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少年は、やがて大人になるだろう。それが定説です。
大人の論理は少年の論理より優先される、それも定説。(...?)
しかし、少年は少年のまま、前を向いて進むべし、=少年の論理は大人の論理より優先される、つまり変わらなければならないのは大人の方。(怒らないでくださいねえ。)と考えるアツイ大人は、はたしてどれくらいの割合で社会に存在していますか。
注:どちらが正しいかではなく、どちらを支持しますか?(間違っているっていうのは送らないでください。)
補足:少年の論理は大人の論理に優先される:大人は過去に生き、少年は未来に生きる。よって未来に生きる人間が優先されるというもの。

A 回答 (9件)

大人は社会経験が多いので、(社会的に)正しい論理を持っている場合が多くあります。

そういう場合は大人の論理が優先さえるべきです。

その他に、大人が間違っていて少年が正しい場合にも「立場が上だから」という理由で大人の論理が優先させる場合があります。割合はわかりませんが、自分に自信のない大人がこういう場合多いように感じます。少年の論理を聞き自分が間違っている事に気づいたとしても、自分に自信がないので訂正する事ができない。自分の間違えを認めることが出来ない大人です。

優先されるのは正しい論理であって少年でも大人でもないと思います。間違ったことに気が付いたら、きちんとあやまって訂正できる大人になりたいですね。
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この回答へのお礼

そうですね、優先されるのは正しい論理ですよね。立派な大人の方々に期待します。ありがとうございました。

お礼日時:2007/05/13 08:56

#3に書いた者ですが、あることを思い出したので、補足させてください。



過去に少年の論理が優先された事例があったことを思い出したのです。
それは中国の文化大革命です。
無論、実際のところは共産党内の毛引力闘争で黒幕として、毛沢東と余人組みが背景にいるのですが、紅衛兵の参加者はほとんどが10代で、なおかつ毛沢東思想を信奉していましたので、ある大人の論理→大多数の少年の論理になり、権力闘争による後ろだてが、少年の論理を優先(暴走)させる結果となりました。
紅衛兵の暴走ぶりは、ご存知の通りだと思います。

#3にも書きましたが、やはり少年の論理はアツく正しくても、その実現を少年の手にゆだねるのはかなり危険を伴うと思います。
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この回答へのお礼

そうですね。危険性はあると思います。経験不足ですからね。その点は、立派な大人の方々のサポートを期待したいですね。どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/05/13 08:58

少年のままでいた大人、と聞いて真っ先に思いついたのが(あの)尾崎豊でした。

彼は「大人に反発する少年のヒーロー」として一世を風靡しました。
しかし、時代と共に彼と彼のファンとの間には段々と溝が出来てしまいました。ファンは、いつまでも彼には反逆のカリスマであってほしいと願いました。しかし、彼は妻も子供も持ち、心境の変化があったと思います。あくまで私の想像ですが、尾崎は「生まれた子が可愛い」みたいな歌を歌いたかったんだと思います。でも、ファンはそれを許さなかった(thesydさんがおいくつか存じませんが、当時はそんな雰囲気でした)。それが彼のああいう死に方の一因になったのではないかと思います。
尾崎と似たようなスタンスにいた辻仁成は、小説家に転向することで追い込まれずに済んだと思います。そして、尾崎と同じような状況になったのがXJAPANだったような気がします。Hideも、謎めいた死に方をしてしまいましたね。

少年が、少年のままアツい大人でい続けるのはとても難しいと思います。thesydさんも覚えていると思いますが、17歳のときって自分の若さにいつか終わりがくると思っていても、終わりがくること自体がピンとこなかったじゃないですか。
そしてある日、自分の青春はもう終っていたか、あるいはもうわずかしか残っていなことに気付いて愕然としますよね(29歳がひとつのボーダーラインだと思いますが)。

ヘンな話ですが、少年が少年のままでいるためには、働いてはいけないと私は思います。私は中原中也の詩が大好きですが、彼はその生涯で、とうとう働くことをしないまま終りました。

まだ少年の心を持っている人は誰だろうと考えました。三浦カズ。これは確定ですね。彼はまだサッカー少年のままです。そして村田兆治。人生先発完投、いまだ野球少年です。そしてジミー大西画伯。
考えてみたら、スポーツ選手だの芸術家だのと自由業の人たちばかりです。ま、サラリーマンが少年の論理を持っていたら迷惑でかないませんわね。「部長は腐った大人です!」なんていったらとんでもないところに左遷されるでしょうからね。

