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日本文学の、写実主義と自然主義の違いがよくわかりません。
写実主義は明治初期に坪内逍遥が提唱して二葉亭四迷が確立したものですよね?
自然主義は明治末期より田山花袋などの私小説的なものをいうみたいですが、なんだかどっちも人間の心理とか真実とかを描き出すことには変わり無いと思うんですが・・。
主義というだけには何か決定的なものはないのでしょうか?ただ単に時期が違うというだけなんでしょうか?日本の自然主義はヨーロッパのものとはまた違うなどあるみたいですが・・。
便覧見ても人に聞いてもいまいちしっくりこなくてしこりを残してます。

A 回答 (4件)

 実は僕も疑問に思いまして、調べてみたことがあるんです。


 本当に、疑問に思われても無理もないことだと思います。というのは、明治の文学史を見てみると、ひっじょーに奇妙なことが起こっているからです。
 まず、写実主義の方は、おっしゃるとおり、坪内逍遥の『小説神髄』に始まり、二葉亭四迷の『浮雲』を本格的な出発点とする流れです。言文一致が特徴ですね。文字通り、現実を描写するという意味で写実的でした。
 で、自然主義にいく前に、浪漫主義という流れがあったのをご記憶でしょうか。雑誌『文学界』を拠り所に、北村透谷や初期の森鷗外らが活躍しました。その『文学界』の創刊当初のメンバーに、あの島崎藤村がキッチリ顔を見せているのです。彼は、浪漫主義抒情詩人として出発していたのでした。これがハナシをややこしくする元なんです。つまり…日本においては、自然主義というのは、写実主義からではなく、浪漫主義から派生したと言える部分がある、ということです。ヨーロッパとは全然ちがう経緯を辿っている。そのため、「自我」であるとか「内面性」であるとか、そういう浪漫主義的要素を多分に引きずることになりました。
 さらに、日本における自然主義の出発点をなした、藤村の『破戒』、これがまた問題なんです。
 ヨーロッパにおける(つまり、もともとの)自然主義は、写実主義の客観的描写姿勢を受け継ぎつつ、より科学的・実証的・体系的に現実を捉えようとする、実験的な文学様式でした。現実を、あるがままに、しかも、歴史的状況や因果関係や社会全体の中での位置付けも視野に収めて、現実のナマの姿を浮き彫りにしよう…みたいな。
 で、『破戒』なんですが、まず、被差別問題を背景としている点に、上記の意味での自然主義の特徴を認めることができます。一応。あくまでも、一応。
 ところが、作品全体として見ると、明らかに焦点は主人公・瀬川丑松の内面的苦悩に置かれています。被差別問題は、ただ単に「背景」でしかなく、作品を通してこの問題の核心を追究しようという姿勢は、もうぜーんぜん見られない。つまり、本来の意味での自然主義文学としては、要件を十分に満たす作品ではなかったのです。
 にもかかわらず、『破戒』は発表当初から「自然主義小説」として宣伝されてしまった。おまけに、小説としての完成度が高かったことから絶賛を浴びた。大成功を収めた。…これが、皮肉なことに、日本における自然主義文学の方向を決定してしまったのです。社会的視点を欠いた自己告白的小説が「自然主義だ」ということになってしまった。藤村自身が、「いやー、実はねー、自然主義って、ほんとはこうなんだよ」と、ちゃんとフォローするような仕事をしてくれていればよかったかもしれませんが…やってないんです、結局。
 こういういきさつで、要するに、日本では写実主義も自然主義も、中身に大したちがいはないんです。強いて言えば、自然主義の方は、「浪漫主義混じり」のせいで内面描写に突っ走ることになり、自己告白が露悪的な方向に傾きがちになった点に、写実主義との違いがあるでしょう。写実主義の方にも露悪的なものはありましたが、どちらかというと、「現実って、こんなに厳しくて悲惨なんだよ」という、現実世間の描写でしたから。

 どうでしょ? これで、「しこり」、消えます?
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この回答へのお礼

