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今でもイスラム圏の宗教の扱いは難しいと思いますが、
トルコ革命の時、政教分離や女性解放は、なぜうまくいったのでしょうか?
ムスタファ・ケマルがそれ程カリスマがある人物だったのか、
それともひょっとしてチェカの様な組織でもあったのでしょうか?

A 回答 (2件)

当時のトルコは大国から弱小国になりしかもギリシャ、ロシアなどからの侵略に晒されていました。

  恐らく国家そのものの存立すら危ぶまれる状態だったと思います。
この為ナショナリズムが高揚し、ケマルが外敵に勝利したのでその権威は否が応でも高まる一方でした。

イスラム教の内部はかなり保守、後進性になっていましたしスルタン制の改革は既に限界に達していました。
トルコの当時はまさに過去のしがらみを脱却し改革近代化の好機であったといえましょう。

この好機にケマルのカリスマ性が相乗的に作用してトルコの近代化が急速かつ円滑に進んだと見られます。

チェカは内政的な組織でそのような組織を必要とする段階ではありませんでした。
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なかなか難しい質問ですね。

トルコ史の専門家でないと確たる回答は難しいでしょう。関係する本でも、質問者様のような問題提起は目にしたことがありません。

私の私見ですが、

1. 第一次大戦後に、植民地のほとんどを失ったトルコの主流民族であるトルコ人が、比較的イスラム教の信仰に不熱心だった。

2. 「ムスタファ・ケマルがそれ程カリスマがある人物だったのか」
その通り。世界史上稀に見るカリスマとリーダーシップの持ち主で、軍事的才能に溢れた「トルコのナポレオン」というべき人だったようです。

比重で言えば、(2)が8割、(1)が2割程度でしょうか。

「それともひょっとしてチェカの様な組織でもあったのでしょうか?」
情報機関は当然あった(今もある)でしょうし、クルド人やアルメニア人に対して厳しい政策を取った(現在も取っている)ことは知られていますが「恐怖政治でイスラム勢力の抵抗を排除した」といった事実はないようです。
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