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知り合いの朝鮮人が言っていました。
『奈良のナラは韓国語のNARA(韓国語で“国”)という意味だ。
つまり、百済人が古代日本を植民地支配していた証拠だ。
倭人は百済人の奴隷だった。
韓国の学校教育で習った事実だ。』
と言っていました。


(1)奈良のナラはどういった意味ですか?

(2)百済人という人種は存在したのですか?
うろ覚えですが、昔に読んだ本で「中国の正史に百済には中国人と倭人が住んでいて、支配層は扶余族だった。」と書いていたような。

よろしくお願いします。

A 回答 (11件中1~10件)

奈良という地名は、万葉集など少なくとも1300~400年は遡れますよね。

しかしその時代の朝鮮語(所謂、古代朝鮮語)は「分からない」というのが常識になっています。なぜなら、その当時の発音を記した史料が残っていないからです。
日本では、平仮名がまだ発明されていなかった時代に、本来表語文字である漢字を表音文字として使用するという、ウルトラC(万葉仮名)によって当時の発音を記録しました。幸運にもそれが現代まで残っているので、当時の発音を知ることが出来ます。
しかし、古代朝鮮語という言葉の発音は、残らなかったのかそれとも最初から記録しなかったのかは分かりませんが、現代まで残っていません。韓国の方は決まって「それは秀吉が…」と言いますが、実際のところは??です。
つまり、「なら」という言葉は、その言葉が生まれた時代の言葉で比較しないと意味がないということです。いくら現代の言葉で発音が似ているとしても、それでは後出しじゃんけんに近いもので、正しい比較方法ではありません。
ですので、控えめに言って「分からない」、先述の書き込みを参考にして普通に言うと「違う」というのが正しいかと思います。

韓国の教科書、特に歴史教育の精度はかなり怪しい部分もありますので注意してください。
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この回答へのお礼

万葉仮名を使って「万葉集」を残してくれた日本のご先祖様に感謝ですね。
ナラとは楢。
つまり当時の日本語で「ならされた土地」を意味するものだと理解できました。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/04 20:35

#9です。

ごめんなさい。韓国人の発想の源流が書かれている本はこちらでした。
『「日帝」だけでは歴史は語れない 反日の源流を検証する(1997年 三交社) 』
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この回答へのお礼

再度ありがとうございます。

お礼日時:2007/08/04 20:33

呉善花さんの『「反日・親北」韓国の暴走 「韓流ブ-ム」ではわからない(2005年 小学館)』に、なぜ韓国人がそのようなことを平気でいえるのか、韓国人としての心理が描かれていました。



そう考える根本的なスタート地点が日本人と異なるので、まともに取り合っても平行線かもしれません。
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この回答へのお礼

なぜ韓国人は「反日」なんでしょうか?
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/04 20:32

この手の話、皆さん好きですね~


確かに、奈良のナラは一般に定説と呼ばれていることはありませんが、古代では、中国には通訳を連れて行ったという記録はありますが、朝鮮半島には通訳を連れて行ってという記録は皆無です。つまり、当時の日本人?にとって、中国語は異国語であったけれども、朝鮮半島の人たちとは通訳を介さずに会話が出来たということでしょう。
それは、大和言葉と朝鮮半島の古代語との共通点を示すのか、交流が深いために、半島の言葉に精通する人間が多かったためか、それは推測の域を出ません。
ただ、それだけ親密な関係にあるとすれば、言葉の輸入や輸出はあったはずでしょう。そう考えると奈良が「ウリ・ナラ」の「ナラ」であった可能性がないとは言えません。しかし、こうした議論の中でいつも問題になるのは、古代朝鮮語というものの研究があまりなされていないということです。ハングル文字を使い始めてから半島ではそれまでの文化というものの保存を考えていません。そのため、古文書は金石文以外存在しないのが現状です。さらに、当然のこととして録音はありませんから、当時「国」のことを「ナラ」と発音したかどうかも分かりません。
こうした日本語と現代の韓国語との類似点をあげて、もっともらしい説を唱える似非学者がかなり多くいます。古代韓国語の研究が十分になされてい無いのにあまり意味のないことだと思います。せいぜい、「歴史毒本」程度の読み物としての価値しかない、学研とは無縁の考察でしょう。
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この回答へのお礼

朝鮮半島には通訳を連れて行っていないということは、任那日本府が証明しているように、
朝鮮半島南部は倭人が支配していたとも解釈できますね。
中国の史書にも「朝鮮半島南部は倭人が多く住んでいた。」と書いてありますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/04 20:31

No.2の方も述べられていますが、


奈良の語源は「ならされた土地」が正解だと思います。

ちなみに、地元の地名に「平城山」というのがあります。
JRの駅名にもありますが読みは、「ならやま」です。
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この回答へのお礼

ナラの語源は「ならされた土地」ですか。
「平城山(ならやま)」という地名が証明していますね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/04 20:29

日本人と韓国人が仲が悪いのは日本人の祖先が百済人でその百済人は


新羅人によって朝鮮半島を追われたからだという説を聞いたことがあります。
今の韓国政府or韓国人が韓国人=百済人だと思っているとしたら、
まったくのお笑い話ですよ。百済人がかつて朝鮮半島にも住んでいた民族で
その後、朝鮮半島から駆逐されたのはどうやら史実のようです。ちなみに
百済とは「百の海洋民族」という意味だそうで、中国南東部から日本にかけての
広範囲に分布した海洋民族の総称だという説もあります。

