったりするかもしれないけど、そんなことばかりじゃないと思うんです。

>結局よく思われたいという気持ち

なんて、ほんと誰しも持っているものだと思います。そういう気持ちが強くて、それがやる気につながって、何かを成し遂げるかもしれない。

疲れているときは、自己嫌悪することもあるかもしれない。でも悪いことばかりじゃなく、自分を愛せるからこその向上心により、色々な意味で自分を成長させることができるんじゃないでしょうか。

それに、自分を愛せるからこそ、自分に与えているものを、惜しげもなく他人へ与えられる。ってこともあると思います。自分を愛せない人は、自分にしていないことを他人にはできないものですから。そう考えれば良いことだって沢山あるんじゃないかな。

>己愛的性格を直したい

実際のところあなたがどんな人なのかは分からないけど、アドバイスとして今私が言えることは、今の自分を許して、見守って、受け入れてあげてほしい、ということです。

気付きこそ癒しという言葉があります。物事には必ず二つの面があると思います。あなたの個性が悪い方へ出るときもあるし、良い面に出て成果をあげることだってある。直したり消したりせず、上手に付き合っていく方が、きっとあなたも楽だと思う。

そのために、自分を認めてあげてください。許し受け入れてあげてほしい。これは寛容です、怠慢じゃない。

長くなりました、ご参考までに。
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この回答へのお礼

>人格障害を持っていることと自己愛的な性格が強いことは違うということです
「境界例と自己愛の障害からの回復」サイトの自己愛性人格障害の特徴に自分の性格が合致していた時はとてもショックでした。まったくあてはまらなかったのは「有名人の追っかけ」と 「宗教の熱烈な信者」くらいでした。
強度の自己愛的性格に気づいたからといって、自分のその性格が直るわけでもなし、今度は自己嫌悪と劣等感が付きまとうようになってしまいました。
>自分を認めてあげてください。許し受け入れてあげてほしい
もし私が、私のような勘違い人間に出会ったら、(もちろん面と向かっては言いませんが)、とても受け入れて許すなんてことはできなかったと思います。自分を認めて、受け入れるということは他人をも認めて受け入れる訓練にもなるんでしょうね。やってみます。
アドバイスありがとうございました。

お礼日時:2006/10/31 00:35

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