重要なお知らせ

「教えて! goo」は2025年9月17日(水)をもちまして、サービスを終了いたします。詳細はこちら>

【GOLF me!】初月無料お試し

「右」っぽい質問ですが、深い意味は無く、たんなる興味です。
第二次世界大戦で日本は負けましたが、なぜ負けたのでしょうか?どうすれば勝てたのでしょうか?
今までの歴史の流れからすると、「勝ち=正しい、負け=悪い」という構図があるとおもうのですが、もし日本が勝っていたら、今の世界情勢にどのような影響がもたらされたのでしょうか?

A 回答 (21件中1~10件)

なぜ負けたかと言う疑問自体が、現在の歴史的常識では疑問ですね。


戦争の勝利が相手を降伏させる事であるなら、中国も米国も当初から攻め入って勝てる相手では無かったのです。
秀吉の朝鮮・明征服戦から始まって、日本の行ってきた対外戦争は相手を知らない無謀なもので、日清・日露戦争も所詮先方の政情不安により判定勝ちを得たに過ぎません。
かろうじて日露戦争については、英国の助けもあって情報諜略戦では勝っていましたが、日中・第二次大戦に関しては慢心と軍部独走もあって、国策として統一した軍行動もとれていませんでした。
特に米国とは72倍の経済力以外にも、国としての統率が戦時には圧倒的に強まる事、首都ワシントンまでの道のりを考えれば、到底勝てる相手ではありませんでした。
他の方の意見もありますように、「負けるが勝ち」的外交で対中利権放棄等で譲っておけば、「敗戦」は免れていたでしょう。その場合現在の様な民主国家に変貌していない限り、現在の北朝鮮の様に世界中から「独裁狂信国家」として敵視される国家になっていたでしょう。
    • good
    • 5

大陸での戦争に日本は共産主義者の謀略によって引きずりこまれたという説は、あとから出てきた理屈であり、真に受けてはいけないでしょう。



日本は積極的に、日清・日露戦争を経て、朝鮮に進出、そして満州事変へと大陸侵略を拡大していったわけですからね。

日本の侵略性を隠蔽したいがために、外部に原因、つまり共産主義者による謀略が日中戦争の原因としているのです。

しかしながら、朝鮮から満州へ進出し、さらに満州国を建国したのですから、この日本の「大成果」までをも、共産主義者の謀略によるとするのでしょうか。おかしな話です。

ですから満州国建国で拡大をストップすれば良かったのです。そうすれば日米戦争はなかったでしょう。満州国は同盟国ドイツはもちろん実質的にイギリスも承認していたのです。

しかし盧溝橋事件によって日中戦争を拡大します。この事件自体を中国共産党の謀略とする説が、最近でていますが、証拠はありません。
また、この事件で停戦協定が結ばれていたのに、上海事変まで発展した。これも蒋介石が日本軍をおびき寄せたのではないでしょう。そこまで主体性のない軍隊ではないです。日本軍は。おまけに上海から西へ行ってはいけない軍中央の命令を無視して南京へ現地軍は「積極的」に進軍したのです。謀略ではありません。

さらに言うと、当時、ドイツは蒋介石の国民党軍に武器供与し、訓練もしていました。ちなみにドイツも蒋介石国民党も「反共」です。

南京を占領しても、日中戦争は解決できなかった。中国が日本の侵略に抗戦するのは当然であり、戦争を長引かせた原因を中国にするのはおかしい。

さらに、中国との戦争を解決しないまま、大陸に80万の軍隊を縛り付けられながら、対米戦争に突入したわけですから、資源の乏しい日本が負けたのは当然でしょう。
結局、中国にも負けたわけです。

貴殿の回答とするならば、中国との無目的の戦争拡大と、中国との戦争終結しないままでの対米戦争突入が敗戦の原因です。

共産主義者の謀略とするのは「そこまで日本は騙されてきた情けない国」とする考えであり、自虐的なものです。
    • good
    • 0

(#17です。

操作を誤って文章が完成しないうちに書き込んでしまいました。改めて投稿します。)


