【大喜利】【投稿~9/7】 ロボットの住む世界で流行ってる罰ゲームとは?

江川卓さんの「空白の一日事件」というのを、分かりやすく説明してもらえませんか?
非常に興味はあるのですが、スポーツにはとことん疎いので
ウィキペディア等を読んでもイマイチ理解出来ません(^^;)

困ってはいないのですが、どうかよろしくお願いします。

A 回答 (8件)

交渉期限がドラフトの前々日までとされていたのは、協約を作った当時はまだ交通・通信事情がよくない所も多く、書類や人の行き来の際の遅れを考えての予備日という考えだったようです。

つまり前日までにしておくと、前日に交渉が成立してもその日の内に連盟に報告できない事もあるため、1日あけた、ということでしょう。メールは当然なく、FAXも普及していない時代では仕方のないことだったのだと思います。

ただしそれをずっとそのままにしていたために、実際に「じゃあこの1日はどうすればいいの?」という日が存在し続けてしまっていた事も事実で、良し悪しはともかくそれを突いてみるというのは法律的には当然ある話です。「何も決まっていないのでこう解釈した」というのは脱法・違法とは少々性格が違います。
まあ、機構の方で協約を随時見直し、穴をふさいでおくべきでしたね。

ドラフト自体については職業選択の自由とからんで江川以前から色々と問題点が指摘されてきたものですし、有望選手が他球団のファンに襲われて大けがをして選手生命を絶たれたり、近年でもスカウトが自殺するなど根本的な解決には至っていませんが、江川事件がその論議を球界内の問題から社会問題に発展させた大きなきっかけとなったのは事実でしょう。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

当時の時代背景も考えるべきですね。
何はともあれ、違法行為があったのは事実ですし、
これから巨人や江川さんの見方が変わるかもしれません・・・。
これからゆっくり勉強してみようと思います。

お礼日時:2007/10/18 01:10

Wikipediaの記事は細かいところで正しくない記述があります。


百科事典なのだから、正確さを求めたいところです(世間が誤解しがちなところは特に)。

Wikipediaを読むと、江川卓と小林繁が2月に交換トレードされ、
江川は2ヶ月間の出場禁止処分を受けたように読めますが、
新人選手のシーズン開幕前のトレード禁止という協約の規定に抵触するため
2月のプロ野球実行委員会で江川と小林の交換トレードは認められず、
形の上では「小林は金銭トレードで阪神に移籍」「江川は4月の開幕を待って巨人に移籍」とされました。
この年江川が巨人のキャンプに参加しなかったのもこのためです。

まぁ脱法行為だという批判は甘んじて受けなければならないでしょうが、
空白の一日と呼ばれた発端となる契約は無効になりましたし、
この事件の顛末は決して「協約破り」ではないことだけは誤解のないようにしたいものだと思います。

特に巨人はこの事件で批判されるべき点が多々あるのは間違いないですが、
批判は正しい視点でしないとただの言いがかりになってしまいます。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ウィキペディアは参考程度に利用していましたが、
そういう細かいミスもあるんですね。

>批判は正しい視点でしないとただの言いがかりになってしまいます
これ、すごく感銘を受けました。肝に銘じておきます。

お礼日時:2007/10/18 01:07

「私を野球に連れてって」というサイトに江川事件の顛末が詳しく


描かれています。「空白の一日」は第2回です。
http://www2.plala.or.jp/ippeifuji/p-k2-22.htm
http://www2.plala.or.jp/ippeifuji/p-k2-23.htm
http://www2.plala.or.jp/ippeifuji/p-k2-24.htm

当時目に涙をいっぱい浮かべながら記者会見に臨んだ小林繁氏の姿を
よーく憶えています。一方の江川は興奮する記者たちを前に妙に冷静で
無表情な話ぷりが国民の神経を逆なでしてました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

すごく詳しいサイトですね、これからじっくり読もうと思います。
謝罪もなく「謝罪会見」を開いた亀田兄弟も、
結構な叩かれ方をされていますが、・・・クールすぎるのも考えものですね。