ちなみに私はあのハンカチ王子が大嫌いです・笑。いや、人気に嫉妬してるんじゃなくて、まだ若いのに、そして一番繊細な年頃なのに、小さくまとまって大人におもねるようなことを言うからです。願わくばああ見えて実は女をとっかえひっかえくらいの荒っぽさが欲しいです。彼は、優秀なサラリーマンか公務員にはなるでしょうが、プロで最多勝は絶対無理です。実はテレビで放送できない発言をするマー君のほうが期待大です。
あっ、ちなみに私も30代。まだもう一回人生を全力疾走してみたいと希望しています。
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この回答へのお礼

どうもありがとうございます。いろいろと参考になりました。自由業の方たちには。少年の論理を持っている人が多いのですね。難しいですが意義のあることだと思いました。これからも少年の論理について考えていきたいと思います。

お礼日時:2007/05/13 08:55

抽象的なことなのでよくわかりませんが、私の感じた辺りを少し。



・「少年らしさ」と「ガキッぽさ」は異質なものです。
ひったくりや暴走族が「少年らしい」行為とは思えませんし、余程のターニングポイントでもない限り長じてまともな大人になる可能性は低いでしょう。このような行為が「少年の論理」と定義しているのであれば、それは即座に却下されてしかるべきです。

・人は自然には「大人」にはならない
毎日のニュースでもおわかりの通り、60歳過ぎてもコソ泥や痴漢で逮捕されるバカが大勢います。とりあえず飯食ってクソし続けていれば医学的には歳を取りますが、頭の中身は「大人」にはなれません。まして「ガキッぽさ」しかない成人も男女問わず昨今増え続けており、非常にゆゆしき問題です。「年上を敬え」ということで年齢だけを理由に居丈高になる成人も見受けられますが、誠に醜い哀れな生き物だなと思います。

・児童、少年は「純真無垢」ではない
子供が純真無垢だと信じている成人がいたとすれば、余程の良家の子女か現実の見えない人です。小学生でも万引きはしますし、先生や両親に向かって反省したふりを芝居することもできます。まだ法律も知らない(当然守ろうとする意識もない)だけに成人以上に尊大で利己的です。最近では親に「エサ(もはや食事ではない)」だけ与えられて育った子供が成人になってきています。

・大人の責任
大人の意見が少年と比較してなぜ優先されるのか?それは道徳性や公共への配慮が期待され、長く生きてきた分の「経験の蓄積」を期待されているからです。上で述べた身体だけ成人の輩の意見などは全く価値がありませんし、「ガキッぽさ」を礼賛・容認する一見「物わかりの良い」成人も非難の対象とされるべきです。これらは「大人の論理」どころか単なる「愚か者の戯言」に過ぎません。

・少年の責任
質問者様のおっしゃるように未来に対する可能性が開けていますし、未来を担う責任と義務もあります。それだけに大人の経験を継承し、そのまた未来の少年へ伝える義務を負っています。加えて各時代の環境の応じて新たな知識・経験を付け足していくことも重要な役割です。
産業も国政もこのような形が健全な発展の形です。

・結論
(1)少年はまず謙虚に知識経験を積むべきです。
(2)「大人の論理」は成人全員が持っているわけではありません。
  ですから少年は対象を選んで論理を吸収するべきです。
(3)大人は少年の規範となるべく更に奮励努力するべし。

・回答として
「大人の論理」「少年の論理」という区別は以上の理由から多少乱暴・大雑把過ぎると思います。しいて答えるなら「基本的には是々非々で平等に。しかし少年は経験が少ない分謙虚に」といたします。

こんなこと書きましたが、当方は30代ですw

この回答への補足

>(1)少年はまず謙虚に知識経験を積むべきです。

定説を支持されるものと思います。

>「少年らしさ」と「ガキッぽさ」は異質なものです

ここでは、ガキッぽさ、については問題にしていません=少年の論理として定義していない。
ですが、「ガキの論理」があるとすれば、それも興味深いと、個人的には思います。(それはまた別の機会に)

