チンギスハーンが源義経だとする仮説について
チンギスハーンが源義経だとする仮説(俗説程度に過ぎませんが)は
義経が頼朝から逃亡するときに北海道へ逃げて
アイヌ民族の助けを借りて(頼朝は征夷大将軍でアイヌ民族を攻めていたので)モンゴルへ逃げて
モンゴルで将軍になって死後に子孫のフビライハーンが仇討ちで頼朝が作った鎌倉幕府を滅ぼそうとして元寇を仕掛けたってことですか?
弁慶伝説の脚本のために、10数日に渡って、現代語訳ですが、さまざまな資料、史料を読みました。
義経北行伝説について、思ったことを述べます。
義経終焉の地、平泉には、弁慶の墓はあっても、義経の墓は、ないようです。
平泉では、英雄の死を惜しんだことが伺えます。
もっともらしい、ルートもありました。(ひとつでは、ありません)
弁慶岬という地名も、弁慶にまつわる、自然物(岩など)、アイヌの話にも登場します。
さて、家康は、用心深かったため、天下を治めることに成功しますが、頼朝は、無理もないのですが、猜疑心が強かったため、結局は、開いた幕府を窮地に追い込むような形になります。
義経も、これもまた、無理は、ないのですが、幼稚で、負けず嫌いのところがあります。
人々が結託して作り上げた伝説で、ヒーローに何をさせてあげたかったのかを考えると、志半ばで、半分血のつながった兄に殺されることを回避して、この人物に煩いを除かせた上で、国盗り、国作りを存分にさせてあげたかったのだろうと、思います。
チンギス・ハン一代で、北行伝説は、完結だと思います。
フビライハンですが、遠いみちのくでは、脅威に思わなかったのか、祖父の故郷を訪ねてきたという、友好的な人物になっている伝説もあります。
何百とある羅漢の中のひとつがフビライだそうです。
伝説としては、質問者さんの書かれたとおりです(モンゴルで将軍になったのではなく皇帝(ハーン)になったのですが)。
私としては、義経が北海道へ逃げた、というのはもしかしたらあったかなとも思いますが、当時は言葉の通じない外国(アイヌ語)だった広大な北海道から、なぜさらに遠く大陸へ渡らなければいけなかったのか、というあたりが、論拠としては弱いかな、と思います。
他の人も書かれているように、チンギスは大男で義経は小男だったこと、義経は漢字の読み書きができたのに、チンギスは文盲で、漢字よりはよほど簡単なウイグル文字の習得でさえ、臣下には勧めたものの、自分はまったく興味を示さなかったこと、執拗に中国ばかり敵視攻撃して、その生涯において日本の「にの字」も登場しないこと、などから、やはり可能性はないかなと思います。
チンギスは赤毛だった、という記録もあるらしく、これが本当ならば、ますます義経伝説は遠いものになってしまいますね。
モンゴル人に聞いたのですが、面白いことに、韓国には「チンギスハーンは朝鮮民族だった」中国には「チンギスハーンは漢民族だった」という伝説があるそうです。
また、それ以外の周辺民族にもいくつか似たような話があるらしいです。
結局、義経伝説も数ある伝説のひとつに過ぎないようですね。
それだけチンギスハーンが人気があるということで、モンゴル人たちは喜んでいますけどね。
大正時代に小谷部全一郎という学者が『成吉思汗ハ源義経也』という著書を出版したそうです。
私はこの本を読んでいないので単なる想像ですが、発想の元は「チンギス」のスペルが "Genghis" で「源氏」と読めることではないでしょうか。その他、チンギス・ハーンの紋章が桔梗で源氏と共通であるとか、いろいろこじつけはあるようです。
ただ、この説の根底には、「モンゴル民族からチンギス・ハーンのような軍事上の天才が出る筈がない。源義経の生まれ変わりでもなければ、あんな征服はできない」、という差別意識があったと思っています。
また、源義経生存説は、東北地方→北海道→満洲と日本の勢力範囲が拡大するにつれて活躍地域が北上して行く現象があったことは、誰かが指摘していたと思います。
大筋そうです。
興味があれば、入門書として高木彬光氏の「成吉思汗の秘密」(AMAZONで入手可能らしい)の一読もいいかもしれません。最後は清国もモンゴル帝国の末裔だ、などという論証まで出てきます。
ちょっと「どうかな、それ?」と思うところも多々ありますが、昭和40年頃までの議論や意見をおおぐくりにまとめてあって、それなりにおもしろいです。
もしそうだとすると蒙古の戦法が日本の社会形態を無視していたことと矛盾します
蒙古の戦法は城塞都市を落とすときのもので城内には要人しか居ない日本の城攻めには適しません
城を落としても支配される住民は城内には居ないのです
さらに騎馬戦には強いが白兵戦には弱かった蒙古軍を率いて日本に攻め入ったことも理解できません
日本の地形は凹凸や泥濘が多く騎馬戦には不適です
騎馬戦は平坦な原野でなければ不利です
義経は戦術家だったそうですからあのような戦法は採らなかったと思います
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