お礼日時:2007/10/18 01:05

昭和30年代だったかな、子供達がみんな好きなもので「巨人、大鵬、卵焼き」という言葉がありました。

昭和50年代にその反語で「ピーマン、江川、北の海」という言葉がありました。子供達がみんな嫌いなものです。確かに、当時の江川氏の嫌われっぷりは亀田兄弟やエリカ様の比じゃありませんでしたね。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ピーマン、北の海と並べられるとは・・・、
よっぽど嫌われていたのでしょうね(^^;)
私は亀田兄弟やエリカ様も嫌いですが、
うーん、当時に行って、生で体感してみたいです。

お礼日時:2007/10/18 01:03

「空白の一日」については、完璧に説明されています。


当時の江川氏は、エリカ様と、亀田大毅選手を合わせた以上に、日本国民から、忌み嫌われていました。
「安倍る」以上に、「エガワる」は、通常使用されました。
何気ない一言も、全て、当時のメディアから、あげ足をとられました。
エリカ様+大毅+、細木のおばちゃん+あの親方+モンゴルのヒール以上のバッシングをはたちを少し過ぎた彼が、ひとりで、矢面に立って、受けていました。
「えんがちょ」から、一流解説者への転身は、見事でした。
日本国民は、彼を許したと、感じました。
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今も江川さんには「あまりいい人ではない」というイメージがありますが、
当時のバッシングとは相当な物だったんでしょう。

「エガワる」ですね、今度使ってみようと思います(笑)。

お礼日時:2007/10/18 01:00

「翌年のドラフト会議の前々日までに、指名権を得た球団は指名選手との契約を交わす事」と当時規定がありました。

そこで巨人軍は指名権を得る事が出来なかった江川選手をどうしても入団させるため、苦肉の策で規定内容の前々日という文章に目を着け、指名権を得ていた当時のクラウンライターズと未契約のままだった江川選手と翌年のドラフト会議の前日に契約したと発表しました。これが空白の1日です。事件は、これに他球団・世論から抗議が殺到し、巨人軍はドラフト会議をボイコット、後にこの契約は無効との判断が下された為、指名権を得た阪神タイガースとの間でトレードという形で小林繁投手を放出し解決しました。
ちなみにその年巨人軍は小林選手からなかなか勝てず、小林選手は22勝をあげ沢村賞を受賞してます。江川・小林 直接対決第1戦は江川に軍配が上がりました。以来、江川選手と小林選手は互いに接する事がないままでしたが、CMで共演し互いの気持ちを話したようです。 
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

ムリヤリ感は否めませんが、
巨人軍は少しだけ頭が良かったと言っていいんでしょうか?
これでは何の為のドラフト会議なのか・・・。

お礼日時:2007/10/18 00:59

こういうずるが通用したのは当時のプロ野球が巨人人気に「おんぶに抱っこ」状態だったからです。

阪神など10年か20年に1回優勝のペースでも「巨人阪神戦」の売り上げで潤っていた(他の弱小セ球団も同じこと考えていた)

ルール守らせる立場の人(リーグやコミッショナー)も巨人の味方で、現在にたとえればやりたい放題の軍事国家アメリカに忠告する国がないみたいなものです。
    • good
    • 1
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

今はともかく、昔は巨人大人気でしたからね。
微かながらに覚えています。
人気球団の因果・・・とでも言いましょうか、
人気がある=社会の信頼もあると言うのは、
あながち間違ってないのではないかと思います。

お礼日時:2007/10/18 00:53

怪物江川を獲得するため、球界の盟主の巨人が規約の穴を強引に突いた大事件です。

江川にはこれでダーディーなイメージが付きました。
なお、最近お酒のCMで江川-小林が共演し話題です。


http://www.tora-life.net/memories/memories4_19.h …
    • good
    • 0
この回答へのお礼

回答ありがとうございます。

規約の穴を、巨人が突いた・・・と言った感じでしょうか。
私はてっきり、江川さんが巨人入団を熱望するあまりに
江川さんの方から働きかけたと思っていたので、勉強になりました。

お礼日時:2007/10/18 00:47

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!