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いつも不平不満を言い、人に甘え、少しの困難でも逃げてしまう知人がいます。彼女はそんな自分が嫌で、少しでも変われたらと口癖のように言っていました。そんな彼女に、私は「あなたは何かに全力で取組んだことがあるのか?ないから不平不満ばかり言うのだ」言いました。すると彼女は「全力で取組まないことの、何が悪いのか!?そんなことで責められたくない」と怒りました。彼女にそれを言われた時、確かにそうだなと思うと同時に、やはり何か釈然としませんでした。

そこで質問なのですが、何かに全力で取組んだ後に得られるものって何でしょうか?また、何かに全力で取組んだことがない人は、経験のある人と何が違うのでしょうか。

A 回答 (5件)

月並みな言葉ですけど。


やはり達成感ではないでしょうか。全力で物事に挑むことはその人にとって、経験として体に、記憶に刻まれます。その度合いは、どれだけ真剣に取り組んだかによるのですから。

>何かに全力で取組んだことがない人は、経験のある人と何が違うのでしょうか。

これは全ての物事に対する姿勢だと思います。自信持ってやれる人かオドオドしながらする人かの違いだと。

心の中に1つだけでも芯になるものって、やっぱり実際に体験して得たものしかないと私は思ってます。大なり小なり、ね。
しかし、その友人は何というか子供ですね。考えの相違によるものだと思いますよ。その釈然としないものは。気にしないことですね。
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この回答へのお礼

>心の中に1つだけでも芯になるものって、やっぱり実際に体験して得たものしかないと私は思ってます。

全くその通りだと思います。私も力を出し切ったなーという経験が、数は少ないながらあります。そして今でもその経験はよく思い出します。そのときはとても辛かったですが、その後の達成感がやみつきになってしまい、みんながいやがることにも率先して取組むようになりました。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/10 21:37

全力で取り組んだあとには、いつもの日常が待っています。



でも、全力で取り組んだことは、その人にとって自信となり、経験となり、そして思い出となります。

全力で取り組まなくても、同じように感じることもあるでしょう。
全力で取り組んでも、全力で取り組まなくても不平不満はあるでしょうし、いい加減な生き方の方が不平不満が出ないかもしれません。

人に甘えて困難に立ち向かわないから、不平不満がでるのでしょうか?
立ち向かっても、認められず、空回りなら不平不満がでるでしょう。

不平不満が口癖の彼女は、多分仕事でも、私生活でも満たされていないのでしょう。
そういう彼女に「全力で取り組め」と」いうのは酷かもしれません。
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この回答へのお礼

>不平不満が口癖の彼女は、多分仕事でも、私生活でも満たされていないのでしょう。
う~ん、思わずうなってしまいました。
いい加減に取組む→認められない→不満→さらにいい加減…の悪循環にはまっているように思えました。
仕事に関わらず、あらゆることに対していい加減に取組む人ほど、愚痴やいいわけが多いように思います。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/10 21:48

全力で取組んだ結果がどうであれ(上手くいくに越したことありませんが)、その時の自分の限界を知ることが出来ると思います。


ここまで頑張ったから上手くいった・・・場合はともかく、
ここまで頑張ったけれど力及ばなかった・・・場合でも、もし今度という機会があった時はもっと頑張ってみよう・・・という気持ちにつながるのではないでしょうか??
だからあなたの言うとおり、全力で取組んだから後悔も少なくなると思います。

そして全力で取組んだことが無い人との違いは、自分の限界を知る機会がないので、たとえ力があっても宝の持ち腐れになるかも知れません。
勿体ないですよね…
彼女の言うとおり悪くはないと思いますが、不平不満を言わないで欲しいですよね。
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この回答へのお礼

>そして全力で取組んだことが無い人との違いは、自分の限界を知る機会がないので、たとえ力があっても宝の持ち腐れになるかも知れません。

そうですね。彼女の不平不満の裏には、「自分は本当はやればできる」というメッセージが見え隠れし、聞いていてうんざりしてしまいます。これも自分の限界、能力を知らないということなのでしょうね。
愚痴っぽくなってしまい、ごめんなさい。

ご回答、ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/10 21:44

>何かに全力で取組んだ後に得られるものって何でしょうか?



全力で取り組んだことがある者としてちょっと偉そうにいわせていただきますが、もしあなたが全力で何かに取り組んだことがあるならこんな疑問を持つことはないと思います。なぜなら「自分はかつてこんなことに全力で取り組みこんなものを得た」と自信を持っていうことができるからです。
失礼な物言いになりますが、ご自身がそういった経験を持っておられないから「あなたは全力で取り組んだことがあるのか?」と言っても説得力がなかったのだと思います。彼女は「全力で取り組まないことの何が悪いのか」という言い方をしましたが、本当は「いうほどあなたは全力で取り組んだことがあるのか」という反発だったような気がします。
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この回答へのお礼

数少ない経験ではありますが、全力で取組んだ経験は自信を持ってあるといえます。他人から見れば小さな経験かもしれませんが。
ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/10 21:40

全力で取り組むことで得られるものは


「達成感」と「潔いあきらめ」でしょうか?

全力で取り組んだことのある人は、
自分の限界を知ることができます。

その経験がない人は、自分の可能性を無邪気に
信じることができることができます。
これもポジティブな気持ちを維持するという点においては
ある意味メリットなのかもしれません。
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この回答へのお礼

>「達成感」と「潔いあきらめ」
達成感は何となく実感することができましたが、「潔いあきらめ」は
気づけなかったです。

>その経験がない人は、自分の可能性を無邪気に信じることができることができます。
そうですね、私も最近まで無謀な野心ばかり抱いていたような気がします。

ご回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/09/10 21:28

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