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<<「上」からのつづき>>

もしも音楽として成立するか否かが、数学的な文法であらわせるとしたら、コンピュータに作曲させる「作曲アルゴリズム」も可能ということになります。するとそれは、人間が音楽と認めるすべての音パターンを強大な性能のコンピュータで先取り作曲してしまう、作曲という行為の終焉を暗示してしまいます。

そもそも、なぜ特定の音パターンが人に快楽をもたらすかが謎です。進化論は最近疑問符つきで見られることが多いそうですが、あえて進化論的な見方で見た場合、音楽の存在が人という種の繁栄に直接的にむすびつくとは思えません。じゃあ、なぜ音楽という文化はこれほど広範囲に普遍的に見られるものなんでしょう?

長くなりましたが、認知科学とか哲学の現場ではこういった疑問は解決ずみなのでしょうか?それとも私の問題の提起に穴があるのでしょうか?

上記に関連した話題なら限定しません。「こう思う」という回答も歓迎します。
よろしくお願いします。  

A 回答 (5件)

人間には「積み上げてきたものを壊したくなる欲求」というものがある、と聞いたことが有ると思います。



関係ないかもしれませんが。 ふと思いましたので 投稿いたしました。
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>音楽という文化はこれほど広範囲に普遍的に見られるものなんでしょう?



せせらぎや鳥の声虫の声に耳をすませるのは、人間にとって必要な情報や安心な情報には快感があると考えられないでしょうか。

心臓の鼓動や海の音にリズムを感じて、それに近い太鼓のリズムを親しく感じることもは、生活の基盤となっている環境に親しみを感じようとする、生物がいきるための本能と考えられないでしょうか。

せせらぎも鳥の声も海鳴りも知らず機械音しか知らない人は機械音に安らぎを感じることでしょう。

気持ちのよい音を再現して気持ちのよい時間を多く持ちたいというのが音楽かもしれません。

>特定の音パターンが人に快楽をもたらすか

日本音階の曲を好まない傾向があるとか聞きますが、貧困や苦痛に生きた時代には短調の曲がなぐさめになっていたものを、豊かな自由な生活しか知らない人はその味わいを知ることはできません。

進化するのではなく環境とともに変遷するものだと考えられないでしょうか。したがって
>作曲という行為の終焉
は、なかなか来ないと思います。
古いものを再現して使いまわすことはできるでしょうが、ぴったりの表現はアルゴリズムでは無理でしょう。

また、日本の鼓や三味線などのリズムも昔の日本語に合ったものなので、日本語の変化に合わせてリズムや音程も変化するかも知れません。このごろ日本人は早口ですね。

と思いついただけ書いてみました。
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これを読みましょう。


モーム『月と六ペンス』
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あれこれ頭で考えていてもわかりません。
音楽は、頭で聴くものではありません。
心で聴くのです。

あなたの好きな音楽の歌詞をみてみてください。
納得する歌詞のはずです。

たとえば、今の日本の政治にほとほとあきれ返ってるとします。
間違いなくこの曲が好きです。
試聴してください。

Bee Gees/ How Deep Is Your Love
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逆に、この曲が好きでなかったら、あなたは危機意識がないということが分ります。

自分と同じ考えをしているから、安心できるんです。
共感できるんです。
同じことを考えているからです。
まわりに同じことを考えている人が少なければ少ないほど、
音楽にのめりこむのではないでしょうか。
私がそうです。

参考URL:http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4003225 …
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哲学的な考察ですが、人の心が求める「真・美・善」の


うち、ある「特定の音パターン」が美しいと感じるから
だと私は思います。

人の心が「真・美・善」を欲するのは全世界の人類に共通
していますから、音楽も世界中の人に愛されているのでしょう。
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簡単に述べて、人間には、快楽中枢と苦痛中枢が大脳のなかにあります。猿などの実験では、大脳に電極を差し込んで実験できていますが、人間の場合は、間接的証拠などからそう言えます。

「快楽」については、β-エンドルフィンの分泌などが、快感などを導くことが分かっています。広義の神経伝達物質で、ドーパミンなども、過剰分泌で、幻覚などの他、恍惚感も出てきます。精神開示薬と言われる薬物は、good trip と bad trip を導くことがあります。

和音のような音の合成は、「調和音・階調」と言え、これは、おそらく、音の振動数の数学的調和から、人間の心に「快い音」と聞こえるのでしょう。「不協和音」などは、何か危険性を暗示する音と似ているところがあるのか、または、意識の構造から、不協和な音は振動数調和がないので、神経に不快をもたらすのだと思えます。

神経機構から多分、調和音と不協和音の差が来ているのだと思えるということです。

それに対し、音楽は、「旋律」が単位になっています。旋律は、古典的には、調和音を連続させて造ったのですが、それに反する旋律も現代音楽では試みられていますが、一般性がないように思えます。

音楽は、律動(リズム)反復と、反復のなかでの、旋律の展開によって成立しているように思えます。旋律段階で、「楽しい旋律」「美しい旋律」「悲しい旋律」「穏やか旋律」「暖かい旋律」「冷たい旋律」のような、感情-感覚を誘導するような旋律のパターンがあるようです。