>ひったくりや暴走族が「少年らしい」行為とは思えませんし、余程のターニングポイントでもない限り長じてまともな大人になる可能性は低いでしょう。

どういうデータがあるのか分かりませんが、暴走族でも立派な大人になった人の話はききます。

>人は自然には「大人」にはならない

そうですね、そのとうりだと思いました。

>大人の意見が少年と比較してなぜ優先されるのか?それは道徳性や公共への配慮が期待され、長く生きてきた分の「経験の蓄積」を期待されているからです

それはそのとうりです。

>「ガキッぽさ」を礼賛・容認する一見「物わかりの良い」成人も非難の対象とされるべきです。これらは「大人の論理」どころか単なる「愚か者の戯言」に過ぎません。

そこは、難しいところだと思います。礼賛だけする人もいれば、容認だけする人もいると思います。

>2)「大人の論理」は成人全員が持っているわけではありません。ですから少年は対象を選んで論理を吸収するべきです。

そうですね、そのとうりだと思います。

>「大人の論理」「少年の論理」という区別は以上の理由から多少乱暴・大雑把過ぎると思います

そうでしたか、質問が悪かったかも知れません。皆さんが、どちらが正しいか、どちらが消えるべきか、の返答に走ってしまったようです。(まあ、それは、その人の勝手なのですが、最初にどちらを支持するか、といっています。)
questmanさん、の仰ることは、だいたいそのとおりだ、と理解できます。
個人的には、(今回のいろいろな回答の中で)

「少年の論理は、消滅したりしません。その人物が大人になれば消滅するのかも知れませんが、また新たな少年が生まれてきます。」

と、感じました。

どうもありがとうございました。

補足日時:2007/03/07 19:24
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大人 goo 辞書より


http://dictionary.goo.ne.jp/search.php?MT=%C2%E7 …
十分成長して大人になった人。考え方や態度が一人前であること。
大人の定義は悪い意味ではありませんよね。

大人の論理、少年の論理と二元的に分けてしまうのは難しいですね。
大人の論理と子供の論理(一人前の論理と半人前の論理)
成人の論理と未成年の論理(社会的責任をおう人の論理と保護者の元にいる人の論理)
社会人の論理と学生の論理(働く人の論理と修学してる人の論理)
親の論理と子の論理(養う側と養われる側の論理)
・・・いろんな分け方がありますから。

★少年は確かにいろんな可能性に満ちてますがまだ未熟で、磨かれて大人の論理になるものだと思います。
大人になった時に大人であることを変わらなければいけないと思う大人とか、
少年のままの論理でいれる大人というのは社会では少ないものと思いますよ。
少年は少年の論理しか持たないが、
大人は少年の論理を経て試行錯誤しながら一人前(大人)の論理を持つわけですから。

【初心を忘れないことっていうのは大事ですが、
初心でプレイをしていてはいけないんです。
成長した自分がそこにいて、その気持ちでプレイしなくてはいけない】
野球選手のイチローさんの言葉です。

なかには大人でもおとなげない人もたくさんいますから、
歳を重ねるのは簡単だけど大人になるのは難しいものですね。なんていったりしますが。

誰しも幼年を経て、
少年は否がおうなく青年の論理を持つようになり、
やがて壮年、老年の論理を持つようになります。
歳を重ねるとともに成熟していき、
知識や経験が増え、社会性も学んで行きます。
大人といっても将来を向いて前に進んでいます。
一口に大人と言ってもまた職種や職階、社会的地位、家庭での役割によって
いろんな立場が出てきますから自分の担っている立場の数だけ複数の論理を持つようになります。
また大人でも10歳も違えば
まったく求めるところや考え方が違ってきます。
30にして立ち、40にして惑わず、50にして天命を知る、60にして耳にしたがうです。
そういう意味では一生涯勉強でありますね。


★どちらを支持するといった問いにはどちらもと言う答えになります。
私も少年時なら少年の論理を支持し、大人になった今では大人の論理を支持します。
みんなその時々で自分がもっとも正しいと思う論理を持ち選択し続けているわけですから。

求める答えと違うかもしれませんが、ご参考までに。

この回答への補足

そうですか。あえて今回は二元的に分けさせてください。話がわかりやすいですから。flavas2さんのおっしゃることは、

>少年は、やがて大人になるだろう。

定説になると思います。僕は少年の論理のままでいれる大人を求めていたわけではありません。そういう人は身近にいます。

>少年は少年のまま、前を向いて進むべし

そんな少年の目線で話せる大人(大人の論理に生きていてなおかつ)は、どのぐらいいるだろうか?知りたかったのです。(正しいか悪いかではなく)これは、どうやら少数派になるかも知れません。が、今、最も必要とされる大人でもあると思います。

どちらも支持なされますか。ありがとうございます。

補足日時:2007/03/06 19:19
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論理を知るということでは、差がなくなってきているように見えますが、論理がただの知でなく実感として判る様になるのは時だと思います。

