天使と悪魔選手権

今まで白黒テレビ時代について質問をしましたが、今度はカラー化以降の時代にも対象を広げたいと思って、質問をしました。

テレビ放送が始まって50年余り。スタートしたときは白黒放送で、しかも本体がかなり高価だったために「街頭テレビ」も街のいたるところに設置されました。
その後各家庭にテレビが広まりましたが、普及率が十分でなかった頃はテレビのある家には近所中から客がやってきて、大勢で見るのが普通でした。
その後、カラー放送・音声多重放送・文字放送・衛星放送などが開始され、近年ではデジタル放送も開始されました。

番組のほうも、今は多チャンネル化や娯楽の拡大によって見る番組もかなり分散しましたが、昔はチャンネル数もテレビ以外の娯楽も少なかったので、今以上の視聴率をはじき出す番組はざらでした。
それに、最初期は昼間と夕方ぐらいしか放送がなかったのが、今では終夜放送も珍しくありません。

いろいろ変わってきたテレビですが、皆さんのテレビに関する「思い出」には、どんなものがありますか?
テレビ本体のこと、番組のこと、放送・録画のこと…何でもいいですので、聞かせてください。

A 回答 (5件)

我が家にカラーテレビがやってきた時のこと、覚えています。


おっしゃる通り1970年でした。大阪万博の年です。
近所では早い方でしたよ。
その頃「魔法つかいサリー」が女の子の人気番組で、友達から「サリーちゃんのベルトって何色?」って聞かれて「茶色だよ」って答えたの覚えてます。
だからカラーテレビと言われて真っ先に思い出すのがサリーちゃんです。
子供にとってはやはりアニメ番組が楽しみでした。
カルピス劇場(のちにハウス食品に提供が変わりましたが)の枠は「ムーミン」から欠かさず見てました。
その後「家なき子」が初の立体アニメーションとやらでもてはやされたのも覚えています。
友達が「将来はアニメーターになりたいの」って言うので「アニメーター?なんじゃそりゃ?」って思ったものです。
カラーテレビの普及と共にアニメ文化が発達したのではないでしょうか。
それと「サザエさん」のエンディングが流れるとブルーになる、って経験はあの時代の人の実感だと思います。
(ああ、日曜日が終わって明日から一週間が始まる…ってやつですね)
報道でよく覚えているのは「浅間山荘事件」。
テレビをつければ連日報道されていたし、鉄の玉を打ち付けるあの場面はよく覚えています。
後に林間学校で近くを訪れた時にバスガイドさんが「この先が浅間山荘です」って言ったのも覚えています。

今はすっかり昭和は古きよき時代になってしまったのですね。
今、我が家ではテレビはさほど見られていません。
朝、テレビをつける習慣がないし、食事中は消します。
子供達も決まった見たい番組しか見ません。学校でテレビの話題で持ちきりになるような事もないようです。
私も録画してまで見たい番組はほとんどありません。
娯楽も情報も飽和状態で、有り難みがありませんね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

>カラーテレビと言われて真っ先に思い出すのがサリーちゃんです。
懐かしいですね。当方はリメークバージョンの世代ですが、昔のバージョンもビデオで見た記憶があります。

>録画してまで見たい番組はほとんどありません。
同感です。どのジャンルの番組も、昔のほうが面白かったです。

お礼日時:2007/05/15 23:31

こんにちは。


私のテレビの思い出ですが・・・、

18歳(1990年ごろ)まで青森県にいたのですが、
当時は青森にはフジテレビのキー局がなかったため、
フジ系の番組はほとんどリアルタイムで見ることができませんでした。

その後、大学進学で上京したとき、「笑っていいとも」や「夜のヒット
スタジオ」とかをリアルタイムで見たとき、とても感動したことを
覚えてます。上京したばかりのころは、あまりのチャンネル数の多さに
一日中テレビを見ていたような気がします。

いまでは、青森でも「笑っていいとも」が昼に見ることができるように
なったようですね。

ちょっと、くだらない投稿ですみません。
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この回答へのお礼

ありがとうございました。

昔は、こういうこともありましたね。

お礼日時:2007/05/30 20:22

こんにちは。



ここ5-10年については、テレビが家に無かった期間もあるので
詳しくはわからないのですが、自分がテレビ番組で印象に
残っているのは、1980年代後半から1990年前半にかけて、
自分が子供のころに見た番組のいくつかです。

詳しい番組名は、覚えていませんが、
怪奇現象を紹介する番組や、夏の昼間に放送していた
ドラマ仕立ての不可解な現象の紹介VTRや、失踪者の霊視、
心霊写真を検証したり、髪の毛が伸びる人形や宇宙人解剖、
オーパーツやミステリーサークル、自己催眠・舟や飛行機の消失・
UFOや外国の猟奇連続殺人や時空ミステリーなど・・・・・

日常生活では、味わえない奇妙な現象や、事例を
テレビは、あたかも身近なことのように魅せてくれました。

大人になった今観たら、どんなふうに思うのかわかりませんが
当時は、そういった番組が好きでよく観ていました。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

面白い体験ですね。今では味わえないことも、その頃はいろいろあリましたね。

お礼日時:2007/05/15 23:36

実家が電気店だったのでカラーテレビを手に入れたのはかなり早かったようです。


はじめて見たとき、特にアニメは目が痛かったのを覚えています。すぐには慣れませんでした。

カラー化が進んだ後も、教育テレビにはかなり遅くまで白黒番組が残っていました。今はありませんが、農業や工業技術系の番組、そしてなぜが語学番組のうちロシア語・中国語・スペイン語・英語上級が白黒でした。

教育番組は今ではエンターテインメント性がありますが(個人的には不要と思う)、白黒番組は全くそれを排していました。

当時の番組で印象に残っているのは、農業技術の番組で家畜の去勢手術の様子をやっていたときのこと、ゲストの専門家、たぶん酪農家、がVTRを見て「これは馬の『金』を取っているところです」としつこく繰り返していました。今なら編集や撮り直しをしそうですが、当時はおおらかだったようです。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。

教育系は今と違っていたのですね。
白黒放送も、今は昔ですね。

お礼日時:2007/05/15 23:38

こんにちは。

一言コメントさせていただきます。
我が家にカラーテレビがやってきたのは、確か昭和42年頃だったかなと記憶しています。その頃はカラー放送の番組だと新聞のテレビ欄の番組タイトル横に「カラー」って書いてあったり、カラー番組だと画面隅にもやはり「カラー」と出ていたりしましたよね(笑。
カラーテレビが家に着いたのは日曜日で、一番最初に観たのは「ウルトラマン」でしたが、怪獣や科学特捜隊やウルトラマンが色鮮やかに再現されたときには「うぁ~すげぇ」と強烈に感動したことを覚えています。それから次々に観た子供番組でも「みんなこんな色をしていたのかぁ」って、観る番組全てが子供心には本当に驚異の世界でした。今になると逆にCATV等で観る白黒番組の方が目に優しくてかえって心和んだりしますが・・・(笑。要は普段観てないものは新鮮てことでしょうかね。40代後半のおじさんでした・・・
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この回答へのお礼

早速の回答、ありがとうございました。

1967年頃にはもうカラーテレビを購入されたのですね。その頃はカラーテレビの価格もまだ高価で(今だと60インチ台の薄型テレビが買えるぐらい?)、白黒の世帯も相当ありましたね。
カラーテレビの本格普及は1970年代前半だったそうです。

画面隅の「カラー」のマークも、今では思い出ですね。今逆にモノクロ番組に「モノクロ」のマークを出したら面白いかな(^_^;)

お礼日時:2007/05/14 23:16

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