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私の住む地域のいくつかの神社(小さな神主の居ない神社ばかりです)を見ていてふと気づいたのですが、どの神社も本殿の横に小さな神社が併設されているのですが、その小さな神社がどれも「八幡神社」となっています。
Wikipediaで「八幡神社」については調べてみたのですが、併設されている小さな神社に「八幡神社」が多い理由は特に見当たりませんでした。
当地域でたまたま多いだけなのか、一般的に併設されている小さな神社に「八幡神社」が多いものなのか、もしそうならその理由も教えてください。

A 回答 (3件)

こんにちは。


お住まいの地域がわかりませんので地域的な特色であるかどうかはわかりかねますが、摂末社に八幡神を勧請しているお宮は全国的に見ても多いです。
八幡信仰の総本社は大分の宇佐神宮ですから九州で強いのは当然ですが、#2の方もご紹介されている東大寺大仏鋳造に当たっての神託によって中央への進出を果たし、その後も神仏習合の思想が普及する中で都の守り神として岩清水八幡宮が創建されて伊勢の神宮に次ぐ崇敬を受けるようになります。
また源頼義が源氏の氏神としたことで頼朝の代には東国にもその一大拠点となる鶴岡八幡宮が創建され、八幡神が「軍神」として崇められるようになってからは、世の中が武士階級によって動かされるようになったことも手伝って瞬く間に全国へと信仰が広がっていきました。
そのような過程において地方の名も無い氏神様が八幡神にとって代わられるようなこともあり、そこまでではなくとも多くの神社が競うように摂末社に八幡神を勧請していったのです。
その後安定した時代を迎え、「現世利益」の神徳を大いに謳って庶民の強力な支持を得た稲荷信仰に神社数でこそ負けてしまっていますが、「八幡」の名を冠した地名が珍しくないほどその信仰は広く厚いものでした。
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この回答へのお礼

返事が遅くなり申し訳ありません。
歴史的経緯がよくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/02 19:54

理由は下のページにあることではないかと思いますが。


http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AB%E5%B9%A1% …
東大寺の大仏を建造中の天平勝宝元年(749年)、宇佐八幡の禰宜の尼が上京して八幡神が大仏建造に協力しようと託宣したと伝えたと記録にあり、早くから仏教と習合していたことがわかる。781年には仏教保護の神として八幡大菩薩(はちまんだいぼさつ)の神号が与えられた。これにより、全国の寺の守護神として八幡神が勧請されるようになり、八幡神が全国に広まることとなった。後に、本地垂迹においては阿弥陀如来が八幡神の本地仏とされた。
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この回答へのお礼

返事が遅くなり申し訳ありません。
歴史的経緯がよくわかりました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/02 19:54

>当地域でたまたま多いだけなのか、一般的に併設されている小さな神社に「八幡神社」が多いものなのか




稲荷神社に次いで全国2位の多さからでは?
併設を見ていないので(単に気がつかないだけかも)わかりませんが、系列神社とか祭神が同じか又は八幡神の場合応神天皇なのでその祖先天照大御神、**主命、*命などを祭っているのでは?(参考URLの系列神社名や祭神が全く違う場合の併設ですか?)

参考URL:http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%A5%9E%E7%A4%BE
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この回答へのお礼

返事が遅くなり申し訳ありません。
参考URLを見せていただきました。
ありがとうございました。

お礼日時:2008/03/02 19:55

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