【昭和時代の日本の戦争の本質】

第一次世界大戦の末期の1917年、ロシアで共産革命が起きました。成立したソヴィエト社会主義共和国連邦(ソ連)と、同国を一党支配したソ連共産党を指導したレーニンは、世界共産党(コミンテルン)を組織しました。

世界共産党の活動目的は、共産主義の思想と活動を世界に広め、特にソ連の周辺の国々を共産化してソ連の傀儡国家とし、ソ連防衛のための軍事緩衝地帯とすることにありました。一次大戦終了後にアメリカとアジアで起きた経済恐慌は共産主義活動を広めるための絶好の機会を提供しました。

大正時代後半から昭和時代の初期にかけて日本も経済恐慌に見舞われ、共産主義の思想と活動が浸透し易い状況にありました。こうした時代背景を無視して昭和時代の日本の戦争の本質を語ることはできません。軍部が独走したとか、軍国主義の時代とか、侵略戦争だとか、そのような表面的な観察だけで済ませてはならないのです。

ところで、昭和時代の日本の戦争を引起こし、拡大した共産主義者の動向を具体的に書こうとしましたが、とても長い文章になってしまいました。ここでは書ききれません。ですので、関係の書物とホームページを紹介しますのでご自分で勉強して下さい。


●三田村武夫著「 大東亜戦争とスターリンの謀略-戦争と共産主義 」(自由選書:自由社刊)

終戦直後の昭和25(1950)年に民主制度普及会から刊行されたものの、その内容が『日本の戦争は日本の軍国主義が引起した侵略戦争』とする東京裁判史観に真っ向から反するものであったために、占領軍当局(GHG民政局)によって発禁処分にされた三田村著「戦争と共産主義-昭和政治史秘録」の復刻版。昭和時代の日本の戦争の本質を解き明かす不朽の名著である。これを読まずしてあの戦争の本質を知ることはできない。


●中川八洋著「 大東亜戦争と『開戦責任』 」(弓立社刊)
      
スターリンを頂点とする(ソ連、日本、中国、米国など)各国の共産主義者がどのように支那事変を拡大、長期化させたのか、そしてどのように日米戦争を引起こしたかを解明した好著である。

【参考サイト】
コミンテルン(世界共産党)の国際諜報謀略網:
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/cominterun …
石原莞爾と尾崎秀実(※):
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from57to59 …
ソ連の対日米支諜報謀略網:
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from38to42 …

※尾崎秀実(おざきほつみ): 尾崎秀實が本字。ソ連を心の祖国と憧憬した共産主義者。朝日新聞記者。世界共産党のスパイ工作員。日本と中国との戦争(支那事変)を長期化させるための政界工作と、日本と米国との戦争を開始させるための軍部工作を実行した。彼の謀略の目的はソ連の国防と日本の敗戦革命(レーニン)だった。尾崎・ゾルゲ事件で検挙されて死刑。


◆近衛上奏文(昭和20(1945)年2月14日付):
書物ではありませんが、近衛文麿元首相の上奏文を紹介します。

大東亜戦争末期の小磯内閣のとき、終戦を模索される昭和天皇は重臣を個別に召されて、戦局の見通しなどを聴取された。近衛文麿、平沼騏一郎、東條英機らの重臣がそれぞれ意見を上奏した。このとき近衛が自らの意見を文書化して捧呈したものが有名な昭和20年2月14日付近衛上奏文である。3次に渡って大命を拝して内閣を組織し、総理大臣として日本の国家意志を決定した近衛だけに、日本の軍部が戦争に飛び込んで行った真の動機を正確に理解できる立場だった。満州事変に始まって日米戦争に終ったあの戦争は共産主義者が日本を共産国家にするために引き起したものだった。日本を敗戦に追い込み、敗戦の混乱の中で日本国民の不満を結集して共産革命を起こすのが目的だった。(→レーニンの敗戦革命)