ご丁寧にありがとうございました!何を隠そうせっかくの皆さんのお答えが自分の知識不足のせいでわからず、文学史を片手に何度も繰り返してみましたらなんとかしこりとれました。日本の自然主義・写実主義ってほんとややこしいですね。
つまりは自然主義のはき違えというか、転向者である藤村の叙情性のある表現が抜けきらず、その後の自然主義という認識にも影響を与えたわけですよね。かつ、社会的な事情でも主義の形が変わっていった・・。
元々の自然主義は人間を使って社会の真実を描こうとするもので、目撃や告知の文学というはずが・・・。日本ではいつの間にか告白の文学になり、書く価値のあるもの=隠されているもの=人間の醜悪面・・という形になっていったんですね。
うーん、文学は密接に社会と絡まっているんですね。というか近代文学史はほぼ日本史にですね。。勉強不足です。ありがとうございました。

お礼日時:2001/01/18 00:45

 写実主義と自然主義は全く違います。


 自然主義は田山花袋が言うように、作家自らの醜い「現実」を赤裸々に描いたものです。
 写実主義はロシア文学に詳しい二葉亭四迷が坪内逍遥の言ったことを更に実践として立派に発展させたもので、物語を創作していく中で、人間の「真実」に迫ろうとしたものです。
 従って、自然主義は、後発であるにも関わらず、現代の週刊誌・ワイドショー文化のようなグロテスクにして安直な露悪趣味なものに日本文学を変形させてしまいました。写実主義は、正当な形では継承されなかったわけです。
 二葉亭四迷は自然主義が出たことに対してとても残念に思い、「平凡」という最後の長篇小説の中で、批判しています。二葉亭四迷以外にも、自然主義に対して批判的だった作家は反自然主義と呼ばれ、夏目漱石や森鴎外などがそうです。
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この回答へのお礼

四迷が自然主義の登場に批判的な態度をとっていたとは知りませんでした。それで四迷は途中で筆を折ってしまったのでしょうか。逍遥の弟子の島村抱月が自然主義だと読んだので、つい、四迷もむしろ肯定的で口を出さなかったのかと勝手に解釈していました。教えていただいてありがとうございました。

お礼日時:2001/01/18 01:00

 先のお二人が素晴らしい回答をされていますので、御参考程度に・・・。


 角川「類語新辞典」によると、
「自然主義:十九世紀の自然科学思想を文学に導入しようとするゾラらの試み。日本ではこれを浅薄に模倣し、無理解・無解決をかかげる独自の道をたどり私小説に転じた」
「写実主義:現実を模写し、再現しようとする立場。浪漫主義の空疎を批判し、平凡なものをありのままに描こうとした。のち自然主義に含まれる」
とあります。
 私はこの説明を読んでから、OZAPANさんの回答を拝見して、なるほど、と思いました。お役に立てたでしょうか?
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この回答へのお礼

なるほど。ですね。この文を読んで頭で整理できました。むしろ写実主義が自然主義に飲み込まれているんですね。
しかし、この流れをみていると敵の敵は味方・・のような感じを受るのは私だけでしょうか(笑)。ありがとうございました!

お礼日時:2001/01/18 00:48

OZAPANさんの補足になります。

参考には加藤周一の「日本文学史序説」をお薦めします。たしか明治期に自然主義論争が起きて、森鴎外は論敵に「自然主義は、観察的な科学の論述なのか」といったようなことを述べていたと思います。心情のありのままの暴露と、科学的な因果関係(近代ですから)のどちらが「自然」なのかというのは、今日的問題でもあり、enaryさんは、どうお考えでしょうか。
私は四迷に自然主義を感じます(自我と事実の緊張関係)。むしろ花袋に情緒的なしみったれを感じます。文体は感覚として四迷=江戸、花袋=明治のように思います。
とはいえビクトル・ユーゴ-が浪漫主義かつ自然主義と思います。
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この回答へのお礼

手元にある本によるとHTsumakuraさんの仰るとおり自然主義の「自然」は「自然科学」からきているそうなんですね!
うーん、難しいです。どちらが自然ではないとは言い切れないし、表現の問題にも思えますが。。「日本文学史序説」教えていただいてありがとうございます。知識不足な者ですいませんでした、是非参考にさせていただきます。

お礼日時:2001/01/18 00:47

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