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よく日本では政治家が失言をしてバッシングされ役職を降りたり選挙で負けたりしていますが、失言をすることと政治家としての素質を備えていないことは別だと思います。
ある発言の内容が悪いのなら失言として扱われ、それはそれで「悪い」ことなので批判されるのは当然ですが、このことと政治家として「悪い」ということは必ずしも論理必然ではなく、国民はこれらを混同しているように思えてなりません。
たとえばウィンストン・チャーチルは失言や暴言が多かったことでも有名でしたが、政治家としての手腕は確かなもので、未だに世界でも「偉人」として称えられています。

それでもなぜ日本では、失言をする=政治家として問題あり、という認識が一般的なのでしょうか。
教えてください。

A 回答 (13件中1~10件)

1.質問者様が暗に前提とされていることに私はなかば条件付きで賛成する立場です。


「政治家」であることと「失言」「不祥事」の問題は必ずしもセットいしてとらえられなくてもよい。

2.ただし、日本においてはそれはセットで捉えられる、ということになっています。ですので、いまの日本という国で政治家をやるんだったらそこは注意しなければいけない。その意味において現代日本の政治家としては適格ではない。
 そういうことだ、と思います。

3.クリントン大統領がモニカ・ルインスキとスキャンダルになったとき、アメリカでは不倫が問題になったというよりも、クリントンがヒラリー怖さにウソをついたことのほうが問題になったそうです。不祥事よりも「国民を前にした場所でウソをつく」ことのほうがここでは問題にされたわけです。その意味でクリントンがルインスキとよろしくやるのは勝手だけれども、アメリカでウソをつくのはよくなかった。それは、クリントンの無能というよりも、「アメリカの政治家として」よくなかったと言うべきことです。

4.政治家のよしあしというのは、クオリティの高い政策をつくり、見分け、選ぶ能力なども重要ですが、行政の専門家としては官僚の方が上を行く場合が多い。
 なので、政治家と官僚(=行政の専門家)に期待されている能力は少し違っていると考えます。具体的には政治家にとって重要なのは、その場その場に適切な判断のできる、文脈にマッチした中で最適なことができるという能力だろう、と思います。
 チャーチルが暴言・失言が多くてもかまわなかったのはメディアが本気でチャーチルをたたかないし、それによって失脚しないという状況があったからではないか、と思います。

5.日本において失言を問題視してマスコミがバッシングする枠組みは正直くだらないと思っています。これが民主主義の持つ避けがたい、衆愚性というものか、と。まあ、ものにもよりますが、「失言」とされている発言のかなりの部分は、文脈全体で捉えたら、セーフな発言はけっこうあるように思います。
 日本の場合、久間元防衛大臣と、森元首相と、石原都知事と比べたら、久間さんなんてマシなほうだと思います。石原さんはかなりまずいと思いますが、彼はやめさせられてませんね。結局、石原さんはマスコミ戦略に成功してしまったし、失言をしても彼を支持する都民がそれを悪いようには解釈しないからでしょう。私は石原さんのような人はちょっと勘弁してほしいと思っていますが、大勢の都民が彼に投票し、マスコミが総バッシングしない限り、彼はセーフなんですよねー。失言気にする都民は、できればもっと石原さんに厳しくなってほしいところです。

6.最初の質問「なぜ日本では、失言をする=政治家として問題あり、という認識が一般的」これは単純に答えるには難しいようなので、周辺部分の話をだらだらしてしまいましたが、いつ頃からこういう報道体制が増えたのでしょうね。
 新聞のアーカイブなどで、「失言」「暴言」などで検索し、それがどの程度まで問題を引き起こすにいたったか、の経緯を時系列でまとめるような研究をすると、その経緯がみえてくるかもしれません。ってか、誰かそういうマスコミ研究とかやってそうに思いますので、CiNiiなどで論文検索されてみるとよろしいかもしれません。

 こんなところで。てきとーな回答でだらだらと失礼いたしました。
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この回答へのお礼

クリントンの件がそういう事情であったことは知りませんでした。
チャーチルが活躍していた当時のマスコミがどのようなものであったかは知りませんが、今の日本のワイドショーのようなマスコミとは異なるものであったことは推測できますね・・・。

民主主義の「衆愚性」は不可避的なのでしょうかね。

石原都知事に関しては、彼に代わる人材がいないという認識があるので、失言をしても下ろされないのだと思います。また、彼の失言が選挙嫌悪ない者に対してする者が多いこともその理由の一つかもしれませんね。

ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/06 22:45

「失言」と言うのは、「本心ではそう思ってないのに、うっかり違ったことを言う」と言う意味と理解します。

 そういう意味では、日本の政治家の「失言」と言うのは、ほとんど失言ではなく、確信犯としての不穏当な発言でしょう。 だから政治家として問題ありと言うことになるのです。日本のマスコミはなぜか政治家なんかの不祥事を表す表現を甘くする傾向があるのじゃないでしょうか。 横山ノックの事件なんかも実態は「強制わいせつ」なのに「セクハラ」などと言うずっと軽い表現をしていたと記憶します。 「失言」と言わずに「重大不穏当発言」とでも、言うべきでしょう。
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この回答へのお礼

確信犯としての不穏当な発言ですか。
下の方が失言は「本音」といっているのと逆の考え方ですね。
マスコミが不祥事を甘く表現しているとは知りませんでした。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/06 22:39

 日本人は、歴史的なものなのか教育の賜なのか、他人の一面でその人間の全人格を判断する傾向があるようですね。


 また、他人の評価に直ぐレッテルを使う傾向もありますね。東大生は頭がいいとか、ニートは人間のクズだとか、最近の若者はすぐキレるとか。
 人間は多面的なものなので、一面で評価出来るはずはないし、二者択一的な評価など現実的にはあり得ないはずなのに、複雑な思考を直ぐに投げ出して、易きについてしまうのは、日本人の問題点ですね。
 また、劣等感の裏返しで、社会的地位の高い人のわずかの失点を捉えて、なんとか引きずり落とそうという日本人の貧乏根性も顔を覗かせますね。また、議論するときにも自分が高所に立ったような議論しか飛びかわないのも不思議です。イラク派兵の議論の時も、皆が総理大臣になったかのような意見ばかりで、自分が一番下で行かなければならないとしたら嫌だというような意見は全く無かったです。
 こういった、第三者的議論は往々にして無責任になりやすいので、止めて欲しいのですが、これも日本人の思考放棄癖の一つなのだと思います。
 「失言をする政治家は問題がある」と言うのは、以上のような事を原因とした、日本人の思考放棄癖の表れと言えると思います。

 政治家は決断というか意思決定が仕事なので、当然かなり思い切った発現や問題提起をしないと存在理由がないです。
 また、言論に対して「失言」を問題にするのは、非常に危険なことなのは歴史が教えてくれています。戦前の天皇機関説問題を想起してもらえば分かるのでは。
 問題行動より言論を問題視するのは危ない兆候です。
 
 ただ、最近報道されている「失言」は本当に失言なのか?と言う疑問があります。
 政治家は、やっぱり相当に頭の回る連中です。当初は「何、訳の分からないこと言ってるの?」と思ったことが、後になると「あれだったのか!」と言う発現が多いと考えます。
 最近の政治家には、意図的に世論を操作するためにあえて火中の栗を拾うかのような発言が多いのではないでしょうか。だから、マスコミがその発現に対して堂々と「非難」(実は宣伝)することが出来るのではないですか?本当の失言を失言と非難するとマスコミの方が潰されますよ。

 「失言」を非難したり、バカにしたりしているうちに、とんでもない不利益が国民に課されている、とならないように用心が必要です。
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この回答へのお礼

「日本人の思考放棄癖」ですか。これは興味深く、また考えさせられますね。有り難うございました。

お礼日時:2007/11/06 22:37

私は、失言をする、というのはやはり問題だと思います。


というのは、結局、失言をする、ということでその人が行いたい政策の実施の足を引っ張ることは間違いないからです。
質問者さんはチャーチルの例を挙げていますが、彼の政治的手腕が非常に高かったために、そのマイナスがあっても高い成果を挙げることが出来たのだと思います。もし、失言などがなければ、より多くの成果を挙げていたのではないでしょうか?
勿論、これは「ればたら」の話になりますが。

ただ、少なくともそのような不用意な発言がプラスになることはありません。外交の場などでしてしまえば、一大事です。
勿論、揚げ足取りのようなものばかり、と言うのは問題です。とは言え、失言などがあっても全く問題ではない、と言うことは無いでしょう。
失言のバッシングそのものはあって当然だと思います。
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この回答へのお礼

そもそも失言をすることで、政策の足を引っ張る結果になるという大衆の反応自体がおかしいと思いませんか?