今、大人も子供も論語読みの論語知らずになっていると思います。知ることに終わりはないと思います。

この回答への補足

そうですね、実感としてわかるようになるのは時ですね。

>知ることに終わりはないと思います。

まさに、そのとうりだと思いました。

ありがとうございました。

補足日時:2007/03/06 19:34
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私は少年の論理は、いずれ実現される論理であると思っています。


ですので、私の感覚では「大人の論理」は存在せず、
・現在少年の論理
・過去少年の論理(つまり現在大人)
が対立するのだと思っています。

例えば、日本は軍隊を持つべきかどうかについて、
年配の方はどちらかというと反対の意見が多く、若くなるにしたがって軍隊を持つべきという意見が多くなります。
これは、年配の方が少年の頃に見た現実、戦争の悲惨さが、今での「過去少年の論理」として残っていて、若くなるにしたがって日本を取り巻く地政学的な脅威を、自分の論理に取り入れて、自分の論理を形成しているのだと思います。

ですので、日本は老齢の「過去少年の論理」をもつ方々がいなくなったあと、もう少し若い「過去少年の論理」をもつ方々によって、軍隊を持つ方向になるかもしれません。

という意味で、「過去少年の論理」=「大人の論理」とした場合、「大人の論理」と「少年の論理」はどちらも正しく、且つ優先するべきであると考えます。
少年の論理は、ひとりよがりで現実を見ていないことも多いですから、大いに大人の論理をぶつけて、ブラッシュアップしてあげることが大切なのだと思います。
そうすることによって、少年の論理がいつか大人の論理になり、現実社会の問題を克服していくのだと考えています。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>少年の論理は、ひとりよがりで現実を見ていないことも多いですから、大いに大人の論理をぶつけて、ブラッシュアップしてあげることが大切なのだと思います。そうすることによって、少年の論理がいつか大人の論理になり、現実社会の問題を克服していくのだと考えています。

そうですね、そういう事が大切ですよね。

お礼日時:2007/03/06 19:55

難しい質問ですね。


大人の論理には少年の論理にない優位な点があります。
それは年齢です。
年齢差は経験という有利な判断材料を提供します。また親と子、教師と生徒のように論証がなくても、地位的に少年の論理をねじ伏せることもできます。

しかし少年の立場からすると、ねじ伏せられることはもとより、大人の経験という未知のものを論拠として押し付けられているので、反抗したくなるでしょう。
ただ、少年側の論理では今ある自己実力分析は怪しく、また「やってみなくてはわからない」が主張の前提になっていることが多いのも否めません。(「やってみなくてはわからない」は、ある意味正論だがそれを言ったら論理でなくなる)

確かに少年は未来に生きるものです。
しかし大人たちもまた昔は少年でした。
その大人たちは少年時代、大人たちと論理を戦わせてここまで成長してきたのです。(論理を戦わせたからこそ正しい道が選べる)
故に今の大人たちは、自分たちの経験を基にして、少年たちを正しき道へ導くためのアドバイスをしなくてはいけないのです。

少年の論理は黙っていても自分の中に生まれてきます。
しかし大人の論理は経験と共に、その少年を愛する気持ちがなければ生まれないものです。
その点では大人の論理の方が尊いのではないのでしょうか。
過去が、今がなければ未来もありませんしね。
(変わらないといけない大人がいることも確かですけどね。)
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

>故に今の大人たちは、自分たちの経験を基にして、少年たちを正しき道へ導くためのアドバイスをしなくてはいけないのです。

まったくそのとうりだと思います。

どちらが尊いか、正しいか、を質問したのではなかったのですが、勉強になります。

>少年は少年のまま、前を向いて進むべし

このような少数意見、どう思われますか。

お礼日時:2007/03/06 19:49

わたしは40代の男性、家族持ちです。


わたしは少年の論理が優先される派です。
ただ、この場合の、大人、少年の区別は、物理的、制度的な制約を超えるものと考えます。
要するに、40代であろうと60代であろうと、未来に向かって生きている人は少年の論理を持つ、すなわち少年とします。
また、15.6歳でも、未来に夢も希望も持たず、後ろ向きに生きている人は、大人の論理と言うことになります。

この回答への補足

いつまでも夢や、希望を持っていらっしゃるかたは素敵ですね。
>また、15.6歳でも、未来に夢も希望も持たず、後ろ向きに生きている人は、大人の論理と言うことになります。
そうかあ、そうですよね。

補足日時:2007/03/05 23:47
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