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美大や美術研究所ではまず石膏デッサンをやらされると思います。
来る日も来る日も・・・その理由は分かります。対象の形を忠実に写しとり、光りと影で表現するテクニックをつける為だと思います。

では、油絵や日本画、水彩画の彩色は?
その人独特の色彩感覚があるでしょう。よく言われる色感がいいとか、悪いとかです。これは生まれもった、その人だけのセンスの問題だと思いますので後天的になかなか修正出来ないのでは?と思います。

そこで専門的に絵の勉強をされておられる方にお聞きしたいのですが、
やはりデッサンは訓練で何とかなっても、色はどうしようもないものなのでしょうか(色彩音痴)?
また、作品で色がどんなに魅力的でも対象の形が取れていない(デッサン音痴?)ものは明らかにダメなのでしょうか?

A 回答 (5件)

私が来る日も来る日もデッサンをしていた時、よく言われたのが


「絵は右脳で描くものだ。左脳で描くものではない」
「絵は延髄で感じるものだ、大脳で考えるものではない」
ということでした。
要するに「理屈で捉えるな、感じたままを表現しろ」ということです。
デッサンはその表現力を養うもので、デッサンさえできればいい絵が
描けるということではありません。

色彩感覚が遺伝的要素や幼少期の経験で決まると本気で考えるならば
もう絵を描くのはよしたほうがいい。
いっぱい良き絵画やデザインやファッション、建築を観てセンスを
養うことが重要です。
確かに、圧倒的な色彩感覚を持った人がいます。
私も今まで何人か出会いました。
でもね、「これはかなわない」と思ったらそこで終わり。
彼らの色彩をパクリ、彼らの感覚になりきって徹底的に模倣します。
そうした外部から侵入した「異質感覚」は、自分が持っている
「潜在的感覚」を刺激し自分独自の色彩感覚を生み出します。
そして、同時に「色彩に対する幅広い見識」を持つ事ができる
はずです。

そんなことよりも
「石膏デッサンをやらされる」という言葉が気になります。
「計算ドリルや漢字書き取りをやらされる」と同じスタンスでデッサン
を捉えているのでしたら、なるべくやらないほうがいいです。
別にデッサン力がなくても、素晴らしい絵は描けます。
でもね、デッサン力は例えるなら
「筋力」や「体力」みたいなもの。使わなくとも邪魔にはならないし、
「貯金」みたいにいざという時あると、助かる時が必ず来ます。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

経験に基づく貴重なご意見で納得です。
大成した有名な画家の方でもその晩年までデッサンの修練は欠かさなかったという話を聞いたことがあります。
まさに日々の基礎の上に持って生まれた(やはりかないません!?すみません・・・)感性というか感覚的なその人だけのプラスαがあり、もう言うことなしといった感じでしょうか。
 
「石膏デッサンをやらされる」・・・語弊があったようです(すみません)。私感ですが、美大や研究所には必ず石膏像のデッサン室があり日夜学生が向って描いています。アカデミックな美術の基礎を習得する第一段階としてとても大事だとは思います。が、少し疑問に思うのはいわゆる「石膏デッサンの名人」になってしまい?やたら手本となるような(そこのパンフレットに載るような)作品が多いように、また皆が一様にそれを目指すように思えるのです。
デッサンはその性格上、あまり自由に描くという訳にはいかないでしょう。
形や明暗を白黒で表現していくとどうしてもある程度決まったパターンになると思えますし。だからこれで合格点を取らないと教育課程上、次の段階に進めないのでしょうか?(あえて自分の自由な描き方というものをセーブ=犠牲にして画一的な表現をせざるを得ないとでも・・・)
確かに、石膏デッサンは上手い(形の正確さ、合わせて明暗の美しさは色彩を感じさせるほど、空間把握や空気感も見事に捉えている)けれど彩色画(油絵や日本画)になると正直、(これが同一の人の絵か?と)魅力を感じないケースも多々あります。

