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共産党の志位和夫委員長は7/18、宮本顕治元議長の死去について記者団に問われ、次のように述べました。
「(前略)特に宮本さんは、戦前獄中にあって、12年間、反戦平和の旗を降ろさないで頑張り抜いた。これが戦後の平和につながったと思います。(後略)」

私が思うに、宮本氏が戦前獄中にあったのは、「反戦平和を訴えていたための政治犯、思想犯」としてではなく、昭和8年12月に、当時党財政部長だった小畑達夫氏が死亡したスパイリンチ事件(共産党はスパイ査問事件と呼称しているようですが)の結果「傷害致死」、「治安維持法違反」などで無期懲役に処せられたのではなかったのでしょうか?

もしかして、私の理解が間違っていたのでしょうか?
この機会に、故宮本元議長の当時の罪状を正確に知りたいと思います。
そうでないと、単なる「信念を貫いたヒーロー」になってしまいます。
もっとも、共産党はそういう風に宣伝するでしょうが、正確な事実関係を知りたいと思います。
ご存知の方、よろしくご教示のほどお願いいたします。

A 回答 (4件)

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下記URLに判決文の抜粋(カタカナをひらがなに直したもの)が掲載されています。


http://www.geocities.co.jp/HeartLand-Himawari/97 …
宮本氏の受けた「無期懲役」判決は

治安維持法違反
殺人
同未遂
死体遺棄
不法監禁
銃砲火薬類取締法施行規則違反

の6つの罪によるものであることが分かります。戦前の刑法については知識がありませんが、殺人の法定刑は当時も「死刑、無期または*年以上の有期懲役」でしょうから、上記の6つを総合して「無期懲役」と言う判決が出たのでしょう。

戦後に日本を支配したGHQは、昭和20年10月4日に「政治犯の釈放」等を日本政府に司令しました。網走刑務所に収監されていた宮本囚人は「刑事犯」(治安維持法違反も含む)ですから本来は「政治犯の釈放」の対象となるべきではないのですが、釈放されてしまいました。戦後の混乱の中で、網走警務所長は「政治犯の釈放=共産党員の釈放」と単純に考え、厄介払いのつもりで共産党の大物である宮本囚人を釈放したのでしょうか。いつの世も、役人の考えることは常に「保身」ですから。

宮本氏は、昭和8年に逮捕されて昭和15年まで裁判が始まらない状態で拘留され(宮本氏の病気が理由とか?異常な事態です)、昭和19年に一審判決が出て網走刑務所に収監されたわけです。

事実関係を見れば、宮本氏は
「内ゲバで仲間を殺したとして無期懲役判決を受けた刑事犯」であり、
質問者様が引用される
「(前略)特に宮本さんは、戦前獄中にあって、12年間、反戦平和の旗を降ろさないで頑張り抜いた。これが戦後の平和につながったと思います。(後略)」
はまったく事実に反していると判断できます。宮本氏の行動には「反戦平和」のハの字もありません。

現在、日本共産党の公式見解は
http://www.jcp.or.jp/akahata/aik07/2007-07-19/20 …
「特高警察は日本共産党の名誉を失墜させるため、さまざまな事件を仕立て上げ、デマ宣伝を繰り広げました。これにたいし、宮本氏は、獄中という困難な条件下で、日本共産党の名誉を将来にわたり守り抜くために全力をあげ、法廷では事実を解き明かして、デマ宣伝を打ち破りました。戦時下の暗黒裁判は、宮本氏にたいし、治安維持法違反を主とした無期懲役の判決を下しましたが、戦後、この判決は取り消されました」

でしょうが、公の政党がこのような「ウソ」を堂々と公表する面の皮の厚さには驚きますね。

以下は余談になりますが、共産主義者というのは「革命のためなら何でもやる」のがポリシーのようで、どんなウソも平気です。極端な例が、
「『ソ連軍の大尉』としてソ連軍の朝鮮人部隊に属していた青年が、第二次大戦後にソ連の意思で北朝鮮(ソ連占領)に送り込まれ、『抗日戦争の英雄 金日成将軍』と言う名目で権力を握る。そのタテマエのまま、60年間金日成(本名は別にあるようです)とその息子の金正日が独裁者として権力を振るい、現在に至る」
です。

