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森鴎外は初期に文語調で小説を発表していましたし、「浪漫主義的」と言えるような活動は評論と訳詩くらいでしたから、小説の内容とスタイルから考えるとあれは「擬古典主義」になりませんか?
例えば有名な「舞姫」は完全に文語です。そして、例えば「擬古典主義」にカテゴライズされる露伴「五重塔」や紅葉「金色夜叉」と比較して、いわゆる「リアリズム/ロマンチシズム」で考える場合に、内容は明らかに「舞姫」がリアリズム小説寄りです。
このように、初期鴎外が、いわゆる「擬古典主義」の作家たちと比較してもまったく「浪漫主義」的傾向を持たず、同時に、特に文体の「擬古文度」が劣っているわけでもないのに、「浪漫主義」と考えられているのはどうしてでしょうか?
ご存知の方いらっしゃいましたらお教え願います。

A 回答 (1件)

 鴎外がロマン主義と呼ばれる理由は、『舞姫』によって日本にロマン主義を輸入したからです。

現代人がどう評価するかは関係なくて、当時の人が『舞姫』を読んで「こういう題材で小説が書けるんだ」と感心して真似したことが大事なのです。
 後発の『金色夜叉』や『五重塔』がロマン主義的なのだとすれば、それは『舞姫』の影響です。

 紅葉や露伴が擬古典主義と呼ばれるのは、わざわざ西鶴などの文体を真似して小説を書こうとした活動を指すもので、ただ文語で書いただけの鴎外は擬古典主義とは呼ばれません。
 鴎外は言文一致で文章を書こうとしたけど、うまくいかないから文語に戻しただけで、そこに創意があったわけではありませんからね。

 当時の日本の「なんとか主義」はヨーロッパのそれとは違って、思想や主義に基づいた活動ではなく、単純に西洋の手法を輸入できないかを試行錯誤していただけです。
「こっちの手法の方がよりよい」という形での議論はありましたけど、思想的な対立があったわけではないですから、いろんな主義がごちゃ混ぜになった作品を書いても構わなかったわけですね。神様仏様などとお祈りする日本らしい風景とはいえます。
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