チャーチルの場合はやはりその失言を超えるカリスマ性があったから支持されたのだと私は思います。

そして、失言は失言で「悪」としてバッシングを受けてしかるべしだと私も同意します。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/06 22:34

日本の報道が、単に感情を煽るだけのワイドショー化しているからでしょう。

そんな低俗な記者や番組に影響されている国民性も考えものです。
しかし、政治家の安易な言動が国際紛争や株価の暴落を招く事もあるのですから、政治家は自らの言動に責任を持たなくてはならないことも事実です。
でも、言葉尻を捉えてやたらと政治家の資質云々と騒ぐ野党も、その程度の資質だということです。
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この回答へのお礼

ワイドショーは本当にくだらない内容が多いですね。
しかし大衆がそれを好む。これもバランスが難しいですね。
政治家が言動に責任を持つ義務はあるでしょうね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/06 22:30

吉田茂さんは戦後日本の復興に尽くされ、アメリカとの交渉では日本人と


しての誇りを失わず、戦争に敗れたとは言え言うべき事は堂々と主張され
戦後の日本のアイデンティティを確立なさいました。
その後の国会で野党のしつこい質問に対して「ばかやろ~」って言って国
会解散なさいました。
世に言う「バカヤロー解散」です。

政治家の失言や放言には案外「本音」が感じられますね。

>失言をする=政治家として問題あり、という認識が一般的なの
でしょうか。
失言や放言と政治家としての資質には関係無いと思いますが、
程度の問題でしょう。
「原爆投下はしかたない」や「女性は子供を産む機械」なんて言うのは
許せないですが、「ばかやろ~」は許せます。
昔の政治家はお二号さんを囲ったりして艶聞華やかでしたが、国民の幸せ
を願い自分の理想に向かってまっしぐらに進んでいました。
自分が不利になると愛人をポイ捨てする現代の政治屋さんとは大違いです
ね。
昔の政治家はお二号さんを大切にして暮らしに困らないように配慮してい
たので、今のように週刊誌沙汰にはならなかったのでしょう。
女性の票が大切な現代では、女性がらみのスキャンダルは命取りになるの
でしょうが・・・。
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この回答へのお礼

なるほど・・・愛人は大切にしていたらリークされないけど、ポイ捨てしたらリークされる。しかし、大切にしていたら問題にならなくて、一度捨てたら問題になるっていう構造にも疑問ですが。
失言は程度問題ですか。なるほど。
ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/06 22:28

ケースバイケースで一概には言えないところもあると思いますね。


うっかり本音を漏らしてしまってそれが国益を損ねるようなものであれば弾劾されてもしょうがないですが、時折マスコミの「編集」によって、明らかに本来の意図と違うとらえ方がされるように報道されることがあることにちょっとうんざりしています。

例えば、他の方が指摘されている「産む機械」発言もそうですし、先日の「友人の友人がアルカイダ」もそうだと思います。ものの例えで問題点を強調するために引き合いに出した言葉だけがクローズアップされていて、曲解されるような形で報道されるわけです。

失言してもいい、というつもりは毛頭ありませんが、失言騒ぎについてはマスコミの責任もそれなりにあると思いますね。
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この回答へのお礼

失言は失言で悪ですからね。
確かに、マスコミの編集の影響は大きいようですね。

回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/06 22:26

当然その影響力の大きさとかを考えれば限度というのはあると思いますが


どんな場でもそうだと思うのですが
腫れ物に触るが如くであるより
思ったことを自由に言える雰囲気の中の方が結果的にいいものが出来上がりますよね。
問題発言は問題提起であると捉え
自由にものを言い合える中からいいものを生み出せる方がいいのだと思いますけどね。
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この回答へのお礼

確かに、本来は自由に言える雰囲気が理想ですよね。
しかし、一方ではその影響力故に発言には気を使わなければいけないということでバランスが大事になってくるのですね。
回答ありがとうございました。

お礼日時:2007/11/06 22:23

>>失言をすることと政治家としての素質を備えていないことは別



全くその考えに賛成です。
『「失言」をするのはその人物がそう思っているからだ』というのも、全てが全てそう言いきれる筈がありません。本人は「あぁ…そういう意味で言ったんじゃなかったのに」と思っていても、下手に弁解したらしたですぐ批判したがりますからね、マスコミや感情を煽られてしまった人たちは。「産む機械」発言(本人は「女性は」と直接繋げて言っていないんですよね、ご存知でしたか?)にしても、「機械といってごめんなさいね」と本人もそう表現する事が「適切でない」と分かっているではありませんか。しかし「子どもを増やす」イメージを簡潔にしたかったが為にそう表現したのであって、果たして「女性の人権を軽視している!!」と言い切れるでしょうか。

「国民の代表者として間違いは許されない」「国の為に働いているんだから国民の意思を反映させるのは当然だ」…色々意見はあるでしょうが、彼らもまた人間です。一度や二度の「失言」を重箱の隅をつつくかのようにバッシングして辞任させる…よりも、反省を踏まえてより政治活動に精進していただく事の方が大事だと私は思いますね。