飛鳥時代の後半は朝鮮半島からの難民となった百済人の知識人、技術者を
大和朝廷は大量に登用して国家の発展に尽くしたのです。
ですからその時代に形作られた概念の中には古代朝鮮語がそのまま
日本語になったものも少なくないでしょう。
「奈良」という言葉もその一つだと10年だか20年ぐらい前によくテレビなどで
紹介されていた説ですね。
その可能性もありますが、古代の日本語、朝鮮語、中国語は現代のそれと
かなり発音が違うので現代の韓国語の「ナラ」から言っているとすると
やはり検証が足りないといわざるを得ないでしょう。
ちなみに奈良県天理市に「楢(ナラ)」という村があります。
ここは大和朝廷が発祥したと言われている巻向丘陵の北方で
物部氏が管理した石上神宮の北西方向にあります。この「楢村」の
東側の山の麓にも古代の小さい古墳群があります。
「日本」は生駒山の西側にある日下(くさか)という地が古代は「草香」で
それが大阪湾から見ると日の出の日の下に見えたので「日の下」=
「ひのもと」になり「日本」となったという説があります。
つまり「日本」とは元々一豪族が支配する小国の呼称がそのまま国家全体の
名称に採用されたのだという説でこれは中国の古文書にもそういう記述が
あるのだそうです。それから類推すれば「楢」が「奈良」になった可能性も
なきにしもあらずだと思います。
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この回答へのお礼

奈良県出身の友人の楢崎という人がいます。
体毛が濃くて縄文顔です。
日下についても疑問を持っていましたが、そうゆう理由だったんですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/04 20:27

奈良県になったのは明治以降ですが、奈良という呼称は古くからあるようです。




『あをによし 奈良の都は 咲く花の にほふがごとく 今盛りなり』
こちらは、万葉集に載っている比較的有名な歌らしいです。原文では「寧楽乃京師」(ならのみやこ)となっていますが。
この歌は、728~737年までの間によまれたもののようです。

他にも万葉集に奈良と言う言葉が使われている例があります。
http://www6.airnet.ne.jp/manyo/main/one/m0017.html
によると、667年に額田王が歌ったものにも、奈良という言葉が使われています。

--

さて、「つまり、百済人が古代日本を植民地支配していた証拠だ」ということについて少し考えてみたいとおもいます。

朝鮮半島から人が多くわたってきていたのは、そうだとおもいます。
日本書紀にも、応神天皇のころにに弓月君という人物が朝鮮半島の百済から百二十県の人を率いて帰化したという話が載っています。ひょっとしたら、この話が植民地説につながっているのかもしれないとおもいました。
他にも多くの百済の人が日本へやってきたようです。
朝鮮半島からわたってきた人物が豪族や貴族となったこともあります。秦氏や東漢氏、百済王氏など。また当時の日本にはといって奴隷身分の人々がいました。豪族や貴族がを支配することもあったようです。ですから、朝鮮半島からわたってきた人々ないしその子孫が日本のを所有していたということは考えられます。そういう意味で言えば、日本人が百済の人々の奴隷になったという言い方もできる。

しかし、日本人すべてが百済の人々の奴隷であったわけではありませんし、百済出身の豪族が土地を治めていたからといって、それは「カナダがイギリスの植民地であったのと同じ「ではない」」とおもいます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
奈良というのは一部の地名であって、全体的な国名は大和だということですね。

お礼日時:2007/08/04 20:25

奈良については知りませんが、韓国人からHONDAってHYUNDEIのロゴをぱくっているんだよね、ホンダって信じられないとか面と向かって言われたことがあります。

いったいどういう教育を受けているのかしりませんが、百済の奴隷だったなんていうのはデマもいいところでしょうね。
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この回答へのお礼

かっぱえびせんを盗作していて、韓国ではセウカンというらしいですよ。
韓国人に「日本人は韓国のセウカンをパクっているね。」と言われました。
さすが、パクリの国の韓国ですね。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/08/04 20:23

そもそも語源は難しく確実にこれだといえるような説が決められていないものも多々あります。


奈良はその中でも有名なものです。
理由はhttp://homepage1.nifty.com/forty-sixer/timei.htmのサイトに書いてありますが正直どちらが正しいのかはわかりません。この話を信じるか、韓国の方々の話を信じるかは質問者さん次第です。

ただ個人的には事実がいかなるものでも自分の国の愛国教育を他の国の人間に押しつけるのもどうか、というのもありますがそのあたりはこの場で話すとややこしくなりますし本題から外れますのでしません。

回答になってませんね(苦笑
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この回答へのお礼

ありがとうございます。
昔は“大和”ですよね。
奈良県になったのは、明治以降ですか?
一度の質問しなくてすみません。

お礼日時:2007/07/26 01:45

その話を聞いた事ありますが、歴史学的には嘘らしいですよ。


ナラ(奈良)=ならされた土地
で、反語が
サガ(佐賀)=狭くて巖しい土地
という言葉として古事記にのっているそうです。
ただ、佐賀県は平らで、奈良県は山の中のイメージがありますけど。

古事記だと7世紀ですから、百済は5世紀に滅んでますので、200年程空いている事になりますね。百済人は植民地どころか、国が滅んでから何百年彷徨っているのでしょう?
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この回答へのお礼

国が滅んで200年も経つ百済人に征服される程、当時の日本は弱くないでしょう。
参考にします。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/07/26 01:47

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