プロが教えるわが家の防犯対策術!

何かの本か人に教えてもらったのですが、

般若心経を神様にも唱えてもいいと教えてもらいました。

唱えている人はいるのですか?

般若心経はオールマイティーだと教えられたのですが

同じ意見の人はいますか?

私は20何年間このようにしてきました

洞察力という本に般若心経の文が載っていまして、それで覚えました。

それと、親戚の人に聞いたのですが神より仏の方が力が強いと聞きました
その根拠は知っている方はおられませんか?

教えてください!!

A 回答 (11件中1~10件)

脱線しますが、貴家ご先祖様に代わって申します。





>私もよく仏壇を拝むのですが、苦しいことに出会うと自然と解決されるので先祖の存在を確かに感じます。

先祖の存在を感じるのは、先祖の貴方に対する感謝の気持ちの表れなんです。
「ありがとう。大丈夫・・・守っているから安心して幸せに生きておくれ。」
この、先祖の気持ちに気づき、一生懸命生きることを“供養”といいます。

>毎月始めは仏壇の掃除やつやだしなど欠かさずに行っています
>毎日神棚を拝んでは仏壇に延命十句観音経と般若心経を唱えています

先祖にやらされていることに気づきましたね。合掌するのも、となえるのも。それに気づくことも“供養”といいます。

神棚で般若心経をとなえるのも神様と般若心経にやらされているのです。気づきましたね。

いい供養ができています。



入退会を繰り返す ANo.9 でした!

それではゴキゲンヨウ!!! (^^)v

この回答への補足

私はやらされているのではありません。

感謝の気持ちを表しているだけです

補足日時:2007/03/08 01:07
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この回答へのお礼

人それぞれですね

わかりました。

お礼日時:2008/04/04 00:42

般若心経は、三蔵法師がインドから持って帰った経典を


中国で翻訳したものです。その経典は長すぎて読めないため
いいところだけ、抜粋して作られたものが
般若心経です。実にうまく出来てると思います。
でも、こんなことを書いてるのだと教えられている人は
多いのですが、自分でうまいこと出来てるな。とわかる人は
少ないですね。
経典は大事なものですが、本当に大事なものは文字や意味にあるのではなくて、貴方のその唱える姿なのですよ。
ですから、お経は何でもいいのです。
神様、仏様は、あなた自身のその姿です。
神社に行くと、鏡が正面にありますよね。そこに写るのは
自分の姿です。鏡をちじめて、かみと呼ぶようになったのかも?
とも思います。^^
大事にしたいのは、手を合わせることではなくて
手を合わせていきたいと思う心ですね。
ここでは、余分かもしれませんけど、般若心経には
そこが、書かれてるんですよ。
唱えられ方も仏なら、唱える方も仏です。^^
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この回答へのお礼

ありがとうございました

いい事を聞いた気持ちでなんか晴れ晴れしいです

私の要らないことが多いので質問をして良かったです!

お礼日時:2007/03/07 19:29

なるほど・・・



ごく簡単に述べます。

般若心経は般若思想(空)を説くお経ですが、理解するための教えである他の経典類とは違い、となえることによって経力(ご利益)を得られるとされ、その意味から“呪(じゅ 真言と同)”といわれます。

神仏習合の影響で神社で般若心経、寺院で祝詞をとなえるようになり、現在でもその名残は日本中に残っています。
神前で般若心経をとなえることによって自身の力を引き出し、神仏と共に生きるわけですから、般若心経がオールマイティーとする認識は間違っていません。

>神より仏の方が力が強い

本地垂迹説では神は仏の化身とされました。
また、天照大神やイザナギ・イザナミ等のように、神たちは非常に人間クサイ性格を持ちます。
さらに、仏はこの上ない“悟り”をひらいた絶対的存在です。

これらのことから神より仏のほうが格上とする考え方も出来ますので、仏の方が力が強い根拠になるかもしれません。

しかし、八幡大菩薩のように仏教の守護神になる神がいたり、神本仏迹説もあるので、一概に仏が上ともいえないと思われます。



以下余談です。

>私は毎日神棚を拝んでは仏壇に延命十句観音経と般若心経を唱えています
>私だけが何か昔の人間のように自分で自分を思います
>それも、父方の祖母が私を神参りと仏壇の作法を見てきました
>だからだと思います
>良いことは続けて生きたいと思います

いい信仰をしていますね。そのままお続けください。

益々のご多幸を祈念いたします。

合 掌
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この回答へのお礼

ありがとうございました

色々為になる事を勉強いたしました。

私もよく仏壇を拝むのですが、苦しいことに出会うと自然と解決される

ので先祖の存在を確かに感じます。

それ以来毎月始めは仏壇の掃除やつやだしなど欠かさずに行っています

そういうものを私も伝承していきたいです

これからも大きなことはできませんがこのような小さい事を続けていき

たいです。

お礼日時:2007/03/06 16:17

仏教の一部には「神」という存在を仏教の描く世界観の中に入れているところもあるようです。


また、大日如来を天照大神と同一視する人も居ます。
逆に神道を崇敬する人にとっては、神は神、仏教は人。神が人を作ったのだから、神が上と考える人も居ます。

般若心経に限らず、お経は人(自分、魂という点では死んでも人は人)に説くものだから、どこで唱えても構わないと考えている人が居ます。
 私はこの考えに賛同します。つまり、唱えている対象が違うのですから、神社でお経を唱えても、なんら不合理ではありません。
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この回答へのお礼

有難うございます

いろいろな人がいるのですね

夫のところへ嫁に来た人の中には夫の祖先を敬うより

神の方を敬う人もいるのだそうです

難しい話ですよね

参考になりました!

