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最近、「妥協」とか「譲歩」ということが苦にならなくなりました。
若い者に「ボスは妥協しすぎです!」なんて怒られたりする。
「正しいなら妥協すべきじゃない!ケンカになっても負けません!譲歩する必要はないです!」
つい最近もこんなことを言われました。
僕は、若い彼を納得させるべく、こんな説明をしました。

「いいかい。本来、『妥協』とか『譲歩』というものは、強い方(または、正しい方)が弱い方(間違った方)にするから成立するんだよ。弱い方または間違った方がすれば、それは妥協でも譲歩でもない、屈服であり服従になる。多くの人間が嫌いなことだから、強い方(正しい方)が敢えてするのが妥協と譲歩。つまり、妥協と譲歩は強者(正しい者)のみに許された戦略だ。」
若者は首を傾げていました。(笑)

夫婦でも同じなのかもしれない。
「私は正しいのだから妥協しない!間違っているのは夫(妻)だ!」
確かにその通りだけれども、賢くない場合が多い。
どっちが正しいか?なんて初めからわかっていること。
夫婦間に限らず争い事が始まった場合、優勢な側が妥協のタイミングを図るから事態は収束できる。

この掲示板の「人間関係」に関する相談事を読んで、改めて感じたことでした。

僕は「妥協」と「譲歩」が好き♪

A 回答 (7件)

40代、男性です。



妥協が好き・・・うーん、とまではいえないですが、一概に「妥協が悪い」とも思っていません。「妥協しかできない人間」も「妥協が一切できない人間」も、どちらも大差ないほどたちが悪いと思っています(笑)。

私が妥協をある程度容認するのは、質問者さんとはちょっと違う理由からです。よく、妥協が悪いというときに、「正しいことなら貫くべきだ」みたいなことをいわれることがありますね。この根本的な部分、「正しいことは貫くべきだ」というのが、私はあまり好きではないのです。

世の中の災いの多くは、「正しい」と信ずる行動から生まれます。その「正しさ」は、誰にとっての正しさなのか、という視点のない「正しさ」は、果たしてどこまで信ずべきものなのでしょうか。

この世に「絶対的に正しいこと」など、おそらくはないだろうと思うのです。どんな「正しいこと」も、立場が違えばどこかしら誤りや不正を含んでいるんじゃないか、と思うのですね。

意見の対立は、たいていの場合、立場の違う人間どうしの「正しさ」のぶつかりあいです。多くの場合、「自分が完全に正しく、相手が完全に間違っている」ということはまずありません。どんなに完全と思える自分の正しさの中にも誤りは含まれているはずだし、どんなに間違いだらけだと思える相手の意見にも一抹の正しさは含まれているはずです。

「議論」というのは、自分の中の誤りを見つけ出し、相手の中の正しさを汲み取る作業であるはずです。お互いが絶対的に正しくも、絶対的に間違ってもいない以上、必ずどこかにお互いの意見を受け入れあうところがあるはずです。もし、それを「妥協」というのならば、私は「妥協」が好きです。というより、それができない人間を私は軽蔑します。

ただ、最近の多くの意見などを目にして特に感じるのが、多くの人はそこまでお互いの意見を深めることが面倒なのではないか、ということです。相手の意見を受け入れることを恐れ、理解しあうところまで到達する前に相手の声をシャットアウトし、自分の正しさだけを声高に叫ぶことが正義なのだと錯覚するところがあるような気がします。

妥協というのは、お互いの正しさと間違いを理解しあえるところまで到達しなければできないことでしょう。となれば、今は「妥協がキライ」というより「妥協までたどり着かない」人が増えているのかも知れませんね。
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この回答へのお礼

みなさん、はじめまして。
僕は、このサイトの掲示板で初めて「質問者」という立場で書いています。
多くのレスを頂いて嬉しく思っています。
一人一人にお礼をつけるのが筋なのかもしれませんが、そうすると文章がぶつ切れになってしまうので、No.1~7の方に対して一括してお礼するという形で文章を書いてみようと考えました。

妥協とか譲歩というものは、人間が平和に暮らすための知恵です。
私は特に「家庭内」の人間関係や、「ビジネス」を中心として文章を書いたつもりですが、国家間の争いも同様の面がありますね。
なかなか理解し合えないから妥協したくないというときには、より「強い」側が譲歩するのが「平和」という感覚が僕にはあります。
とはいえ、国際社会でアメリカばかり譲歩しても上手くは行かない。
じゃあ戦えばいいのか?これも不毛であることが多そうだ。
じゃあ、せめて「破綻」を避けるという意味で妥協や譲歩を探るというのが多くの場合なのだと思います。