仰せのとおりデッサンは「筋力」や「体力」であり造形の骨格にあたると思います。でも、決して「塗り絵」では無くして、輪郭線の中に単純に彩色していくのではないし、色を塗りながらも同時に色彩でデッサンしていくのにも違いないでしょう。
すみません。少し話の収拾がつかなくなりましたが、要は言いたいことは「形が弱くて色がいい」と「形が強くて色が悪い」のは同じようなものかという点なのです。

お礼日時:2006/12/15 18:17

デッサン-物を形で捉えて表現する力


色彩感覚-物を色に置き換えて表現する力

異論はありましょうが,簡単に述べれば以上のような感覚かと。

サッカーで考えれば,リフティングやドリブルといった基礎技術系
がデッサン力の育成ですし(できないと表現力が大幅に削がれる),
それらを上手に色を絡ませて表出させるのが,色彩感覚の養成に
当たるかと。塑像作りにおいても,色彩感覚の重要性は何ら変わらない
と考えます。

ロナウジーニョのような天才型といえども,何らかの方法でこれらを
身に付けてきたと思われます。凡人はやはり地道にある程度の基礎訓練
は必要です。色彩についても,様々なトレーニングで,感覚向上が可能
と考えますが,デッサンよりはそのトレーニングが個人に合っているか
どうかの判断が難しいと思います。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

スポーツ(サッカー)に置き換えてのご説明、とても分かりやすかったです。

>塑像作りにおいても,色彩感覚の重要性は何ら変わらない
と考えます。

これはとても納得です。
あと、色彩はデッサンよりはトレーニングが個人に合っているかどうかの判断が難しい・・・そうですよね、色彩という(固有の)表現はどうしても先天的な要素があまりにもあると思えるのです。
四季の景色の移り変わりや日々の街の風景もたとえ一日のうちでも時間帯によって太陽や人工光でその色は変わってきます。
見ている対象(物)はカラー写真の如く同じでも実際、絵筆を持って色に置き換えると文字通り「十人十色」になってしまう・・・本来、デッサンと違い、色の画一的(少し語弊!)トレーニングは難しいし、行うものでもないと思ったりします。

お礼日時:2006/12/18 14:39

デッサンの方が重要だと思います。


新潮社から出ている「デッサン入門」という本をみてからそう思うようになりました。
「デッサン入門」といっても、石膏デッサンや静物デッサンなど、いわゆる美大受験用のデッサンのことではありません。
それらも含んだより広い範囲のことを指します。
素描、という方が近いのでしょうか。ラスコーの洞窟壁画からカンディンスキーの抽象絵画まで、実に幅広い範囲をとりあつかっています。
口でいってもしょうがない気がするので、良かったら本屋さんで見てみてください。
大して高くないので(1400円くらい)買ってもいいかも。
私はこれをみて受験デッサンの呪縛からだいぶ解放されました。
そしてデッサンのできてない絵はいい絵じゃない、と思うようになりました。

色感が良いとか悪いとか言われることはあると思いますが、しょせん生まれ持ったものなんて大したものではないと思います。
自分でどこまで突き詰めるか、ということではないでしょうか。
こだわりの強さが大事なのであって、直感的な感性なんて大して絵の世界で役に立たない気がします。

参考URL:http://www.shinchosha.co.jp/book/601918/
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

素描・・・日本語は素晴らしいですよね。本来の語句のシャープな感じが素朴で何となく柔らかいイメージになります。
いい本みたいですね。私もダ・ビンチ、ミケランジェロなどの素描だけの画集を見たことがあります。