お礼日時:2007/03/03 11:28

1です。


凡俗なる愚者にすぎませんが「アドヴァイス」でなく「回答」を示しております。
補足を拝見。
人間に威力を与える力は、人間にあるのみ、
神与の業は人に関わらず、
仏門は人が己を律する行。
なれば、人の心が強くなるためには、仏門の修養は神頼みよりも有効としても、仏の存在と神の存在がはたして比較になるでしょうか?
意味がありません。
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御免なさい。


二百六十六文字の所の 六 が抜けていました。

神も仏も其々の心に有るとも聞いています。
神頼りで自分の行いが出来て居なくては当然駄目ですが、神仏かご先祖様が守ってくれたので命が助かった」と云う経験が何度かあります。

神仏に恥じない行いや生き方をと思っています。
失礼しました。
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いいですよ。

私は神(神社)&仏(お寺)とも般若心経は唱えます。
般若心経には般若心経前経があります。般若心経の前に唱える経です。

その中に「神前にては宝の御経」、「仏前にては花の御経」、まして人の為家のためには……と云う下りがあります。
9人兄弟の中で偶々私の家で母が亡くなり、49日まではと唱え始めて~30年近くに成ります。自宅には神棚も仏壇もありませんが、毎朝唱えています。

以下前経です。ご参考までに。

「般若心経前経」
そもそも般若心経と申し奉る御経は天台経七十巻毘沙経六十巻阿含経華厳経方等般若法華経等一切八万四十巻の内より選び出だされたる御経なり文字の数は二百六十文字にて神前にては宝の御経仏前にては花の御経まして人の為家の爲には祈念祈祷の御経なれば声高々に読み上げれば上は梵天帝釈下は堅牢地神(ちじん)に至るまで感応まします事疑いなし○○謹んで読誦 (どくじゅ) し奉る。……般若心経と続きます…

(○○の所へ自分の家名 先祖代々頓證菩提念じ奉り)と入れます。
お陰で生を受け70余年兄弟内でも一番(笑)家族一同其々に皆大過なく来ています。
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この回答へのお礼

般若心経に前経があるとは知りませんでした

私は毎日神棚を拝んでは仏壇に延命十句観音経と般若心経を唱えていま

す私だけが何か昔の人間のように自分で自分を思います

それも、父方の祖母が私を神参りと仏壇の作法を見てきました

だからだと 思います

参考になりました。良いことは続けて生きたいと思います

70dai001様もいつまでもお元気でいて下さい!!

お礼日時:2007/03/02 17:46

釈迦(仏陀)の十大弟子の一人が舎利子であり、


(舎利子、舎利弗、シャーリプトラ、サーリプッタは同じ者)
般若心経は「是舎利子・・・」という言葉の通り、観自在菩薩が「これ舎利子よ・・・」と呼びかけ、教えを説くというミーティング形式の中の言葉。
結局は出所は同じであり、強いか弱いかという事など意味無い事。
勘違いがあるようだが、仏陀もキリストも神ではない。
どちらも神の使者とか神を代弁する者の記載があるだろう。
神の世界の神の言葉を通訳する人間でありイタコと似たようなもの。
他の宗教を否定し、強い弱いを考える偽者には騙されたくないものだ。
大元は同じなのに、都合よく曲解し・・宗などと詐欺師共のすることだ。
宗教の為に人間があるのではなく、人間の為に宗教がある。
いわば、人間が利用する物の一つに過ぎず、人間が一番強い。
神より仏より嫁さんが一番だ!
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

 詳しいご説明だいたい解ったように思います

 ー人間の為に宗教があるーという事が

 私もその様に思います。

お礼日時:2007/03/01 17:25

神仏を「人智を越えたもの」と考えるなら、人の作った「神仏にすがる心」を神仏が嫌う理由はないと思いますし、まして他の宗教を理解できないなどとは考えられませんので、それほど問題ではないでしょう。


それと、当時の般若心経は他の教典と違い「呪文」などが含まれていなかったとのこと。他の宗教が寛容なのはこの理由ではないでしょうか。

一般的に神は最初から神であり、仏は人間が仏(神)になったものです。
より人間に近い仏のほうが理解もしやすく融通が利く、といったものでしょう。
どちらが強いという比較は出来ないと思います。
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>般若心経を神様にも唱えてもいいと教えてもらいました。



非常識

お経はインドの言葉、日本の神様には理解できないでしょう
日本の神話の時代にはインドなんて概念が有りませんでしたから...。

>神より仏の方が力が強いと聞きました

何の力かな?

根拠なんて言った者勝ち

わたしなんて神様や仏様より強いです...勝ったかな?(笑)。

仏様(仏陀)は普通に死んじゃいましたし、
キリストも人間に殺されましたね
日本の神様も国造りでは最初に失敗しています...(笑)。

お経や聖書はその中に書かれている内容が重要でしょう

般若心経の内容にも共感しますが全ては先人の経験から得た知識の集積で人生の指針とする教えでしょうね

唱えるより中身を理解し、実行することが大切だと思います

しょせん宗教は心の安らぎ

「自分の信じる神の教えに従いましょう」
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