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源氏物語のあらすじを読んでみて、平安時代の「女性の貞操観念」にふと疑問を抱きました。(ちなみに、結構ネットで調べてみましたが、明瞭な答えを得れませんでした・・。)

例えば、源氏は父の女御である藤壺と契ったり、頭の中将の元愛人の夕顔のもとに通ったり、終盤の薫と匂宮と浮舟の関係などなどに関して、なんだか凄く性に関してフリーな感覚を抱きました。
当時の貴族の女性は滅多に人前に出ないし、親は今より娘を大事にする時代のはず。いったい、当時の貞操観念はどのようになっていたのでしょうか。下記三項目が現在の疑問点です。

(イ)そもそも貞操観念はだいたいいつ頃定着し始めたのか。(貞操観念というよりは処女性や穢れという考えでしょうか。)
(ロ)(当時の人々に「穢れ」という考えがあったのならば)男性は女性の貞操を気にしてなかったのか。
(ハ)もしも浮気関係が露呈してしまった場合、どうなるのか。

もしまた違う疑問点が出ましたら、補足質問するかもしれません。宜しくお願いします。

A 回答 (11件中11~11件)

あまり良く知りませんが、質問者さんがおっしゃっている貞操感は、戦時中から戦後に日本社会に醸成されたものだ、という話を聞いたことがあります。


証拠等を示せませんが、少なくとも平安時代の貞操感は、源氏物語に記されている通りのはずです。
また、江戸時代くらいでも、浮世絵に描かれているような世界が一般的だったと、これも聞いたことがあります。
明治以降でも、赤線が、赤線として存在していたわけですから、少なくとも、現在の貞操感とは全く異なる感性の社会だったと思います。
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この回答へのお礼

御回答有難うございました。参考にさせて頂きます。

お礼日時:2007/11/28 20:37

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