近衛上奏文の原文:
http://www.ne.jp/asahi/masa/private/history/ww2/ …

近衛上奏文の解説:
http://touarenmeilv.ld.infoseek.co.jp/from79to87 …


(私の感想)
しかし、日本の敗戦革命に失敗した日本の左翼(共産主義者)は、戦後60年間に渡って、自分たちが戦争を起した事実を隠蔽し、戦争の全ての責任をもっぱら「軍部」と「右翼」に押しつけた。とんでもない。左翼こそが真の戦争責任者なのである。


「なぜ日本は負けた?」というご質問ですが、中国だけが相手ならば日本は負けるはずがないのですが、左翼が「日本を負けさせるために」日米戦争を始めさせたのですから、左翼の目的は”半分”達成されたわけです。しかし、残りの半分、つまり日本の共産化は達成できませんでした。ソ連軍が日本本土を占領するよりも、米軍の日本本土占領が一歩早かったからです。
    • good
    • 1

なぜ日本は負けた?それは運が無かったからです。

「戦運」と言うように、戦いには運・不運が付きまといます。確かに勝敗を決する要素は兵力、戦略、戦術、補給、指揮官の質、経済力等、無数にある事は確かです。しかし、それが全てでもありません。歴史上の戦争を振り返れば、大国が必ず勝利している訳ではない事がわかる筈です。戦争では人智を超えた「何か」が勝敗を決する事が少なくありません。その「何か」をアレクサンダーは「希望」と呼び、ナポレオンは「星」と呼び、シーザーは「運」と呼びました。日本にも「運」があれば勝つ事はできたでしょう。もしミッドウェー海戦で運があり負けなければ・・・その後の事態は変わっていたかもしれません。確かにアメリカは大国ですが、手が無いわけではないのですから。
もし日本が勝っていたら・・・あまりに歴史の選択肢が多すぎて不明です。
    • good
    • 0

>「右」っぽい質問ですが、深い意味は無く、たんなる興味です。



「右」っぽい質問どころか、普通の国の健全な国民ならば当然のように抱く疑問です。また、敗戦の理由または原因をとことん究明しておくべき疑問です。日本の将来のために欠かせない事だと思います。なぜなら戦争は、やるからには勝たなければならない、最悪でもドロー(引き分け)に持ち込まなければならないからです。

>第二次世界大戦で日本は負けましたが、なぜ負けたのでしょうか?どうすれば勝てたのでしょうか?

「どうすれば勝てたか」の質問への答えはありません。負けるために始めた戦争だったからです。昭和の日本の戦争の本質を後述します。

>今までの歴史の流れからすると、「勝ち=正しい、負け=悪い」という構図があるとおもうのですが・・

昔から「勝てば官軍、負ければ賊軍」と言います。道義的に正しい国が戦争に勝つわけではありません。民主主義が善で全体主義が悪だから民主主義が勝つ、というわけでもありません。軍備に優る国、戦略や戦術が優る国、情報戦を制した国が戦争に勝つのです。力の強弱だけが戦争の勝敗を決めるのです。勝者に「オレは正しい」と言う権利が与えられ、敗者は「オマエは間違っている」と言われて沈黙するだけなのです。

>もし日本が勝っていたら、今の世界情勢にどのような影響がもたらされたのでしょうか?

この質問への答えもありません。

===========================

【昭和の日本の戦争の本質】
なぜ日本は、あの戦争をしたのか。戦争の目的は一体何だったのか。戦争をするという国家意志は誰が決めたのか。なぜ負けたのか。

これら一連の疑問を解くキーワードは、「世界共産主義者の陰謀」です。日本の軍部も政治家は世界共産主義者に利用され、彼らの陰謀にまんまと嵌められて戦争に突入して行ったのです。それでは、世界共産主義者の陰謀の目的は何だったのか。それは、日本を含む東アジアの共産革命です。

軍事大国日本に中国大陸で戦争を起させて長期化させ、さらに最強の軍事大国アメリカと戦わせてヘトヘトになり、敗戦確実になった日本へソ連軍が攻め込み、一気に天皇制を打倒して(※)日本で共産主義政権を樹立しよう、そしてソ連の傀儡政権にしようと企んでいたのです。
※ロシア共産革命では、皇帝一族が皆殺しにされた。

