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侘び寂びと言う物は、お金がかかる物なのでしょうか?

NHKの番組でみて思ったのですが、茶道に関するお道具は、どれも
お金がかかる代物ばかりです。
もちろん、ピンもあるでしょうが、やはりそれでも結構なお金がかかるのは厳然たる事実でしょう。

そこで茶道でよく言われる侘びや寂びというものは、お金をかけて
醸し出す、あるいは演出するものでその本質は
私には、お金持ちの貧乏人ゴッコのようにおもれるのですが
その考えはどうなんでしょうか?

A 回答 (2件)

茶道の根本として最近よく聞くのは「おもてなしの心」ということです。


客を招いておもてなしをするのに手持ちの最高のお道具を出すのは当然の事に思われます。
 
 今のNHKの番組にしても家元が関係していますので、その関係の最高のお道具で(値段も高いもの)対応されるのも当然かと思います。

 「侘び寂び」の難しいことは私には分かりませんが、お金がない亭主でも客をもてなす心は、お金持ちに変わらず、その「こころ」を愛でるのではないでしょうか。お金持ちが貧乏人の真似をしたり、貧乏人がお金持ちの真似をするのでなく、あるがままに素直に正直にそんな気持ちで客をもてなすことかと考えます。
 またお金をかけてそのことを喜ぶ客もあれば、質素なことを貴ぶ客もいるわけです。客と亭主はそれぞれよく知り合った間柄でしょうから、その「茶事」でそれぞれのこころの中身を見せ合う交流となるのではないでしょうか。これを演出ともいえますが、まごころを汲み取る誠意と考えます。
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この回答へのお礼

ありがとうございます。

成るほど「おもてなし」とうキーワードの心をもってすれば
おのずとお金もそれなりにかかるという事ですね。

100キンで買い集めたもので
おもてなしをするのは、そもそも100円で済まそうとする
心がけがおもてなしの茶道の心に反すると言う事ですね。

つまり、やはり茶道は、お金持ちとまでは言わないが
それなりにお金も含めて余裕がないと成り立たない
作法の世界ですね。

それと、「侘び寂び」とどう結びつくのかが
少し矛盾するとおもうのですが?

お礼日時:2007/08/08 09:07

その昔、美術館や博物館がなかった時代には、


茶会をひらいて道具を披露し、互いの知識や見聞をひろげる、
ということがなされていたようです。

NHKの番組で家元が毎回違う道具を使うのも、ひとつには
家元の茶会に招かれなければ目にすることができない道具を
皆に観てもらおうという意味もあると思います。

侘び寂びの感じ方は人それぞれで一様にこれといえるものではないと思います。
100円ショップで揃えたもので趣を出せない人は、
どんなに高価な道具を使っても、所詮、
「お金持ちの貧乏人ゴッコ」
のようなことしかできないと思います。
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この回答へのお礼

素晴らしい見識に感服しました。

どんなに美しい言葉よりも誠実な行動が大切だと
回答から学びました。

お礼日時:2007/08/08 21:10

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