「失言は最低」という有権者も多いながら、何故あの暴言を吐きまくる石原都知事は再選されたのでしょう?(暴言も十分失言なのに…)。東国原知事も失言をしましたが何故辞任コールは起きなかったのでしょう?彼こそ政治家としての手腕も未熟ですし辞任させられて当然だと思いますけどね。結局「有名」「存在感」「なんとなく」とか色々失言を薄める要素が多いと民衆は「所詮失言」程度にしか考えられなくなるんだと思います。柳沢氏や久間氏の政治的な経歴などを失言問題以前に分かっていた人は一体どれだけいたでしょうね(笑) 結局マスコミに感情を扇動されているに過ぎないのではないでしょうか??地鶏や赤福の食品偽装問題も連鎖的に起こっていて「えっ、また?」→「もういい加減にしろ!!」に感情も変化します。これも、マスコミの影響が大きいと思いますよ。

こうやって、政治家としての「悪」、失言の「悪」が知らず知らずのうちに融合されているのではないでしょうか?外部からの干渉に左右されずにもっと冷静に自分の考えを保持しなければ失言をする=政治家として問題あり、という認識はいつまでたっても変わらないでしょうね。
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この回答へのお礼

回答ありがとうございます。
やはりマスコミの影響が強く、国民はあまり冷静に考えていないのですかね。賛同していただけて嬉しいです。
しかし、質問をしたときに「失言」だけでなく「不祥事」なども含めておいたほうが良かったと少しばかり後悔しております。

ここで少しこの場を借りて私見を・・・
思うに、政治家というのは、自らの理想やその理想への一定のアプローチを掲げ、それに賛同する者の支持が与えられ、そして、それを実行し現実化しようと試みて国利民福を図るというのがその本来の職責であります。であるとするならば、政治家の資質というのはそのようなことをするに当たっての職務遂行能力といえると思います。
そのように考えると、愛人が数人いること、金銭問題の説明に不足があること、一部の人間への差別的発言をすることは、その政治家の資質である職務遂行能力とは本来無関係であるというのは明白であります。
しかしながら、政治家という職業に携わる者はその政策とは関係なしに、人気がなければいけない。人間としての信頼を得なければいけない。
このようにして本来の職責とはおよそ無関係な「人気取り」まで考慮しなければいけないのである。否、現在の日本では政治家はむしろ人気取りを最優先に考えなければならないのではあろう。なぜならば、政治家の政治生命を奪うのは彼の政策の失敗ではなく、人間性への信頼の獲得の失敗となるからである。
このようにして失言や不祥事により辞職に追いこむような国民の下では実現されるべき政策も中途半端になってしまい、人気獲得が最優先となってしまうのではないのかと危惧しております。

お礼日時:2007/11/03 21:51

こんにちは。



>その人の本音がそのようなものであったとしても、その人が国利民福を考え実行するものとしての資質を備えていないこととは別ではないのでしょうか?

質問者様は「本音」と「国民のタメの実行力」は別の物、と考えられているようですね。私はそうは思いません。ほんの一時本音と異なる行動がとれたとしても、その行動が心底からの物でない場合、次からの行動は本性が出てきてしまうのが人間ではないかと思います。

大きな利権が絡むのが政治家です。その場合、自分の本音と全く裏腹の行動を通す事はきわめて困難と感じています。

>よく日本では政治家が失言をしてバッシングされ役職を降りたり選挙で負けたりしていますが…

何を持って失言ととらえるか。評価する人によって違いますよね。私が問題に思うのは、政治家が自分の発言に自信を持っていないことです。

政治家が自分の発言に対して、舌の根も乾かない内に撤回する。何でもっと自分の言葉に自信を持てないのか。ある人達にとって失言と思われたってかまわないじゃないですか。

「私は自分の発言に魂を込めている。だから発言は撤回しない」という政治家を見たことが有りません。人間ですから間違いも犯すでしょう。しかし今の政治家の言葉に魂が吹き込まれていない(軽い)感じがしてしょうがありません。

この回答への補足

回答ありがとうございます。
私は本音と政治家としての素質は別のものと考えます。
確かに、失言によりその人の本音や本性が垣間見れるかもしれません。しかし、それはその政治家の本音や本性の一部であって、それをもって直ちに政治家としての資質そのものに問題があると確定することはおかしいと思います。
失言が浮かび上がらせるのはあくまでも政治家としての資質の「一部」であって全部ではありません。
ですので、失言=辞職という構造にはやはり疑問を持ってしまいます。

補足日時:2007/11/03 20:40
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