アプリ版:「スタンプのみでお礼する」機能のリリースについて

昭和37年くらいに橋幸夫の江梨子という歌がヒットしてそれが映画にもなりました。タイトルは江梨子でその江梨子を演じていた三条摩子のちに改名し三条江梨子となりました。その後も橋幸夫の相手役として南海の美少年などに出ていましたが
その後の消息は分かりません。芸能レポーターの方で消息ご存知の方教えてください

A 回答 (1件)

こんにちは。


 芸能レポーターなんていうお誂え向きの職種の人がここにいるかどうかはともかく、手元の「日本映画俳優全集・女優編」(キネマ旬報社、1980初版。その後改訂版が出されている筈ですが、お尋ねの項は編集部が原稿を作成していることから、追記はほとんど無いものと考えられます。詳細はまた後で)の記事を簡略に紹介しておきます。

 1943年2月生まれ、本名○○□子(何故か既に公表されているものでも、ここでは記すことは禁じられていますので、御諒解願います。でも、森鴎外=森林太郎みたいな場合ならいいらしいですけど)。都立△高校2年の時に或るミスコンテストに当選し、中退して新東宝に入社。売り出し方に凝って、色々と手を尽くし、話題となったところで三条摩子の芸名でデヴュー。
 ・・・長くなるので間を大幅に省略して、62年「江梨子」がヒットし、清純派として三条江梨子に改める。橋幸夫とは続いて「悲恋の若武者」、「あした逢う人」で相手役をつとめる。これも同年「花の19よいつまでも」で歌手デヴュー。浜田光夫とデュエットした「草笛を吹こうよ」がヒットして、64年に歌手に転向。
 67年大映レコードに移籍したことから、再度映画に出演、終わり頃は歌手活動に中心を置きつつ、71年の大映倒産と同時に芸能界から引退。その後は、赤坂のナイトクラブのママをつとめつつ、歌手として復帰したこともある。

 以上です。この事典で原稿を編集部が担当するのは、本人からの直接の回答が無かった場合、本人と特に親しいか密接な関わりの有った映画関連の著作者や記者がいない場合、以上のような時です。こちらでは前者の方が主な理由のようで、そのためか連絡先等は一切掲載されていません(個人宅の住所や電話番号が載っていることも数多くある)。
 多分これが編纂された時点ではまだ彼女はそのナイトクラブで仕事を続けていたのだろうとも想えますが、その後の消息は本人を知っている人でもない限りは判らない可能性が高いでしょう。google検索でもそれに関する情報は全く得られません。また判ったとしても、これ以上をここで記すとプライヴァシー問題で削除されてしまいます。
 尚、質問文中の「南海の美少年」は該当の作品そのものが存在せず、これは別のものの記憶違いかと思います。映画の検索は↓でどうぞ。

 最後に、本名の名字は珍しいとは言えませんが、それほど多いものではありません。手当たり次第に電話帳を引っくり返すという手段が使えなくもないでしょう。

参考URL:http://www.walkerplus.com/movie/kinejun/
    • good
    • 0
この回答へのお礼

たいへん詳しく書いて頂きありがとうございました。あのころのファンだったもので気になっておりました

お礼日時:2002/09/01 19:41

お探しのQ&Aが見つからない時は、教えて!gooで質問しましょう!