さらに・・
    • good
    • 1

戦争に加担しなければ勝っていたとおもいます。

「負けるが勝ち」。
勝負する前から負けを演じていれば、実際の戦争で負けることはなかったのでは?
そして別に、戦争に負けた勝ったということで、なんら日本人の生活を決めていく上で、影響を与えられることはないとおもいます。
もし、戦争に負けたからと言って、落胆していてもはじまらないし、戦争に勝ったからと言って偉そうにしていたりする人物がいたとしても、それが何か私たちの未来に影響を与えるとはおもえません。
すべては、おのおのがhappyにpeacefulに生活するためにひたすら行動していくことが大切だとおもいます。
私も、過去の戦争体験に関しては、興味がありますが、実際にそれらにどう関わっていくかということに関しては、自然の流れに身を任せることがベストかとおもわれます。
ちなみに、今日までに至る戦争、それらをどのように利用して、生かして、これからの未来を構築していくか、それらを私たちで話し合って、決めていくことが大切なのではないかとおもいます。
    • good
    • 0

別に、日本は戦争に負けていませんよ。

戦争の勝利は、目的を達すること。
当時の日本の戦争目的は、アジア諸地域の欧米列強からの解放ですから、目的を十分果たした勝利でしょう。日本降伏までに、目的を達成してないのが難ですけどね。

 冗談は別にして、落としどころを決めてなかったのが問題でしょう。国力の差は、絶対的な問題ではありません。日露戦争だって、国力の差で考えれば日本の勝利はありません。しかし、軍事的局地戦の勝利と第三国を利用した政治的外交手腕で、悪くない結果を得られたにすぎません。

 アメリカは最強国かもしれませんが、自国の内乱以上の戦死者を未だに出したことのない、他人の痛みはわからなくても、自分の痛みには、気を使う国ですので、米国内反戦派を利用するといった、政治の仕事をまともにしていれば代償をはらう(最悪、満州放棄)にしても落としどころはあったでしょう。 
 ただ、頭の中が、お花畑の理想主義者が、現実を見ず、落としどころもなく、夢見がちな少女なような感覚で、戦争を始めてしまう。戦線が悪化し、どれほどの死者がでようと、理想の為、どこかの国の教師の如く徹底抗戦を叫ばれ、現実的な考えや事実を吐露すると売国奴にされたのでは、やりようがありません。

 質問者さんの考える勝ちとは、日本にとってどんな勝利でしょう。純軍事的に米国に勝利し米国占領を目的とするなら、それは無理です。
 資本主義国家として、利益目的なら、日本人資産や、一定の権益確保した上での満州放棄、三国同盟破棄、石油確保の為の通商条約の締結といった条件取捨ができれば、第二次世界大戦に非参加としての日本もあると思います。 戦争自体、外交の一手段にすぎません。
 但し、この場合、軍事クーデターが高い確率で発生しますけどね。
 
 政治的な目的をどこに置くか、日本の利益追求か、維持確保なのか。内閣の維持なのか。 少なくとも明治の頃までの日本の政治家には当り前にできていたのですが、昭和以降、それができる政治家が絶滅しています。

 仮に第二次世界大戦に非参加としての日本があったとしても、敗戦を経験した今ですら、現実をみることなく、理想主義に走りがちな「頭の中が、お花畑」な人達が一定の勢力を持っているのが現状です。
 非戦の選択自体を失敗と捉え、理想に向かい、さらに致命的な失敗を犯した公算のほうが強いでしょうね。 
 北朝鮮のような国家をどうしても想像してしまいます。
  


 
    • good
    • 0

もちろん地理的条件も大いに左右しますが、戦争は基本的に国力の大きい方が勝ちます。


ですから、
・陸海軍が協力しなかったから
・中国戦をやっていたから
・初期の戦果で慢心していたから
・情報戦で負けたから
・兵器がショボイから
・補給軽視だから
・指揮官が馬鹿だから
このあたりが負けたり理由としてよく出されるところだと思いますが、本当に陸海軍が協力しなかったか、補給は軽視されたのかとかいろいろ疑問はあるのですが、仮に全部満たしたとしてもアメリカには勝てないでしょう。戦争に勝つとはそういうものです。
日本がアメリカに負けるのも、ドイツがソ連に負けるのも必然なように、戦争の勝敗は初めから決している場合がほとんどです。
「どうすれば勝てるか?」となると枢軸軍に入らず連合軍に入るとか以外で二次大戦に負けないですむ方法は無いでしょう。