>私はこれをみて受験デッサンの呪縛からだいぶ解放されました。
これは確かにいいお言葉ですね。

>そしてデッサンのできてない絵はいい絵じゃない、と思うようになりました。

うーん・・・これはどうでしょう。確かに絵(作品)のためにデッサン(基礎)が奉仕するのはいいのですが、デッサン=形の強さばかりが表面に出てしまっているような主客転倒?的な絵もよくあります。
やはり絵画は色が見せ所だと思いますし・・・
あと、作家のこだわり感は重要だと思います。が、やはり直感的な感性(ひらめき、輝き)はとても大切なように思えます。

お礼日時:2006/12/18 14:15

こんにちは、某美大で日本画専攻してます。


そうですね、美大に入るまでは目指す科によっても違いますが石膏デッサンは定番ですよね。

色感に関して、、
私事でもうしわけないのですが、浪人時代に保険で受けたある美大の課題(ワトソン紙にごっつりアクリルで静物着彩)を通して色の幅が増えたな、と感じました。
実際講師にも、現役の時は「お前は色感わるいからなー」と言われていたのですが「あの○○美対策で色感良くなったよな」と言われたり。。

なのである程度のトコまでは練習、経験値次第で変わってくるもんだと思います。

デッサンはできてて当たり前というか、、、デッサンができてないのは”音痴”というより”勉強不足”に近いと思います。
あんなのやり方覚えれば大抵の人にできるはず・・笑
九九を覚えてから計算するのと同じです。

基本ができてなくてそれでも凄い絵、ってのは確かにありますが、そーいうのってホント天才ってことだと思います。なかなかいません。

あと石膏像というのはどれもわりと、元々美しい形になっているのでそういうのを描く(見る)練習って意味もあるかもです。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

美大にご在籍なのですね。謙虚に言っておられても受験の為の並みのご苦労はされたとお察しします。
そうですか、ある程度までは(絵に限らず他の芸術分野でも)練習や努力で到達したり変えられたりはするのですね。
それ以上は才能と運でしょうか・・・
石膏像、確かにどれを見ても美しいですね。それに描いたデッサンと実物を比較すれば相違は一目瞭然でごまかしが効かないと思いますし。

>基本ができてなくてそれでも凄い絵、ってのは確かにありますが、そーいうのってホント天才ってことだと思います。なかなかいません。

例えば素朴派のA・ルソーとかもこれに属するのでしょうか。

お礼日時:2006/12/18 13:54

デッサンを習える環境にあるならば、ぜひ習得されるべきですね。


私はデッサンができないので、よく苦労していますので強くそう思います。
デッサンは形をとらえるとか光とか、そんな見た目の話じゃなくて、
物事の全体、中間、細部を自然にバランス良くとらえる能力を身に付けるためのものだと思います。
絵とか、彫刻とか、そいったあたかも造形的なもの意外でも、
「考え方」としてデッサンは使えます。
身に着けていない私が言うのもナンですが、そういうものだと思います。
もっと広い視野で、人間として役立つものが学べると思ってください。
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。

仰せのこと、とてもよく分かります。
特に「考え方」としてデッサン・・・物の考え方や実生活全般にまでいえるという意味でしょうか。
勿論、質問のカテゴリー上「美術」に的をしぼってはいます。が、他の芸術(文学・音楽等)においても確かに共通する考えだと思います。
形を造っていくのに、真ん中にどーんと一本、幹を置く方法や、小さなブロック(単位)をひとつひとつ積み上げていく方法等様々あるでしょうし。
先の解答欄でも書きましたが、私は以前はデッサンとはただ単純に輪郭線のことだと思っていたのです。しかし、全体、中間、細部にわたりバランス良く対象を捉える為、常にその力が必要なのだという事。線の無い色彩だけでも、また彫刻でも見る人が見ればデッサン力は即座にわかるということが理解でき、まさに「目から鱗」だったのです。
あの時は、自分の中で「カルチャーショック」で見るもの全てが違う視点で見えました。
実生活でも常に客観的な視点を持ち、感覚的なものだけでなくデッサンのしっかりした!?ライフスタイルに努めたいと思います。

お礼日時:2006/12/15 18:42

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