現在、北朝鮮は核開発についてあらゆるウソと欺瞞を駆使して米国などを手玉にとっていますが、これも同じ発想によるものです。「革命(金一族の権力保全)のためなら何をやっても良い」ということですね。
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査問&死亡を認めている事から問い詰めていた事は事実と考えて良いでしょう


ひょっとしたら小突いたり殴ったりしたかも知れませんね? 有り得ない事ではありません
でも死亡原因については解らない訳です 医師の診断が必要ですが当時はどうなっているのか? ウィキには載ってませんね?

当時の事で且つ当局から睨まれていた事からデッチ上げも考えられます デッチ上げは現在でも起こっている事はニュース特集等でご存知と思います
当時なら当たり前かも知れません 当時の共産主義者については誰も疑問には思わない事でしょうから
聞いた話ですが 泥棒にはなっても共産主義者にはなるな! と

昔から自白は最大の証拠とされ 裁判所も認めて来た訳で 警察としては自白の強要は現在以上でしたでしょう
戦後60年になっても中々変われないのです ですから冤罪事件が何時まで経っても無くならないのです

ですから真実は 解らない です。
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戦前の日本の司法制度を完全に否定し、


「共産主義者相手には全くでたらめな裁判が行なわれていた。宮本氏に対する裁判も拷問による自白を証拠としたでっち上げ裁判で、真実は不明」
としない限り、かつて浜田幸一氏が国会で発言した「宮本顕治君は殺人者だ」というのは事実として消えません。

なお、「でっち上げ裁判」というのは、共産主義国で広く行なわれた「政治犯製造のための即決裁判」については、正にその通りです。

適当に捕まえた市民に過酷な拷問を加えて自白調書に署名させ、政治犯を仕立てて強制収容所で消耗品の奴隷として使役するのは、ロシア革命後のソ連で始まり、スターリンのソ連で大規模に行なわれました。ほとんどが事実無根の罪で政治犯とされ、収容所に消えたソ連市民は数千万の単位に上ると言われます。これは、「政治犯の摘発」ではなく「奴隷の確保」と「恐怖政治の徹底」が目的でした。なお、政治犯が一人逮捕されると、家族も同時に逮捕されて強制収容所に送られました。これは、反政府の動きに対する強力な抑止力となりました。

同じことが毛沢東の中国や金日成の北朝鮮でも行なわれました。金正日の北朝鮮では、2007年の現在この瞬間にも行なわれている筈です。

奴隷を大量に確保して無償で過酷な労働を課し、他の市民には「少しでも政治に不満を漏らしたら直ちに強制収容所で奴隷にされる。家族も道連れ」という恐怖で政府に逆らう気力をなくさせます。なお、北朝鮮では厳しい連座制が採用され、「政治犯は3代に渡って滅ぼす」という方針が採られているようです。政治犯の子として強制収容所の中で生まれ、一度もまともなものを食べずにあらゆる虐待の中で死んでいく2代目・3代目政治犯も多いと言われます。女性政治犯は、収容所内の王様である看守たちの性的虐待にも晒され、それを受け入れなければすぐに殺されてしまいます。
(参照文献)
北朝鮮絶望収容所 http://www.7andy.jp/books/detail?accd=30675657
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この回答へのお礼

みなさんご回答ありがとうございました。現在共産党が言っていることを100%真に受けるわけには行かないと思いました。この件に関しては、今風に言うと共産党は説明責任を果たしているようには思えませんね。政治犯と刑法犯の違いを、すべて「弾圧を受けたのだ」でひっくるめているように思えます。少なくとも現在の価値観で当時を推し量ってはいけないと思った次第です。みなさん、どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/07/22 20:12

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