どこまで信憑があるかはわかりませんが、当時のGNPをのせておきます。

参考URL:http://mr-home.staff.shef.ac.uk/hobbies/gnp.txt
    • good
    • 0

国力はともかく、日本の国内で見ると、


一説には官僚主義が蔓延った。と。

官僚主義は先例主義でリーダーシップを忌み嫌う。
名将山本五十六を生殺しにしたのを見るとわかりやすいと思います。
元帥とはいえ、権限は高くなかったようですね。
先例主義なので現実を見る目と処理能力が無い。

官僚主義の典型は公務員を見れば分かると思います。
裏金、横領、無断欠勤、こんなのがまかる様では勝とうにも勝てません。
軍隊も公務員です。
新しい知事や大臣になっても、知事や大臣の言う事を聞かない官僚どももね。
戦う前から勝負は見えていましたよ。
日露戦争で勝てた?のは幕末を生き抜いた明治の元勲が居たからです。


そういや、幕末に果敢に戦った幕府軍は弱小大名や中堅官僚や下級武士です。
新撰組にいたっては農民ですからね。

日本が勝てた可能性は0%です。
官僚主導による政治、戦争が起こるとこうなります。
    • good
    • 0

「日本勝った、日本勝った、ロシア負けた・・・」


という、とても古い歌がありますが…。

日本が勘違いし始めたのは日露戦勝のせいだそうです。
日露戦争は辛勝も辛勝、最期はほとんどハッタリで、
もう1ヶ月長引いたら国力が尽きるというところまで戦った。
ところが国内にはヤバかったことを隠していた。
そういう戦争でした。

だから日露戦争の戦後処理は、もっと領土が獲得できたはずとか、
そういう批判に晒されたといいます。
国民はロシアに圧勝したつもりだったんですね。
で、ロシアに勝てた時より強くなってるんだから、アメリカにも勝てると。
そう思ってしまった。
日露戦争当時の首脳陣とは入れ替わってしまった、太平洋戦争当時の日本の首脳たちは
日露戦争については武勇談しか聞いてなかったわけです。

で、実際は勝てる相手ではなかった。
確かに日本軍は強く、最初は米軍を押している時期もあったといいます。
同等の兵力では日本の方が強かったんですね。
しかし戦艦一隻沈めても、すぐに2隻再建して投入してくる敵に勝てるわけがありません。
どんどん兵力を投入してくる上に後方では新兵器の開発も滞りなく進め、
さらには大量の物資と技術兵を送り込んで、戦艦の修復すら前線のすぐ後ろでやってしまう。
開戦時の軍事力にはそれほど差はなくても、国力が違いすぎたんです。

もし日本が勝つ可能性のある戦略があったとすれば、
開戦直後に一気にアメリカ本土を蹂躙し、相手の立ち直る隙を与えないことです。
しかし広い太平洋を挟んでの戦いです。
そんなことができるわけもありません。

大東亜共栄圏が完成するまで、欧米諸国がぼんやり寝ぼけていてくれれば、
もしかしたら日本もアメリカと戦えるぐらいの国力を持てていたかもしれません。
でも世界の列強と言われるような国々が、そんなに馬鹿なわけありませんよね。

日本は、短期にできるだけアメリカを叩き、可能な限りの譲歩を引き出して講和するしかなかったのです。
当時の日本の状況から言えば、それが望める最大の勝利でした。

当時も頭のいい人はいて、山本五十六なんかは講和を考えてたといいます。
しかし日本は強いと多くの人が勘違いしてしまっていたため、それができなかった。
「神国だから勝つ」という根拠にならない根拠で戦い続けた。
だから、当初の目的も果たせず、完全敗北、無条件降伏となりました。

結論。
勝つ方法は最初からありませんでした。
    • good
    • 0

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!