ある旋律が、どうして或る感情を誘導するのか、短調には「悲哀感」があるというのは、おそらく音の組み合わせが、神経的に感情-感覚に関係しているのです。

律動については、かなり文化を越えた普遍的な性質があるようです。身体や心のリズムに合った律動音は、軍楽が典型にそうであるように、人を行動的にする性質があるようです。行動的に積極的に活動を誘導しようとする効果が、民族や文化を越えてあるようですから、これは、生理-心理的な面で、人間の心を「躁的に持ち上げる」効果があるのだと言えます。

何らかの律動の上に乗って、普通、旋律が展開するのが音楽です。旋律の反復が、快い場合があり、逆に煩い場合もあります。身体の状態によって、同じ音楽が違って聞こえるというのは、音楽の効果が、心身的な反応だということです。

音楽は旋律で、ある音による物語を構成するのだとも言えます。律動の上に乗って、緊張、興奮、反復、緊張解除などのパターンが流れ、快い音楽というのは、緊張とその解除のカタルシス構造が、軽い快さをもたらすのだと思えます。

勿論、音楽に不協和音や、楽しくない旋律や、律動の乱れや、緊張の励起と解除のパターンの時間的な不調和がある時は、こころよい音楽として聞こえないのでしょう。

文化によるインプリンティングや、経験による学習で、特定の旋律や、音の種類や階調や、音楽構成法などが、懐かしい感じや、平穏な記憶を喚起したりして、音楽に意味付けが起こることもあるでしょう。

「音楽の美」というのは、以上のようなことだと思います。

神経生理学的な音の階調と不協和音の区別に始まり、心身的な効果である律動、そして、文化や個人の経験での「水路付け」が、音楽や旋律にある「意味」を修飾し、そして最終的には、緊張と緊張解除のカタルシスが、音楽の美だということになると思います。

>じゃあ、なぜ音楽という文化はこれほど広範囲に普遍的に見られるものなんでしょう?

神経生理的に、階調と不協和音が決まって来て、律動は、生きているものとして、心身が持っているリズムに通じ、健康な体が気持ちよいように、健康な心身に調和する律動は、健康に感じられ、心を楽しくし、活動的にするのでしょう。

それと逆に、心を鬱状態にし、沈んだ感じにする音のパターンがあり、これは、休息を求める時や、悲しみに心が満たされている時など、その心の状態に調和するので、こころよく感じられるのでしょう。

緊張とその解除のカタルシス・パターンというのは、生物として、生存における緊張と、緊張から解放されて、安全になった時の「充足」の過程をシミュレートしているので、「充足感」が誘導されるのだと思います。

非常に原始的に言えば、人間も生物で、律動を心身に持ち、緊張やその解除の充足などの感情の動きが現実生活のなかであるので、それを音でシミュレートして、再体験をもたらす音楽に美やこころよさや、安らぎや、感動や、慰めが見出せるのでしょう。

律動がやはり基本で、乱れた律動や、不協和音や、ずれた旋律は、人に不快や不安や緊張をもたらすのですが、これを少し加えつつ、階調や、快い律動や、緊張の解除のカタルシスなどで構成された音楽は、より大きなカタルシス・充足効果が出てくるのでしょう。

また、人を不安にさせ、緊張させるような効果は、サスペンス映画の背景音楽や、現代の時代の不安定さを表現するために、現代音楽に使われているとも言えます。

ジャズなどは、どこへ展開して行くのか分からない不安定な音楽のように聞こえますが、緊張を連続的に体験した心が聞くと、不安定さのなかにある秩序が、カタルシス効果をもたらすのだとも思えます。

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五線譜で書かれる、西欧音階の短い音楽だと、そのパターンは有限だと思え、コンピュータで計算して、全部パターンを出すことも可能だと言えます。

ただ、どういう風に人間は感じるのか、個々人で違い、文化や年齢や経験や環境や、聞く時の心身状態などで意味が違って来ることになります。

また、楽器の音色や演奏法の違いがあり、こういうものを考えていると、五線譜で書かれる西欧標準音階で造れる音楽のパターンは有限でも、現実の音楽は、パターン的に無限だとも言えます。

同じ音楽で、ただ、五線譜の音符の音の「長さ」を、1/4とかすべて均等に延ばすだけで、違った音楽に聞こえてきます(音と音の間隔は同じで、普通、オルガンのような連続音楽器だと、指を離す所を、1/4だけ長く指を押さえているというようなことです)。
 
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この回答へのお礼

 あーっ!!もしやと思い、過去Qを見たら・・・やっぱりasterさんだ!完全平面どうしの接合を解説して下さった、あのasterさんですね!!
 毎度、こちらの質問の意図を完全に把握しての回答、ホントに頭が下がります!
 回答を下さる方は多いですけど、ちょっとだけズレた回答を下さる方が多くて、これだ!という回答にはなかなか出会えないものです。言葉を尽くしたつもりなのにな・・・と少し落ち込んだりしている中で、「話が通じてる」という感覚を与えてくれる回答者の方に出会える喜びは、ちょっと言葉にできません。
 今回も勉強になりました!またこちらで、mcrの質問を見かけましたら、ぜひ覗いてやって下さい。
 ありがとうございましたー!!

お礼日時:2002/05/27 22:09

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