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No.2
- 回答日時:
「虚像を借りて真実を写し出す」なんて、誰の文学論と言うほどのこともない、凡庸な芸術論だと思うけど。
教科書的なオーソドックスなもので、押さえておく必要はある、みたいな。それがお気に入りなんですか?言葉としては近松門左衛門の「虚実皮膜」などが似てますが、江戸時代だし、意味が異なります。
明治も大正も通り越して、例えば三島由紀夫の『仮面の告白』。主人公の生い立ちは作者の三島に似ている。だから、「仮面の助けを借りて、三島自身の真実を語ったんだね」と理解する人がいる。しかし、それは初歩的な勘違い。真実なんてものは、顔と仮面のわずかな隙間から滑り落ちてしまったのだ。仮面が語る告白は、真実を写し出すことを目指したものではない。
一般論はどうでもいいんですよ。私が好きなんで。
レトロな少女マンガ、竹宮恵子さんの少年愛の作品とか、大島弓子さんの猫の作品を読んでいて、全くのありえない世界に、現実世界への
メッセージが表現されていて感動するんですよね。
そのときこの言葉通りだなあってしみじみ思うのです。
凡庸な芸術論でもいいんですよ。私の感動ですから。
受け売りの文学論や作家論をあたかも自分の意見のように、したり顔で語るつもりもないんで。
No.1
- 回答日時:
二葉亭四迷『小説総論』に、
よって試に其大略を陳(のべ)んに、摸写といえることは実相を仮りて虚相を写し出すということなり。
というのだったらあります。
http://www.aozora.gr.jp/cards/000006/files/1868_ …
ありがとうございました。
自分の中で気に入っていた言葉だったんですが・・・
思い違いだったのかな?
自分なりの小説(芸術)論と融合してしまったのかもしれません
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