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戦国期でもたびたび登場する土木技術集団「穴吹衆」について教えてください。
また穴吹というと現在工務店で有名ですが、子孫の方が経営者なのでしょうか?

A 回答 (4件)

1:サラリーマン社会の弊害


現代に生きている私たちには、「仕事」をするために職場に行くという感覚がありますが、時代をさかのぼれば、さかのぼるほど、現代的な職業観でモノを見ると誤解してしまいます。
士農分離されていなかったように、職人も武士と分離されていませんでした。軍事行動が直接戦闘のみで終始するわけではないので、必要とあらば職人も戦場に加わっています。有名処では、武田家や今川家の金山衆などは、攻城戦で水の手を切るといった作戦に従事しています。

2:仮想的全国組織
中世的な職能観では天皇家など中央権力と観念的に結びついていました「職(しき)」意識あるいは「座」というヤツです。実態として全国組織が無くても「○○皇子の子孫、家来の子孫」という意識の上では全国組織はありました。

3:穴太衆の特殊性
そもそも、石垣を詰むというのは、京都近辺の巨大寺院で生まれた技術。さらに、信長がその技術を採用し、全国政権になるにつれて、職豊系築城術として全国に拡がりました。この構造は、中井家も同様です。中井家はもともとは奈良の神社仏閣の建築に携わっていましたが、いつの間にか、天下普請の大工の棟梁となっていました。
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この回答へのお礼

丁寧な回答ありがとうございます。<必要とあらば職人も戦場に加わっています>いわゆる水の手を絶つと言うやつですね。地下から城内にもぐりこむ、のもそうなんですか?
職・座を意識していたのですね。現代社会のいわゆる職とは違う観念が存在していたことは、改めて意識する必要があります。勉強になりました。
中井家のことは有名になってからしか知りませんでした。寺院建築の技術者集団だったのですね。ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/10 21:41

穴太衆は近江の石垣積みの集団ですが、同じような集団が全国各地にいたようです。

穴太衆のほかには、越前衆、尾張衆、長袖衆などがあるようです。
また、大名は競ってそのような石積集団を雇い城郭の石垣を造りましたので、全国に散らばっていると思われます。
なお、城造りのうまい大名には藤堂高虎、丹羽長重、加藤清正などがいます。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。同じような集団がいたのですね。でも中でも穴太衆が有名なのはさらに独自の技術があったのでしょうか?
藤堂高虎はあちこちに城を造っていますね。伊賀上野城に訪れたことがありますが、石垣が美しかったのを覚えています。あの石垣も穴太衆の
手によるものなのでしょうか。加藤清正の隈本城の壁の逸話は本当のことなのでしょうか(非常時に食べられる?)。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/06/10 21:31

石垣積の専門家集団「穴太衆」ならば聞いたことがありますが、穴吹衆ですか。


わかりません。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。
そうですね。あのう衆を聞き間違いしたのかも。
改めて穴太衆についてお尋ねします。
1・彼らの主な活躍した国というものがあったのでしょうか?それとも全国組織だったのでしょうか?
2・合戦には参加せず、純粋に土木だけで加わっていたのでしょうか?

勘違いからした質問でしたのでお礼を使っての再質問お許しください。

お礼日時:2007/06/10 19:01

穴太衆(あのうしゅう)とは違うのでしょうか?


穴太衆は朝鮮系渡来人の血筋のようです。

穴吹ともいうのでしょうか・・・?
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この回答へのお礼

回答ありがとうございました。私の勘違いです。穴太衆のことです。
渡来人ということは朝鮮の技術なのでしょうか?

お礼日時:2007/06/10 19:03

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