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以前縁あってお世話になった埼玉県さいたま市の「守光院」というお寺は以下のようなご由緒だそうですが
『当時の開基は冶承四年(1180年)源頼朝が伊豆に挙兵したとき、その軍勢を集めるため当地木崎庄太田窪に要害を構えた佐々木三郎守綱です。佐々木三郎守綱は宇治川合戦のとき先陣争いで有名な佐々木四郎高綱の兄に当たります。
守綱は当地に留まること五ヶ月、引揚げるに当たり小堂宇を建立し、持仏の薬師瑠璃光如来と家臣の阿弥陀如来を安置し、寺号を護国山守綱院と号しました。』
http://syukouin.com/
ここにある「佐々木守綱」とは「佐々木盛綱」↓のことと考えて良いでしょうか。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BD%90%E3%80%85% …
「高綱の兄」となっていることからもそうであろうとは思うのですが、そうしますとこのお寺ではそのようなご由緒にも拘らず諱の文字が間違って伝わっているのでしょうか。
時が経つ間に読みが同じ文字を取り違えるというようなことは十分起こり得るとは思うのですが、ご由緒の通りですと間違ってしまうのは不自然なようにも思います。
ご由緒自体が「伝承」に過ぎないということでしょうか。
「国史大事典」の「佐々木盛綱」の項なども調べてみたのですが、「相模」や「上野」にいたような記述はあっても「武蔵」云々はありませんでしたので、はっきりしたことはわからないような印象も受けます。
また、ご由緒にあるように生前にその人物の諱がお寺の名に冠されるようなことはよくあることでしょうか。
あまり聞いたことがないので、例えば当初は「薬師堂」などと呼ばれていたものが、後の世に建立の経緯からそのような名前に変えられたと考えたほうが自然なように思うのですが如何でしょうか。
推測でも構いませんのでご意見お聞かせ頂ければ幸いです。
宜しくお願い致します。

A 回答 (2件)

 こんにちは。

これは難しくてわかりません。
 地方に残っている人名、地名は間違って後世に伝わることが多いですね。今のように全国ネットはありません。地方で無責任に書いたやつを写し間違えて、それが残ってしまうということが、結構多いようです。地名の方がヒドイかな。
 日本名刹辞典で「守光」と「守綱」をキーにして探しましたら、「守光」については1件もなく、「渡辺山守綱寺」というのが愛知県に3軒もありました。渡辺綱の後裔といわれている徳川16将の一人、渡辺守綱の孫が建立したもので、三つとも本物のようです。
 しかし、このように個人名をまともに山号寺号にしているケースはすくないですね。

守光院について
>当初は「薬師堂」などと呼ばれていたものが、後の世に建立の経緯からそのような名前に変えられたと考えたほうが自然なように思う・・・

 私もそのように思います。

>ご由緒自体が「伝承」に過ぎないということでしょうか。

・・・そうでしょうね。下のさいたま市の文化財の紹介でも「伝佐々木守綱(盛綱)守本尊」となっています。「伝」です。 

【さいたま市/文化財紹介】 銅造阿弥陀如来立像どうぞうあみだにょらいりゅうぞう ・南区太田窪5-11-9 守光院. 鎌倉時代。伝佐々木守綱(盛綱)守本尊。銅造。像高47.9cm。善光寺式中尊。 ■関連文献・浦和市文化財調査報告 第2集・浦和の文化財. この文化財は常時公開されていませんので、 ...

 日本人名大辞典で佐々木盛綱を調べたら、「頼朝薨去後出家して面念と号した。かつての越後の領地、加冶荘に伽藍を建立したことがある。」と出ていました。守光院や武蔵地方については出ていません。
 しかし、武蔵地方での事跡の史料が残っていなくても、実際にあったことかも知れません。まあ、お寺を建てそうな人ではあるようです。

 江戸時代に入ってからは、そこそこハッキリしていると思いますが、それ以前のことはよくわからんのじゃないでしょうか。
 「守綱イコール盛綱」には違いないと思います。しかし、佐々木盛綱が開基であると100%証明するものはないのだろうと思います。ということで、そういう言い伝えが残っていて、本当らしいですよ、ということにしておきます。
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この回答へのお礼

いつもありがとうございます。
やはりそうですよね・・時や場所が生前の当人から離れてしまうと諱の文字が間違ってしまうことも大いにあるのだとは思うのですが、ご由緒をそのまま受け取りますと盛綱の生前に、それも彼によって建てられたお寺が諱の文字を取り違えてしまうだろうかと考えた次第です。
しかし「守光院」という名が後の時代につけられたものだとしたら、それも納得出来ますよね。
「佐々木盛綱」を色々調べても「守綱とも」などとはどこにも書かれていませんし、非常にローカルな伝承といった感じのように思えます。
折角彼を記念した(?)名をつけたのに字が間違ってしまっているのもどんなものだろうなどと思ってしまいますが、昔の人は今考えるよりずっと鷹揚だったということでしょうか、「それよりも気持ちが大事」と。
しかも後に家光に「光」の一字をもらったとかで「守光」にしてしまっていますから、考えてみると「盛綱」の跡形もないようなことになってしまっていますよね。
まあそのくらいのことだったということなのかもしれません。

それにしても「渡辺山守綱寺」とは・・そのまま丸々名前がついているんですねえ。
そういえば以前名古屋の街を歩いていた時、「政秀寺」というのが目について直感的に「これは?」と思い、もう時間的に閉まってしまっていたのですが外から辛うじて見える案内板に「平手政秀の菩提を弔う為に信長が云々」と書かれてあって、「ああ、やはり」と思ったことがありました。
同様に「お寺っぽくない名前だな」と思ったりしますと誰かの諱であったというようなことには結構出会っているのですが、山号まで確かめてみるともっと興味深いことがわかったかもしれませんね。
色々とお調べ頂き恐縮です。
貴重なお話どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/11/03 17:40

 守綱=盛綱と考えていいと思います。


 昔の日本では、音さえあっていれば当てる漢字自体にはあまり無頓着だったようです。
 例えば現在に残る戦国時代の親書などでも、署名の漢字が違う字を当てられていることがしばしばあるそうです。
 本人が自分の名前を記した「署名」ですら漢字が一定しないことがあったようですから、伝承に残る(名前の)漢字が多少違うくらいはよくあることなのでしょう。

この回答への補足

「死語」ではなく「死後」でした。
失礼致しました。

補足日時:2007/11/03 17:01
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この回答へのお礼

ご回答ありがとうございます。
親書の署名でも間違っていることがありますか・・死語はともかく生前は諱の文字はもっと重要視されていたのかと思っておりました。
そうしますと、そのような経緯で付けられたお寺の名が違っていても、それほど不自然なことではないということなのかもしれませんね。
どうもありがとうございました。

お礼日時:2007/11/02 19:02

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