そもそも譲歩も妥協も最初から出来ないと言う相手もいます。
不倶戴天という関係ですね。
これは戦うしかないでしょう、残念ながら。

しかし、争う必要があるとは思えない状況で、優位に立っている側が一歩譲歩することで丸く収まるのにそれをしないと感じることも多い。
理解し合うのは難しいからこそ、「とりあえず破綻を避けて時間をかけて理解を目指す」ということができればと願っています。

質問で書いた部下との話には実は「続き」があります。
しばらくして彼はこんなことを言ってきました。

「ボスの言っていることはなんとなくわかる気はします。でも、それじゃあ弱い方は妥協しちゃあいけないんですね?」

僕はこう答えました。

「残念ながら、弱い方は負けてはいけないんですよ。というよりも勝つしかない!強い方は勝たなくても良い。負けさえしなければ実質的な勝ちに近い。弱い人間は負けたらオシマイだ。だから、争ってしまったら強い方が譲歩しないと上手く行かないんですよ。」

彼は、また首を傾げていました。(笑)

こういう板なので、意図的に少々「ためにする」書き方をしています。
不快な印象を与えたのであればお詫びいたします♪

お礼日時:2007/01/30 20:44

「妥協」とか「譲歩」ということが苦にならなくなりました♪.....とおっしゃるご質問者さま、本物のオトナにおなりになったんですね。

たしかに「妥協」と「譲歩」は優勢な方にしかできないことですものね。

ただ、リーダーたるもの、時と場合によっては皆んなの意見や希望があっても、彼らよりもっと先を読んだり広い視野でモノを考えたりして、それは出来ないと判断した場合にはガンとして譲らない.....といった姿勢も大切ですよ。
それと、男として、社会人として、夫として、リーダーとして、そして人間として、そんなことはしてはいけないといった場合もあるでしょう。とかく下の人たちはイージーなほうに流れやすいものですが、それをやっちゃあお終いよ......といった場合にも絶対譲らない......とか。
だから難しいんです。正しく適度に「妥協」と「譲歩」をするってことは。あ~あ、エラそうなこと言っちゃいましたね。
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 えと、つまり要約すると、質問者様は「強者」で「正しい者」で「優勢な人間」だから、「妥協」と「譲歩」が好き♪なんですよね?



 私の場合は、「妥協」と「譲歩」が好き♪じゃないです。べつに、自分が「強者」で「正しい者」で「優勢な人間」だと、「妥協」と「譲歩」をするべきだとは微塵も思っていないので。
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はあ、あなたが日々敗北と屈服と追従と欺瞞を続けざるを得ない気の毒な境遇にあるということはよく分かりました。

それはそれとして、質問はなんですか。
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#1>解決する能力が無い、又は足りない場合はそれでいいんじゃないですか?




こういう事で、良いと思います。
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和以貴為(和を以って貴しと為す)が古来から続く日本人の行動原則ですので、日本人どうしの人間関係の対処は、それでよいかと思います。



問題は、別の行動原理をもっている人たちとの間で、トラブルが発生した場合ですね。
世界にはお互い譲り合うことを美徳とする以外の価値観を、行動原理の第一に置いている組織や勢力、もしくは民族がたくさんいます。

ネオコン、イスラム原理主義、中華思想、チュチェ思想、ウリナライズム。
世界にはいろんな主義・思想をもった集団がいて、それらと軋轢が発生した際に、この妥協と譲歩だけでは何の解決にもならないことが多々存在します。

だからと言ってすぐさま武力に訴えるのも愚かなことですが、無条件に妥協と譲歩を重ねるだけでは、「奴隷の平和」にしかならないでしょう。

参考:『奴隷の平和を求めている日本外交』
 http://www.geocities.jp/taiwan_assoc/bs02218.html

時には純ちゃん(小泉前首相)のように、無理難題をいう相手に対して、胸を張りながら舌戦を挑むことも重要ですよ。
もちろん、こちらが力負けしないために、強いお友達(アメリカ)を味方につけておく必要がありますが。
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解決する能力が無い、又は足りない場合はそれでいいんじゃないですか?

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